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作戦

 朝霧が都を包んでいた。

 早朝。

 ヒショウは書物を棚に戻し、大きく背伸びをした。彼は眠らない。安静にさえしていれば眠らずとも体力は万全であった。ゼンやホトはやめるように言っているが、ヒショウはそれには反抗している。もしも夜に刺客が来たらどうする。もしも、のことがあると思うと自分は起きていようと思った。

 それに、寝る間を惜しんででも知識が得たかった。

 書物を読みふけり、吸収し、そして、ゼンに教える。自分が役に立っているというおもいがうれしい。

 月明かりを頼りにして読んでいるので、空が白んでくるとヒショウは仕事と特訓を始めることにしていた。なにせホトには侍従のような人間は一人もいない。だから、ヒショウが雑務までこなさなければいけない、そう彼は思っている。はなから、ゼンに手伝って貰う気はない。

 そう、雑務。

 おそらくこれも雑務の一つなのだ。

 ヒショウはそう自分に言い聞かせて、倉の外に出た。案の定、倉の壁に寄りかかるようにしてツグミが立っていた。勿論、眠ってなどいない。ただぼんやりと、昨晩シュヨクが帰って行った方を見ていた。

「なんだ。まだいたのか」

ヒショウはわかりきっていた悪態をつき、大きくため息をついた。

「そんなに私がいることが不快か?」

「まあな」

「だから夜中ずっと貴様は起きていたのか?」

おそらく書物をめくる音が外にまで響いていたのだろう。

「別にお前がいたからって訳ではない。あれは、僕の勝手だ」

ツグミがヒショウ達の生活に及ぼす影響は本の若だ。ツグミが増えたところで自分たちの日常は決して揺るがない、と言いたかった。見せつけたかった。

「そうか」

ツグミは静かにそう言った。

「邪魔をして済まなかったな。私にはこんなことしかできない」

ツグミはそれきり口を開かない。ヒショウもなんとなくばつが悪いので、さっさと別の仕事にとりかからおうと思った。

 陽が完全に上がったころ、正式に書類が届いた。ツグミの移動を命ずる、婦負用を要約すればそんなところである。後に書かれていたのは社交辞令的な言葉と少しの注意事項のみ。ホトとの会話内容についてはほとんど書かれておらず、完全に隠され知多。そういう所はホトと方を並べて優秀とされる才能の持ち主である。

 ひとしきり書類に目を通したホトは書類を乱雑に投げ捨てた。それをゼンがあきれを全身で示しながら拾い集める。

「子供じゃないんだから」

「まったく、あいつは私をなんだと思っているのかな。メモ書きで、くれぐれもツグミには手を出さないように、だってさ。私だって死にたくないから、あんなに毛を逆立ててる女の子に無理に手を出したりしないのに」

「お前ってほんと、なんか大事なところでずれてるよな」

「どこがだい?まあ、あいつのお気に入りとなればからかい甲斐もあるけどさ、私は女性の意思は常に尊重したいからさ」

「いますぐそのいたずら心をすてろ」

「私はあの方のお気に入りなどではない!」

叫んだのはいつの間にか部屋に入ってきていたらしいツグミだった。

「私はただの兵士だ」

吐き捨てるように言うと、ツグミは再び部屋を出て行く。ゼンはあきれたように視線で彼女の後を追っていたが、ツグミが完全に出て行ったのを見送ると今度は別の書類を取り出した。

「これは、ここ数日で新しく寄せられた原因不明の体調不良を訴える書状だ」

ゼンはパラパラと頁をめくっていく。

「ずいぶんと数が多いね」

「ああ。三倍、いや、十倍にはなっているな」

「今まで南都では裂け目なんてほとんど出来てなかったのにね。一年でも二、三回あるかないかぐらいだったのに」

ゼンはヒショウを読んだ。彼こそこの書類をまとめた本人であるが、それと同時にある仮説を立てていた。

「あの、これって、もう一人の玄武様のせいではないですか?」

玄武は二人いる。そのうちの一人は裂け目をあえて作らせるとゼンは言っていた。

「その可能性は高い、と簡単に言って強いたい所だけど、そんな楽観的に考えていいものなのかなあ」

「来ているとしても、理由がわかんねえな。なんでこの都を狙うんだ」

「まさか、その玄武様がお選びになった方も南都の方で、たまたま帰ってきたということではないですよね?」

「それなら、ホトと同じ状況か」

「そうなるね」

もしも本当にもう一人の玄武が選んだ人間が玄武国の人間ではなく、朱雀国の人間ならば、ホトと同じ状況の人間が他にもいることになる。ホトはそんな人間を探していたはずであるにもかかわらず、どこか浮かない顔をしていた。

