不味い茶
日は完全に沈み、村のあちこちに明かりがともされる。
酒場は活気にあふれていく。
ゼン達は酒場に来ていた。村の中で食事をとれる場所はここしかないし、村の人々にも会えるからだ。旅の醍醐味である。
「じゃあ、自己紹介でもし直すか。俺はゼン。お前は?」
「ヒショウ……です」
「ヒショウ、か。大空に羽ばたいていきそうないい名前だな。かっこいい」
ヒショウは机に伏すようにして顔を隠す。からかってやろうとゼンは少年の頬に手を添えた。促されてほんの少し顔を上げたヒショウの顔を心なしか赤くなっている。
「なんだ?照れてんのか?」
「ゼ、ゼン様の名前も、かっこいいです」
「こびなくていいぞ」
ヒショウは慌てたように目を右往左往させる。ゼンはそんな様子をみて、我慢できずに吹き出した。
「まあ、いいや。さあ、食え!今まで十分食えていなかったんだから、食えるときに思う存分食っとかねえとな」
「いいんですか?」
ヒショウは両手にパンを持ち、じっくりと見つめている。だが、見つめるばかりでなかなか口にしようとしないヒショウを見かねて、ゼンが先にパンにかぶりついた。
「普通従者って言うのは、主が食えといったら素直に食うもんだ」
「あっ」
少年は焦ったようにパンを勢いよく口につめこむ。
「おい、詰まらせるなよ」
ゼンが注意した瞬間、ヒショウはピタリと動きを止めた。一瞬喉を詰まらせたのかと思ったがどうやら違うようだ。ヒショウは初めて、目を輝かせていた。
「うまいか?」
「う、うまい!」
ヒショウは一心不乱にパンを口に運ぶ。
「こ、これはなんというものなのでしょうか!」
「パンだ、パン。小麦から作るんだぜ」
「コムギ、とはなんでしょう?」
「ああ、知らねえか。これも麦から出来てるんだぜ」
ゼンは飲んでいたビールをヒショウの前に差し出した。だが、ヒショウが興味津々に手を伸ばしてきたので、ゼンはビールを自分元に引き寄せ少し口に含んだ。
「子供にこれはまだ早い。あと十年もすれば、飲んでみればいい。というか、お前って、結構何も知らないんだな」
「あっ……すみません」
「いいんだよ。知らないなら知ればいい、俺と一緒にな」
「はい……」
少年の口元がほんの少しだけ緩んだように思えた。
夜が深まれば深めるほど、酒場には人が集まってくる。店中が異国の装いのもので満たされていた。
「青龍国に、白虎国、玄武国って、こりゃあすごいな。まるで世界の縮図だ」
「セ、セイリュウ……ゲ、ゲンブ?」
「ん?これも知らないか?」
ヒショウは気まずそうに目をそらした。
「じゃあ、この国はなんて言うか知っているか?」
「え、えっと……王都?」
「朱雀国だ」
ゼンはあきれたように言った。
「す、すみません……」
「いや、いいんだって。これからな、これから学びにいこう。いつか、この世界のすべてを見に行こうな」
「世界の、すべて?」
すると、会話を遮るように二人の隣の席に、二人連れの男達が現れた。
「席が空いてなくて、お隣、いいですか?」
「ああ、どうぞ」
男達はどうやら北の方から来たようだった。毛皮を身にまとっており、いかにも温暖なこのあたりでは暑そうだ。
「俺はセッカ、こいつは弟のフブキ。どうぞよろしく」
「うっす」
セッカはいかにも人なつこい性格のようだ。一方のフブキは鋭い目つきで見てくる。人当たりの悪さはヒショウも大概なので言えたことではないが、セッカは苦労しているだろうな、とゼンは密かに同情した。
「よろしくな。俺はゼン、こいつはヒショウだ」
「お二人は、親子ですか?かわいらしいお子さんだ」
「あ、主様と、その僕です」
ヒショウはうつむいて答えた。
「ま、そんな感じだ」
否定したいところだが、ややこしくなりそうなのでゼンもうなずいて見せる。
「なるほど、なるほど」
「こいつとは王都であったんだ」
「ということは、お二人は王都から来たんですね。しかし、聞くに、王都はもうだめですね。子供を売っているってことでしょう?そんなところより、南都のほうがよほど栄えている」
