記録
「おかえり」
そう言って微笑むホトは、心なしかげっそりと痩せたように見えた。机の上に山積みになっていた書類は右から左へとそっくりそのままうつされている。
「おう」
「ただいま戻りました」
ゼンは挨拶も早々に書類に手をのばす。眉をひそめていない所をみると、どうやら仕事はきちんとこなしてあったようだ。
「お疲れ様です。お茶、入れますね」
「いいよ、いいよ。君もこんな時間まで外にいたってことは、結構この都を知られたのだろう。つかれたはずだ。休んでもらってかまわないよ」
たしかに、朝にこの倉を出たはずが、今はもう綺麗な西日が射し込んできている。
「いえ、休むわけにはいきません。でも、南都、ここはいい街ですね。何もかも僕にとって初めて見るものばかりで、とっても楽しかったです!」
「その服が」
ホトが指さすのは、ヒショウが胸に抱いていたあの白い服である。
「買っていただきました。これを着て仕事にいそしもうと思います」
「私と色味をそろえるのはゼンの趣味だね。うん。いいね。さすがだ」
ホトが褒めるとゼンは気まずそうに目をそらした。
「他にも、港にも行ってきました!」
「港?ねえ、ゼン」
ホトはゼンの服の裾を引いて聞いた。
「どうだった?」
「商隊がきたことは知っているだろ。相変わらずだ。でも」
「でも?」
「今回の商品は多分、北都からきていた」
ホトは目を見開いた。
「そう……楽しかったようで何よりだ」
「はい!本の少しでしたが、まるで旅をしたみたいで楽しかったです。見たこともないものや、服屋、人だって、僕らと違って、だから……いつか三人で見に行きたいなって、思ってしまいました」
「そうだね。まあ、僕も、せめて糸を切ってもらって、外の空気を吸いたいなあ」
言うと同時に糸がホトの体から離れる。ホトはくるりと格好をつけて立ち上がった。
「はーあ、つかれた。さて、もう一つ仕事をしようか。今日も宴だってさ。ゼン、来てくれる?」
「僕が行きましょうか?」
ゼンがいつもホトに付き添うのはきっと、目隠しをしているホトを先導するためだろう。それなら自分でも出来ると思った。
「君はだめだ」
「えっ……なぜ……」
「弱いから」
鋭いホトの視線がヒショウに向けられる。
「僕は自分のお気に入りを他の奴に壊されるのは嫌なんだ」
ホトはヒショウの横を通り抜けていく。
「あーあ。嫌だなあ。行きたくないなあ。ご褒美がないとやってられないよ」
「何言ってんだ。他の奴はお前の何倍も座って仕事してんだぞ」
「量より、質だよ」
「お前なあ」
「明日の夜、明日の夜はどう?」
「……」
「ヒショウ君にだって、この町の全てを知らせてあげたほうがいいでしょ?」
「まだはやい」
「えーっ。彼の知識欲をなめちゃあいけないよ」
「お前ってほんと……」
遠ざかっていくホトとゼンの姿は昨日までのものと何も変わらない。全ては同じはずだった。そのはずなのに、顔があげられない。ヒショウはがくりと膝を折り曲げて床に座り込んだ。
久しぶりに自分が虚ろになったような気がした。
いけない。
このままではだめだ。
ヒショウは出てもいない涙を拭うように目をゴシゴシと拭って、気合いを入れるように頬をたたき息を吐く。
自分は調子を乗りすぎていたのかもしれない。南都に来てからというもの、この都のすごさを目の当たりにして、自分もまるでこの都の一部になったように勘違いをして、自分が大きくなった、豊かになったように思ってしまっていた。
だが、自分は所詮は王都の人間。あんな風に今は廃れていてなんの役にもたたない都市と同じ。未来なんて存在していない。
もっと役に立ちたい。
もっと強くなりたい。
ヒショウはふらふらと立ち上がって気をとりなおした。このまま考えていても埒があかない。何か別のことをしようと、ふと目に入ったのは所狭しにおかれている書物たちだった。ヒショウはゆっくりと近づいて、どんな書物が置かれているのか見てみようと思った。倉の壁を取り囲むように置かれた棚の中に置かれた資料は、ほとんどが軍備にまつわる資料や記録のようだ。兵士がどれだけいて、武器はどれだけあって、いつどこに攻められて、そしてどこを攻めたのか。残念ながら、ヒショウにとってはあまり面白い物ではなかった。
どういえば、この資料は誰が書いているのだろう。
ゼンは、字をかけないどころか読めないと確か言っていた。そうなればホトしかいないが、あの人がこんなにもきちんと物事を考え仕事が出来る人間であることを今初めて目の当たりにした。ホトのように鳴りたいとは思わないが、彼に認められるようになるには、もっと努力をしなければいけないと、また、ヒショウは意気消沈した。
棚の上の方にある書物には手が届かないので、ヒショウは諦めて別の棚に移動する。軍備の棚の隣には今まで南都が支配下に入れてきた村々の情報が修められていた。これは、他の官が行った記録のようだ。住人、人口、産業、文化、起こった犯罪、支配地の状況などが事細かに記録してある。もっとも手に取りやすい位置に煩雑に置かれた記録は、ヒバリの村の物だった。その最も新しい頁には、最近起きた殺人事件のことが書かれている。村に宿泊していた旅人の奴隷が、何者かによって山中で殺されたというものである。
恐ろしいほどに記憶に新しい事件だ。