「もしもその方が見つかれば、ホト様へのご家族からの疑いも晴れるのですよ?」

「そのとおりなんだけどねえ。でも、なにか引っかかるんだ。こんなにうまくいってもいいのかな?」

「いいんじゃねえの。運命って奴は、いつでも急で、前触れがねえもんだぜ」

「ここまでくるともはや必然として用意された者のように感じてしまうんだよね」

「いいじゃないですか、それはそれで」

「まあね。でもなんか気になるんだ。時期が、というか」

すると突然、ゼンが何かを思いついたように声を上げた。あまりに突然だったためにヒショウは思わず警戒の為の糸を張った。

「北都のことか?」

ホトは時間をおいて首をかしげた。

「いや、そういう訳じゃないんだけど……。君はどうしてそう思ったんだい?なかなか興味深いね」

「なんとなく、なんだが、北都の荷が届き始めてから裂け目の報告が増えたように感じるんだ」

ホトはかみしめるようにしてうなずくと、今度はヒショウの方を見た。

「君はどう考える?」

ヒショウは考える。北都について知っていることはこの前ほとんどホトには話したはずだ。北都の連中が自分を襲ってきたのは、保護をする為。保護をして、それで、彼らが信仰する神獣の所へ連れて行くためで――。

「あれ?」

「なにかおもいだしたのかい?」

「彼らは、一体何の神を信仰していたのでしょう?」

「ああ、確かに。自分たちの神がどうこう、とか言っていたね。あれ、でも彼らがこの国の人間なら、侵攻しているのは朱雀ただ一人だとおもうけど」

「そこをつつけば何か出てきそうだな。例えば、蛇とか」

ゼンはぼそっと言うと、急に身支度を始め、外套を羽織り、外出の用意をした。

「もう行くのですか?」

「ああ」

「僕も――」

――行きます、と言いかけて、ヒショウは慌て口を噤んだ。今ヒショウが出て行けば、ここに残るのはツグミとホトの二人になってしまう。そんな状況をゼンが許す訳もない

「お前はここで留守番な」

「はい……」

ヒショウはうつむいた。そんな彼の様子を見ると、ゼンはヒショウの頭に手を置いた。

「すまないな。せっかくいい力の使い方を見つけたってのに」

ゼンが裂け目を塞ぎ、ヒショウが心の傷を癒やす。その連携が生まれたのはつい最近のことであるが、彼らはこの勘にもいい連携を幾度となく行い、裂け目を完全に塞いで来ていた。

「しばらくはこうなるだろうな。俺が先発で塞ぎに言って、お前は残る」

「はい。そうですね」

「それでもって後日

「お前が後発で治療をしに行く」

「え?」

ヒショウは思わず聞き返した。

「それはつまり、僕が一人で行くということですか?」

「ああ。お前一人ではほとんどいっていないが、それでもお前に道はかなり教えた気がするが」

「ええ……」

確かに、南都の地理にはそれなりに詳しくなったように思う。もはや南都の住民同然の知識をヒショウは吸収していたが、懸念は残っていた。それを口に出したのは、ホトだった。

「ねえ、それ大丈夫なの?北都の奴らはヒショウ君を狙っている。確かに、ヒショウ君は一度北都の連中とやり合って勝ってはいるけどさ、あの規模のけんかをこの街で多発されては困るし、勝てるという確証はまだないように私には思えるのだけれど」

「その点は心配ない。いや、心配をなくさせてから、こいつを出すようにするよ。こいつは今や、糸で相手の動きを封じるぐらいのことは出来るようになっている。本当はその糸で相手の動きを操れるようになってほしいところだが、それはきっと時間の問題だ」

ゼンは自信ありげに言った。

「まあ、身につけばいいって話でもないし、実践ではまた違うのだろうが、でも、逃げるぐらいの時間稼ぎは出来るだろう」

ゼンに期待されているとわかると、ヒショウの顔がゆでたたこのように赤くなった。

「まあ、今まで、そこまで大きなこともあっちはこの都で起こしていないし、あっちの性格からしても、急に攻めると言うよりはぬるりと追い詰めてこようとしてくるだろうからね」

「つまり僕は」

ヒショウは凜とした声で言った。

「僕はもしもの時は人手のないところまで敵を引き込んで、後はまいてしまえばいいってことですね?」

「ああ、そのとおりだ」

「なるほどね。挑発して誘っておいて、逃げて、袖を振る。なかなかいい作戦だ。そういう女性は、実に魅力的だからね」

ヒショウはホトの言葉を無視して、ゼンの作戦に感心していた。作戦通りに運ばせることが出来れば、誰も死ななくて住む。力も露見しないで済む。

「と、言うわけだ。俺は先発隊で行かせて貰う。ホト、お前はここに座っておとなしく仕事してろよ」

「行ってらっしゃいませ」

ヒショウは恭しく言った。

 ホトを椅子に縛り付けると、ヒショウに見送られゼンは出て行った。

ゼンの姿を見とどけてヒショウが振り返ると、ホトが頬杖をついて外を見ていた。まねをしてのぞいてみたところで何か特別な者が見える訳でもない。見えるのは宮の城壁だけだ。

「どうかしましたか?」

ヒショウは首をかしげて尋ねる。

「いや、別に」

ホトは小さくつぶやいた。

「藪をつついて蛇が出るか、闇の中の鬼をみるか」

「え?」

「独り言だよ。気にしないでくれ給え」

そういうホトの顔からは、笑顔が消えていた。


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