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隠密行動

 ホトは歩いていた。糸を指に巻き付け、何をするでもなく、ただただ歩いていた。彼は周りからどんな目で見られているかはわからない。どんな風に笑われているのかも知らない。わかっていない。

 ただ、なんの感情も出さず、笑いも怒りも悲しみもしない、無心で歩いていた。

 見えなくても道ぐらいは足で覚えている。軍部への曲がり角で、聞き覚えのある声がした。

「あっ」

「いた!」

ばたばたと駆け寄ってくる二人分の足音が聞こえる。近寄ってくる風と、そして通り抜けていく風を感じた。風が頬をかすめた時、ホトは顔に笑顔を貼り付けた。

「どうしたんだい、そんなにあせって」

焦っている理由はわからなくもなかった。しかし、帰ってきたのは予想外の返事だった。

「逃げますよ!早く!」

ヒショウに手を強く引かれた。

「え?ちょっとまちたまえ。一体なぜ」

「いいから早く!」

「任せたぞ!」

「はい!」

ゼンの声もどこか緊張感があるものだった。ヒショウは走り出す。ホトは促されるままに追いかける。

 一体何が起こっている?

「ちょっと」

今すぐに事情を説明してほしい。だが、ヒショウは何も答えない。聞こえていないのかと疑いたくなるほどであった。胸が騒ぐ。孤独を感じた。目に映る暗闇が、急に近づいてきたような気がした。

 落ち着け。

 ホトは耳を澄ます。

「……こい」

「……でてこい」

「……どの……」

「……どの隠れてないで」

 つまり、私の後ろに誰かがいた?

 つまり、私は何者かにつけられていたのか。シュトウにだまされたのだろうか。いや……。

「ヒショウ君、ちょっと待っててくれないか」

「え……ちょっと何言っているんですか!嫌です!逃げますよ!」

「ちょっと待ち給え」

「だめです!そうか。ホト様は気がついてなかったのか。確かに、気配だけじゃあふつうはわからないですよね。だかあ……だからですね、今あなたはどうやら」

「シュヨクにつけられていた、でしょ」

「えっ……は、はい、そうです」

「私を馬鹿にしないでくれ給え。状況でわかるよ。というか、そんなことはどうでもいいんだ。彼一人なら私に何か危害を与えることも出来ないだろうし、今は君もゼンもいてくれるからね。だから、止まりなさい」

ヒショウの歩みは遅くなる。そして、やがて止まった。

「ホト様は目が見えていないのですからわからなくて当然です。でも、僕たちがあなたを見つけたとき、背後に人影がありました。手を伸ばしてあなたにふれようとする。それで、念のため」

「あらら。それじゃあ、今あいつはゼンに縛り上げられているのかな?」

「はい、おそらくは」

「しかし、あいつも思いきった行動に出たねえ」

ホトはうなずきながら腕を組んだ。

「はい。本当に」

「ゼンがいなくなったところを見ると、君の身に何か起こったみたいだが、大丈夫かい?一体何をされたんだい?」

「……耳聡いですね。大丈夫です。何もされてはいません」

ヒショウは答えながら腕をかばっていた。この板ではまだ蛇の頭が腕にかみついたまま残っている。別にもう痛いわけでもなくヒショウとしては方っておいても問題がないのだが、見た目が見た目なのと、自分の失態で負けた後ろめたさから、ゼンにさえもまだ隠している。

「少し答えに躊躇があったね。その感じだと、怪我は負ったけど、今はもう回復しているということでいいのかな?」

「い、いえ!」

「目隠しをとってくれ」

「……」

ヒショウはじっとホトの法を見た。光を失ったホトの目は、ヒショウがいるのとはまったく異なる方向を見つめていた。

「目隠しを、とってくれ」

「……はい」

ホトは目を閉じて、再び開く。次に映ったのは、心配そうな目でホトを見つめるヒショウの姿だった。

「何を隠しているのかな」

「見ない方がいいですよ。かなり気持ち悪いので」

「というと?」

「白蛇の頭がついています。胴は引きちぎりましたが、牙が食い込んでしまっていて」

「ああ。あの戦いの時みたいになっているんだね」

「はい」

ヒショウは苦笑せざるを得なかった。

「蛇が来たのか。領主の白蛇だね」

「はい。確認できただけで二匹。一匹に気をとられていて、もう一匹に気がつきませんでした。一度捕まりましましたが、糸で撃退したところ蛇の姿になって逃げて行きました」

「なるほどね」

「ホトはため息をつく。

「人質にする為かと思いましたが、違ったようです。もとより、僕にそんな勝ちはないのですけれどね。それ以上に、勧誘されました。領主の駒になれ、と」

「一致何を吹き込まれた?」

「彼らは、王都に侵攻するようです」

「侵攻?園はなしなら私も聞いたけど、その時には援助って一応言っていたけれど」

「でも、そんなの、侵攻と変わらないです。王都はなくなってしまうかもしれない」

ヒショウは足で地面を踏みつけた。行き場のない怒りが彼をみたした。

「それに僕の仲間が」

「仲間?ああ、一緒に売られていたって言う」

「殺されてしまう」

ホトは何も言わなかった。なにも言わない代わりに顔をしかめた。

「僕なら、もしもみんなが深手を負っても助けられる。でもみんなが処刑されてしまったら、僕でもきっと生き返らせるのは困難になります。でもだからといって、僕にはみんなが処刑されるのを防げるような力もまだない。僕は弱いです。それに、みんなが罪を犯してきたのは確かだし、でも、僕はそれを償って生きている、つもりだし……」