犯人は逃亡し未詳のまま、と書かれた板が、それが炭で消され、「被害者死亡の後復活、事件性なし」と書き直されている。確かに事実だ。だが、今となっては過去の話。そうなって良かったと思った。
ヒショウは今度は頁をめくり、村人の名簿を探す。そこには、聞き慣れた名前が書かれていた。ヒショウにとっては、自分の力を受け入れ、そして感謝をしてくれた大切な人たちである。ヒショウは名簿を目で追っていくが、そこにヒバリの名はなかった。人名の調査をしたのがかなり前なのか、それとも彼女はこの村の住人と認知されていないのか、気になったヒショウは、ヒバリの故郷の村の資料を探していた。
もう滅んでしまった村。記録が捨てられていてもおかしくはない。それに、南都の支配下であったという確証はない。だが、ヒショウは探し続けていた。彼女が懸命に生きているからこそ、彼女がそこにいたという証がほしかった。
あらかたの資料を見終わったころ、棚の隅で他の資料に押しつぶされて見えにくくなっている資料をヒショウは見つけた。手入れが行き届いて射なかったせいか、字がにじみ、よく読めなくなっている。それでも、慎重に頁をめくっていくと、他の記録と同様に、ある村に着いての情報がまとめられていた。何年もに渡って記された記録は、ある時を境に、村の人口が減っていく様が描かれていた。最後の記録には村人の記録には一人も記されておらず、代わりに大量の死亡者名が書いてあった。
その中に、ヒバリの名を見つけた。
この記録を書いた物は、当時まだ幼かった少女が死と隣り合わせの状況で山を越えて逃げた先の村で今も元気に生きていると知ったら驚くだろうか。その書物を見えやすい位置にもう一度置き直して、ヒショウはまた別の棚へ移っていく。
倉の奥まった所にあり、ホトの執務室のすぐ外にある棚には、今まで見ていた棚とは明らかに段違いなほど大量の書物が収められていた。隙間がないほどにびっしりと書物が入れられている。これは何に関する書物なのだろうか。
書物を一冊取り出すだけでも一苦労だった。一冊取り出そうとすると一気に四、五冊は出てくるので、それらをなんとか受け止めて、床に優しくおいた。一冊ずつ床に広げて置いていく。
書かれていたのは、綺麗な絵だった。文字は書かれていない。不思議な絵だが、ヒショウはそれに見覚えがあった。
「これは……四神様?」
どの本も、絵巻のようになっていた。初めの部分は、人々が苦しんでいる所から始まる。見覚えのある絵もあった。顔に朱雀の刺繍が入った人間が村人に血を分けている絵。その隣には、顔に竜の刺繍が入っており、はかりを持った人間がそれを人にかざして何かを指図しているような絵。そしてその隣には何も書かれていない余白。そしてその隣には、蛇のような目をした人間を拝む他の人間の姿がおいてあった。
「これ……」
それはまさしくホトの姿だった。初めて会ったときのあの覇気も、その時の威圧感も、緊張感も、まるでそのままホトの姿の生き写しのようだった。
これは多分、神獣の力を得た人間が力を発揮している図だ。
でも、自分は朱雀だとして、ホトには一体どの神獣の力が宿っているのだろうか。朱雀、青龍、玄武、白虎。名を知っているだけで、それぞれの神獣が持つ力の詳細はまだ知らない。
他の資料を見ようと本を閉じようとしたとき、次の頁が何かにくっついて開けなくなっていることに気がついた。どうやらもう一頁あったようだ。ヒショウは身長にその頁を開き、つい息を止めた。
一面が、真っ黒だった。
漆黒の闇の中に二つ、目がかいてあった。これも蛇のような目ではあったが、一心にこちらを見つめる目につい飲み込まれそうになった。綺麗で、魅力的なその目は、ヒショウの瞳を捉えて放さなかった。
これも、ホトの目と同じだ。
そう思った瞬間、容易に目を離すことが出来た。ついでにその目をにらみつけておく。ふと、頁の橋に何か文字が書かれて射ることに気がついた。なかなかに悪筆で、まるで子供が書いた物のようだ。たった一言だけ、かろうじて読むことが出来た。だが、それだけで十分だった。
「おれはだれ?」
ヒショウは確信した。これは、ゼンの書いたメモだ。
ゼンは、自分を探している。いや、自身の力の源を探っているといった方が正確かもしれない。たしかに、今の絵巻の中で、ゼンの力に似たものはなかった。一番近いのは、ゼンが教えてくれるような世界の裂け目に良くにた暗闇が描かれているこの絵のようだが、この神獣の力だという確証もなければ、五匹目に当たるこの神獣が何者かもヒショウにはわからなかった。
まるで、ゼンの弱みを握ってしまったようだ。胸の動悸が止まらない。好奇心で胸が高鳴ってしまっている自分が嫌だった。
「あれ?」
そういえば、自分はゼンが実際に穴を塞ぐところを見たことがなかった。
そうか。
僕は弱いから見せてもらえていないのか。
糸の使い方、教えてもらおうかな。
ゼンには笑われてしまうかもしれない。なぜ急にそんなことを言い出したのか、と疑われてしまうか、心配されるだろう。疑われて当然、嫌がられて当然だ。
でも、そうしたらなんて言おうか。
なんと言えば、お前は弱いからとはじかれないだろう。
なんと言えば、僕を気に入ったままでいてくれるだろうか。




