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朱雀の飛跡~ある鳥の死から孵化まで~  作者: 文張
同属とうさんくさい笑顔
25/26

雨上がり

「まったく、君は本当に面白い」

 炎は燃やせるものを全て燃やしきり、そして気まぐれに通り過ぎていった雨によって消された。屋敷は、全焼である。

 戦いに燃え尽きた兄弟は、静かに横たわっていた。ホトは地面まで降りると、雨に濡れた前髪を掻き上げてて、ヒショウに近づいた。宿から持ってきた外套を渡してやると、彼は大切そうに羽織った。

「僕は別に、あなたを楽しませるようなことはしていませんよ。第一、これは見世物でも何でもなかったのに、どうしてここまで来たんですか。危なかったでしょう」

「私は強いから大丈夫なんだって。それに、見に来て正解だったと思っているよ。見世物に値する大立ち回りだったじゃないか」

ホトはあきれたような口調で言う。

「私はてっきり、君はもう人殺しはしないものだと思っていたよ。主人のため、そういうことからは足を洗ったんだと思っていた。なんだ。これじゃあ私も殺されるところだったんだ」

「人は殺しませんよ、もう」

ヒショウは素っ気なくそう言うと、セッカの方に近づいた。

「知っていますか?」

ヒショウはホトの方を振り返らずに言う。

「ここの人を助けた朱雀様は、一族の方に血を分けてあげたのだそうです」

「へえ。なるほどね」

ホトはセッカに近づくと、一気に剣を抜いて捨てた。返り血はない。なぜならすぐに、皮膚にあいていた穴が塞がっていたから。

「剣は君の血がついていた。君は、剣を通してこの人の体に血を入れたかったのか」

ヒショウは答えない代わりに、話し続けた。

「僕は人を守れるほど強くはないけれど、朱雀様のように人を治すことは出来る。この力の使い方がわかったような気がします」

「君たちって、ほんと……」

悩ましげにホトはつぶやいた。

「なんですか?」

「何でもないよ」

ヒショウはホトにため息をついた。

 そのまま、ヒショウは今度はフブキの口元に手をやった。まだ小さく息はある。重傷だが、命に別状はなさそうだ。ほんの少し、フブキに触れれば、二人の体が淡い光に包まれた。

「これが、奇跡か」

ホトは思わずそう口に出していた。

 なんて神秘的な光景だろうか。

 フブキの肌が見る間に元に戻っていく。ずっと見ていたはずのヒショウが、大人っぽく見えた。元から中性的な顔だちのヒショウの顔に、見知らぬ女性の姿が重なったように見えた。