「ヒショウ君」

ホトはヒショウの肩に手を置いた。小刻みに震えていたヒショウはホトを見上げた。

「そういうときは誰かに助けを求めればいいんだ。応じてくれる人間は、君の周りには存分にいるんだから」

ヒショウは唇をかんでうつむいた。今のホトには、甘えてしまいそうで目も合わせたくなかった。

「協力しろ、というからには、僕が言うことをおとなしく聞けば、王都への侵攻も諦めてくれるかもしれない。それならば、僕が」

「それはだめだ。確証はないだろ?君に今できる最善は自己犠牲ではなく、逃げろという連絡をするべきなんじゃないかな」

「そうか。なら手紙を……」

ヒショウは我に返った様に懐を探った。

「紙、紙……」

なかった。

 そうだ。紙はさっきまで書いていたものでおわりだったのだ。

「紙がないのかい?」

「あ、えっと、はい……。手持ちが切れてしまっていて」

「紙なら腐るほどあるからあげるよ」

「本当ですか!」

「うん」

「だったら……」

ヒショウは一度言葉を止めた。だが少し間を開けると再び口を開いた。

「もし迷惑でなければ、紙をいただいてもいいですか?」

「ああ、勿論」

ホトは笑った。頭をなでようかと手を出したところ、ヒショウにあからさまに嫌がられたのでやめにした。かまれそうだと思った。

「まだまだ教育が必要だね」

「すみません。ゼン様なら大歓迎なのですがね」

「王都の野良犬感はいつになったらぬけるんだか」

「抜けません。多分一生」

ヒショウは笑っていた。

 一方その頃、ゼンは笑顔なんて浮かべている場合ではなかった。面倒なことばかりを引き受けてしまったように感じる。まあ、ヒショウに任せることでもないので、しょうがないことなのだが。

「なあ出てこいよ。もう糸も絡んでんだし、逃げてもしょうがねえだろ。俺は変なことしちまって、責任をとれ、とか言われるの嫌なんだよ。この仕事、結構気に言っているし」

「……」

「あのよぉ、はやく出てこねえと」

「わかった」

シュヨクは妙に偉そうにゆっくりと姿を現す。ゼンはあきれるばかりだった。

「何をしに来た」

「お前に話す必要なんてない」

「用もなくうちのにつきまとわれちゃあ、こっちもただじゃあおけないんだが」

「軍部の奴に用があった。たまたまあいつと行きたい方向が同じだっただけだ」

「軍部の誰に用があったんだ」

「……それはいえない」

「ホトじゃねえんだな」

「それもいえない。わかっているのか。おまえのような下僕がこの私に口答えをするのがいかに無礼なことなのか」

「あのなあ」

らちがあかないとホトが糸の力を少し強めた時だった。

「ゼン様!」

足音を立てて、ヒショウが走ってきた。

「お、お前!いつの間に!」

気配を察することが出来ないシュヨクには突然ヒショウが現れたようにみえたのだろう。

「ホト様がお呼びです。シュヨク殿、僕についてきてください」

ヒショウは言い方こそ丁寧だが、鋭い目つきでシュヨクをにらんでいた。

「それよりもお前、腕!」

シュヨクが叫ぶ。ヒショウは慌てて腕を隠したが、ゼンは心配そうにヒショウの腕を取り上げるとまじまじと傷を見た。

「隠していたのか?」

「い、いえ!そういうわけでは!」

「気づいてやれなくて済まなかったな。大丈夫か?」

ゼンにのぞき込まれ、ヒショウは顔を赤らめた。

「このくらい、後でえぐります」

「えぐる!?」

シュヨクが叫んだ。

「うるさいです」

ヒショウはすかさずにらむ。

「僕のことはいいので。黙ってついてきてください」

ヒショウはくるりと体の向きを変えると倉の方へ歩き出す。

「これはやばいな。あいつの目が昔に戻ってる」

縁はつぶやいた。ほんの一瞬ひしょうがシュヨクに見せた目は、緊張感に満ちた人殺し時代のものだった。

「昔?どういうことだ」

シュヨクが聞く。

「知らなくていい。特にお前は、な。だが一つ忠告しておく。もしもあいつに今逆らえば、まちがいなくやられる。覚悟しておけ」

シュヨクは生唾を飲み込んだ。先を歩いているのは、まだまだ年端のいかない少年である。彼に何が出来るというのだ。たしかに、蛇が腕にかみついたままという見た目はかなりインパクトがある。しかし、だからといって、なんだ。この少年はただの小間使いではないのか。シュヨクはただヒショウを試すつもりで手を伸ばそうとした。

「なにか質問ですか?なら、受け付けませんけど」

彼が手を伸ばす前に、ヒショウが振り返った。ゆっくりとシュヨクをにらみ上げたその目は空虚で、飲み込まれてしまいそうな闇が潜まれているように感じた。

「だからやめておけって言ったのに」

「……」

シュヨクは唇が恐怖で震え、何も言えなかった。

「そうだ。ついでに言っておきます。軍部に入りましたので、目隠しをお願いします」

ヒショウからゼンに何かが手渡され、それがシュヨクの目につけられた。見た目ではなんの変哲もない。だが、シュヨクの視界は全てを遮断していた。

「安心してください。危害を加えるつもりは荷、とホト様は言っていました。あの方は、ですけど」

 その途端、シュヨクは一人になった。

 否、周囲にいたはずの二人の音が何も聞こえなくなったのである。

「おいお前ら、どこへ行った」

答える代わりに、ゼンがどこからともなく糸を引いた。得体のしれない孤独と恐怖がシュヨクを飲み込む。

「それがあの人の孤独だ。味わえばいい」

ヒショウは誰にも聞こえないよう、低い声でそうつぶやいた。


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