ヒショウは小さくため息をついて肩を落とした。出身地はわからないと言うが、王都には長いこといただろうから思うところは多分にあるのだろう。
「俺たちは王都に行ったことはないですが、王都の噂は旅をしているとよく聞きます。もうあそこはだめでしょうね。むかしの影もない」
「俺は他人のことにあんまり口を出す気はないがな、あそこがもうだめだと諦めているうちは、もう、どうにもならないだろうな」
「何をしても、この国はもうだめな気がしますけどね。君もそうおもうだろ?」
顔をのぞき込むようにして言われたヒショウは、再び、口を閉ざした。
「お嬢さん?」
セッカは機嫌をとろうとしているのか、にこやかに笑っている。
「あー、そいつ、男だ」
ゼンは少し気まずそうに言った。まあ、整った顔立ちをしているし、華奢な体つきは女に見えなくもないが。
「おやおや、これは失礼。かわいらしく見えたのでね。とくにその、刺繍が」
「す、すみません……」
「ご自分で入れたんですか、その刺繍?ずいぶんと綺麗に描かれていますね」
「い、いえ、これは、物心ついたときにはあって」
「それだ、お前らはどこからきたんだ?南都に行くとか言っていたな?」
ゼンはわざと話をそらした。
「北都です。言ったことはおありで?」
「ないな。だが話は聞いたことがある。たしか、雪、が降るんだろ?」
「雪をご存じなんですか?雪が降るのは、北都の中でも最北端の玄武国に面しているあたりだけです。俺たちはそこ出身でして」
「おい、ヒショウ、お前、雪って知っているか?」
「……知りません」
「いつか見に行こうな」
「……はい」
「雪って言うのは冷たくて重くて、いいことなんてないんですよ。子供だって初めて見ればはしゃぐかもしれないが、雪に身内が殺されるのを見れば理解します。雪は人を殺す凶器でしかない。見に行くなんて、よした方がいいですよ」
セッカは肩をすくめていう。
「それで、お二人も南都へ行くんですか?」
愛想良く笑みを浮かべ、セッカは言った。視線を向けられて、ヒショウはさらにうつむく。
「まあ、そんなところだ。仕事でな。お前らは?」
「物見遊山ですよ。俺たちみたいな極北の奴らにとって、温暖なこの地は憧れなんです」
「ああー、それはそうかもな」
「仕事、とおっしゃいましたが、どんな仕事をなさっておられるのですか?」
セッカの質問に、ヒショウも反応した。好奇心を丸出しにして、ゼンの方を見てくる。ゼンは大きくため息をついた。知りたいよな、そりゃあ。
「世界の修復さ」
「修復?」
「世界の裂け目をなんとか繕って塞いで、壊れた世界を元に戻す。それが俺の仕事だ」
セッカ達は唖然とした表情をしていた。一方のヒショウは、興味津々な顔をしているのかと思われたが、セッカの方を見て固まっていた。ヒショウが考えていることは、まだゼンには把握しかねる。事情は後で聞くとして、ゼンはひとまず仕事の話を続けた。
「この村のどこかに裂け目があるらしいんだ。村長に頼まれてて、ここに立ち寄った。俺の仕事はこんな感じだが、お前らはどうなんだ?お前らの仕事は?」
「ゼン様」
ヒショウが机に身を乗り出すようにしてゼンの袖をつかんだ。
「そんなに飲まれて大丈夫でしょうか?」
「ん?」
気がつけばゼンが飲んでいたビールのジョッキは空になっている。
「大丈夫だ。俺はさけにはつよいからなあ、らいじゅうぶらあ―」
急にろれつが回らないゼンはふらふらと揺れ出した。
「だ、大丈夫ですか?」
「らいじょうぶ、らいじょうぶ」
「酔っているじゃないですか。帰りましょうよ、今日はこれぐらいで」
ヒショウはゼンの袖を引いたまま、立ち上がった。
「え?あ、うん。それじゃあ、しつれいするぜーひっく」
ゼンはセッカ達に頭を下げる。ヒショウもそれをまねすると、ゼンを先導して店を出た。わずかな光に照らされた道を歩きながらヒショウはずんずん前に進んでいく。ゼンは千鳥足で歩き、たまに後ろを振り返っては店から出てきたセッカ達に手を振った。
宿に着くとゼンは軽く息を吐いて、寝台に座った。質素な寝台だが、体は優しく沈み込んだ。