 その時はあっという間に過ぎていく。

 目の前の光景にホトが見とれているうちに、気がつくとヒショウはいつも通りの様子に戻っていた。やはり計画は間違ってはいなかったか、とホトは口元を隠してほくそ笑む。

「そうだ。そういえば、君はさ、私のことを心配してくれたんだよね」

「いいえ。まったく。あなたのことなんてまったく、気にすらかけていません」

ヒショウはホトに背を向けたまま言った。

「本当?」

「本当ですよ」

「また心代わりしてくれたりしない?」

「しないです。あなた、僕を無理矢理手に入れようとしたし」

「それはさあ、ほら、いたずらだよ。君があまりにもその人のことを信用しているみたいだから、ちょっと嫉妬しちゃってね。許して」

「やめてください。迷惑です。次やろうとしたら、一回殺すので」

 この人のもとを去ろう。ヒショウはそう、決めていた。早くゼンに会いたい。その思いが戦いのあとには残った。

「さあ、君は早く行くんだ。この騒ぎだからきっと、そのお人好しさんは逃げ遅れがいないか、とか、いろいろ様子でも見に来てるんじゃないの?」

ヒショウはホトのその言葉に目を見開く。

「止めないんですか?」

「逆に、止めてほしいのかい?」

「いいえ、別にそういうわけではないんですけど」

「勿論、君の意志で私と二人きりでいたいならそれでもいいんだけど」

「何度も言わせないでください」

ヒショウはあきれたように言った。

「まあ、言ってしまえば、君を囲ったのも、私のただの暇つぶしなんだ。でも、君を手放すつもりはないよ。どんな形であれ、君はきっと私の役に立ちに来てくれるからね」

ヒショウは今度こそ面と向かって反抗してやろうと思い、ふり向いた。しかし、そこにはもう、ホトの姿はない。

「その二人は、縛ってしかるべき所に突き出しておくように言っておくよ」

声をする方を見ると、さっそうと屋敷の出口の方へ歩いて行くホトの背中が見える。この人も別れを言わずに消えるのか。そう思うと、ヒショウの体は勝手に動いていた。

 灰と化し、黒を通り越して白くなってしまった庭を駆け抜けて、ヒショウはホトを追いかける。

 屋敷の出口には人が群がっていた。そのほとんどが、おそらくは野次馬なのだろう。それをかき分けて、ホトを追いかけて行く。

「あのっ」

ホトは足を止めて振り向いた。

 その時、ヒショウは息が止まった。

 殺気を感じた。それも、この殺気はおそらくホトに向けられたものだ。

「あっ……」

ホトも気がついたのだろう。遠い目をして、どこかにいる『敵』を見ていた。これまで感じてきた殺気とはまったく比べものにはならないほど強い殺気。圧倒的な力の差を感じて、ヒショウの足は完全に動かなくなった。

――慈悲深いあの方はあなたに刺客を贈り続けるでしょう。そのことをお忘れなく

 まさか、もう?

 いや、大丈夫だ。ホトは、自分は強いと言っていたではないか。

 ヒショウは過呼吸になる胸を落ち着かせようとしたが。

 しかし。

 ホトの背後に、人影が現れたのはあまりにも一瞬のことだった。だが、次の瞬間には、ホトの首にはしっかりと、まるで首を絞められているかのような痕が浮かび上がっていた。

 動けなかった。

 このままでは、ホトが死ぬかもしれないとわかっていても、体が言うことを聞かなかった。

「ゼン、様――」

うまく口が動かない。いつの間にか勝手に呼び慣れたその名前を呼びたくて、仕方がなかった。

「ゼン様!」

ヒショウはホトの背後に立つその人物に叫んだ。

「……」

ゼンは何も言わなかった。それでも、ヒショウは必死に彼の名を叫んだ。

「やっぱりそうじゃないか。まったく君たちは、本当に」

ホトは襲われているにもかかわらず、涼しい顔をしている。

「言い訳はあとで聞いてあげる。だけど今はこんなことしている場合じゃないんじゃないのかい?」

ホトはゼンになれなれしい口調で言った。

「糸を緩め給え」

それはまるで、命令のようだった。ゼンが何か言ったようにも見えたが、風はその声を運んでこない。ホトの首についた糸の痕は見る間に薄れていった。

「ゼン様!」

「お前はここにいてはいけない。俺ときてはいけない。あそこにいろっていっただろ。俺はお前をあそこに捨てたんだ」

ゼンがぽつりとつぶやいた。

 ヒショウはその言葉を無視した。一歩一歩足を動かして、ゼンの前に仁王立ちしてまっすぐ見上げる。そんな無礼な行為をすることに抵抗はなかった。

「今までの僕の過ちは謝罪で済むようなことではないことはわかっています。だから、あなたに仕え、生まれ変わって生きることで償わせてください」

それは、ゼンと離れてから、ずっとヒショウが考えていたことだった。

「あなたは、僕が何者でもいいと言ってくれた。あなたは、僕があなたの従者でいることを許してくれた。僕はあなたの言葉を信じています。あなたは僕の光なんです。あなたと二度と、離れたくない」

必死だった。ゼンに嫌われるかも知れないだなんて、ヒショウはまったく考えていない。ただ、自分勝手に、それでも、自分の意志で、ゼンにつかえたかった。

「俺がお前を買ったのは、命令があったからであって、あの言葉だってお前を油断させて」

「全部嘘だった、そうでも言うつもりですか?そんなわけがない。あなたは、少なくとも、僕を気に入ってくれていた。どうでもいい人間に、わざわざ第二の人生なんて与えないはずです。僕を早々に殺さずにあの村まで連れて行ってくれたのも、南都までの道をこっそり教えてくれたのも、僕がこうしてあなたを追ってくるのを想定して、許してくれていたからそうしてくれたんじゃないんですか」

「それは……」

ゼンは気まずそうに目をそらした。

「確かに、俺はお前のことは気に入っていた。少なくとも、あの王都でぼろぞうきんのように扱われて死んでいいような人間ではないし、お前との旅も悪くはないと思っていた。たしかに、道を教えたのだって、俺は少し迷って待っていたのかもしれない」

「もう、僕への愛想は尽きてしまいましたか。もう、お気に入りではありませんか」

「そういうことを言っているんじゃない。俺は、お前の身を案じて」

「ゼン様は、僕のどういう所を気に入ったくれたんですか?」

ヒショウは、ゼンの言葉を遮るように言った。

「僕のどんなところを、あなたは初めに認めてくれたんですか?」

「……泣かないところだ」

ゼンは小さな声で言った。

「簡単に現実に絶望するんじゃなくて、這いつくばってでも生きようとしているお前の我慢強さが気に入っていた」

それは多分、自分には足りない所だから。そうゼンは胸の中で付け足した。

「泣いてません」

ヒショウは、糸が絡んだままのゼンの手を取ると、自分の顔にあてがった。

「見てください。僕の顔を見てください。僕は泣いてません。あなたに絶対また会えると信じられた。世界に絶望なんて、あなたがいたからしなかった。だから、泣いていません」

以前までの自分も泣いていなかった。でもそれは、乾いていたからだ。満たされればあの晩のように、涙はこぼれ落ちた。だが、今は違う。ヒショウは大きな手の温かみを知って、夕日の美しさをして、光の尊さを知って、彼は泣く必要がなくなったのだ。

「ゼン様」

促されるように、ゼンがヒショウの顔を見た。目が合って、二人は同時に微笑んだ。

「ね、泣いていないでしょう?」

「ああ」

ゼンは、ほんの少し声を震わせて言った。

「泣かないお前を気に入ったよ」

ゼンはヒショウの頭をぐしゃぐしゃになでた。ヒショウが恥ずかしそうにむずがっている隙に、ゼンは袖で顔を拭う。理由は言うまでもない。

 こいつが、生きていて良かった。

「あなたに追いつくまで待たせてしまい、申し訳ありませんでした」

 生きていて良かった。

 まぶしい顔でこちらをみるヒショウを見ていると、そう切に思った。

「気にしていない。でも、これから先は急がないといけないな」

「そうですよね。だって」

二人は声を合わせて言う。

「世界の全てを見に行くのですから」

「世界の全てを見に行くのだから」

 朝日が昇り、水滴をキラキラと反射させた。灼熱に包まれた夜は終わり、暖かい今日が始まる。

 朝の訪れと同時に、ヒショウはまるで電池が切れてしまったかのように眠りについた。糸が巻き付いたゼンの腕の中ですやすやと寝息を立てている。

 自分がいかに不器用な人間であるかぐらい、ゼンだって良くわかっている。糸を操れるわりに、うまく操りきれなくて、いつだってその糸に雁字がらめにされて、大切なものから手を離さざるを得なくなる。今にも切れそうな細い糸を握っていられるヒショウほど自分は我慢強くはない。糸にきつく締め上げられ、苦しくなれば、簡単に糸を切って、逃げてしまう、そんな卑怯者なのだ。

 だが、ヒショウとふれあっていると、そんな気持ちは不思議と薄れた。

 今度こそは、ヒショウに、長く、遠く、未来へとつながる糸の先にある何かを見せつけてやりたいと思えた。いつか彼が自分でたぐり寄せるであろうその糸の先に、何もつながっていない、などと言うことがあってはならない。

 腕の中で眠るヒショウは、まるで燃え上がる炎のように暖かかった。その命の温かみを守るように、ゼンは優しくヒショウを抱き上げた。


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