「さて、と。なぜ、お前はあいつらを避けた?なにか感じたのか?」
ゼンはまったく酔ってはいない。あの時、おびえたように逃げることを促してきたヒショウにゼンは合わせただけに過ぎなかった。ヒショウもそんなゼンの気遣いには気がついており、立ったまま所在なさげに刺繍を触った。
「あの方々を、僕は王都で見たことがあります。ゼン様に買っていただく前の日のことです」
ゼンは目を見開く。
「つまりあいつらは嘘をついたってことか」
「ええ。僕の見間違えでなければ」
ヒショウの脳裏に過去の光景が映る。奴隷商人のとなりで背中を丸め、ヒショウはうろな目で世界をみている。その前を、不思議な格好をした二人組の男達が通り過ぎる。一人はヘラヘラと笑っており、もう一人は鋭い目でこちらを見ていた。
「まああの服装だから見間違えることはないだろう」
「しかしあいつらはなぜ嘘をついたのでしょう」
ヒショウは不思議そうな顔をした。
「さあな。忘れていたんじゃねえのか?」
「忘れるなんてあるでしょうか、あんな場所を」
うつろな目でヒショウは言う。
「行った記憶をなくしたくなるぐらい悲惨な状況にあるのはたしかだが……」
「も、もしですが、あの人たちが何かしらの目的があって嘘をついていたのだとしたらどうでしょう?」
「目的」
「例えば、あの人達はすごく偉い人で、自分の旅路とか身分を偽らないといけない、とか」
「とてもそうは見えないな。それに、それなら心配は無用だ」
「あとは、僕らを追いかけてきたとか?」
「なるほどな」
ゼンは己の髪をかき上げた。
「お前を追いかけてきたのかもしれないぜ」
「え?」
「お前何か追われるようなことをしたのか?」
ヒショウの顔が見る間に青ざめていく。
「そ、そんな……」
「嘘だよ。少しからかっただけだ」
ゼンはヒショウの言葉を遮るようにして言った。
「お前はそんなことをするような奴じゃねえってことはよくわかる」
ゼンは立ち上がると、ヒショウの腕をひいて、入れ替わるように寝台に座らせた。
「わっ」
「こういうことだよ」
「え?」
ヒショウはゼンを見上げる。
「あいつらもお前をからかっただけだろうよ」
「そう、ですよね……きっと」
「お前のその目立つ髪は一度見たら忘れられねえぐらいきれいだ。それにその刺繍だって。多分、あいつらもお前を狙っていたんじゃねえかな。まあ、俺のもんだけど、もう」
「……そう、かもしれません」
ヒショウは笑って見せるが、まだかすかにおびえているのがわかった。
「にしてもお前、やけに饒舌だな」
「お気にさわったでしょうか……」
ヒショウの声は徐々に小さくなっていった。
「いいや。こっちの方が子供らしくてかわいいんじゃないか?」
「……」
ヒショウは今度は頬を赤らめた。
「茶、いれてくれないか?酔いをさましたい」
「あ、はい!」
ヒショウはいかにも悪い手際で茶を入れる。なれていないのだろう。
「あ、あの、ゼン様のお仕事についてもう少し詳しくお聞きしたいのですが?」
食器から不穏な音をあげつつ、ヒショウは恐る恐る言った。
「ん?ああ、それはだめだ」
「え……」
思いがけないゼンの言葉に、ヒショウは思わず振り向いてゼンの方をみた。
「お前のそれは好奇心だろ?」
「え、ええ、まあ、そうです」
「だったら、自分の目で確かめるんだな。嫌に期待を膨らませて後でがっかりもさせたくねえし」
「そんなことないです!」
「まあ、自分の目で見てみろって。他の奴が言うことはすべて嘘かもしれないが、自分の目で見たことだけは、どうしても真実だからな」
ヒショウは残念そうにため息をついて、ゼンにぬるい茶を渡した。
「では僕も、ゼン様の仕事についていってもいいですか?」
「ああ、いいぜ。勿論だ。仕事をするのはまだ先になりそうだがな。それまではこの村で存分に羽を伸ばすといい」
「あ、ありがとうございます。はい、これ、お茶です」
ゼンはヒショウから茶を受け取り、一口、口に含む。
予想通り、茶は不味かった。




