命令
宿に戻ってやっと、ヒショウは胸をなで下ろした。ホトと二人きりになるこの場所はまったくもって安心できる場所ではないのに。なんだか気に入らない。
今日はいろいろなことを知りすぎた。望んだことも。望んでいなかったことも。
「かわいかったなあ、あの子達」
ホトは先ほどからこればかりだ。
「かわいかったも何も、あなた、あの子達見てないでしょ」
「まあね。でも、かわいいものは見なくてもわかるのさ、子供も、女性も」
「ああ、はいはい。そうですか。良かったですね」
ヒショウはため息をついた。相変わらず脳天気なホトが鬱陶しい。目隠しを外してからと言うのも、かまってくれと言わんばかりにご自慢の瞳をこっちに向けてきている。
「どうだったんだい、君の方は。話は聞けたの?」
「まあ、情報は得られました」
ゼンが南都へ行こうとしている意志を変えていなさそうなのは大きな収穫だった。
「それにしては浮かない顔をしているけど。クマもできているし、なんかこう、一気に老けた感じ?」
「ひどいですね。まあ、いいや。ずいぶんとご機嫌で良かったですね」
「あの子達は本当にもの知りなんだよ。私、驚いちゃった」
「なんでも、ですか」
何も知らない自分とは大違いだ。
「どんなことを教えて貰ったんですか?」
「そうだねえ、女性の口説き方とかいろいろなことを教えて貰ったけど」
「けど?」
「いちばん興味深かったのは、君が探している、その人のことさ」
ホトの一言で、場の雰囲気が一気に張り詰めた。
「あの子達も、何も教えてくれなかった。どうやらあそこの人たちはその人のことをひどく毛嫌いしてるみたいだね。聞く耳も持ってくれなかった」
「それは、僕も知っています」
「だから、君は浮かない顔をしているんだよね」
ホトは、少し悲しそうな声で言った。ヒショウははっととホトの方を見る。彼なら、ゼンのことをわかってくれるのではないか。そんな気がした。
「あの方は、怨まれるような方じゃないんです。たしかに、少し不器用で自分を悪者に見せがちな方ですけど、僕を救ってくれた、いえ、僕が自分で助かるようにしてくれた恩人なんです」
何が善で何が悪なのかは、初めからわからない。でも、ヒショウが何者であっても隣にいていいと言ってくれたように、ゼンが周りの人間に何を言われようとも、自分だけはゼンの隣にいたかった。
「君のそれはまるで、信仰のようだ」
ホトはおかしそうに笑った。
「……そうかも、しれませんね」
ヒショウもやや遅れて肯定する。
「あの方が僕を、生き返らせてくれたので」
「生き返る?面白い表現だね。おや、それではまるで君は一度死んだみたいじゃないか」
「ええ、死んでいましたよ。少なくとも、人ではなかった」
考えただけでもぞっとする。あの生活には、きっともう戻れない。やっと本当の自分を手に入れたのだから。
「僕は人殺しでした。生きるため、そんな名目だけで僕はたくさんの命を奪ってきました。自分すらも殺して、あの方の命も奪おうとした」
ホトは口元に笑みを浮かべたままヒショウを見て何も言わない。
「そんなことをしていたから、逆に殺されてしまったんです。それでやっとわかったんです。僕のいるべき場所が。僕が生きる場所が」
「それが、君の探しているその人のもとってわけだね」
「はい」
ヒショウはほんの少しはにかんだ。
「なるほどね」
ホトは言うと、ヒショウの方へ歩き出した。
「ほんの少し、うらやましいよ。君を信用をそこまで勝ち取れたその人も、心の支えになってくれる存在がいる君のことも」
はて、とヒショウは首を傾けた。ホトから今一瞬、嫉妬のようなものを感じたが、気のせいだったのだろうか。
「あなたはまず、己の行動を振り返ってみるべきだと思いますけど」
「そう?まあ、いいや。あの子達にも信仰があるんだってさ。朱雀様をあがめているらしいよ。あの布はその証らしい」
「そ、そうなんですか」
ヒショウは曖昧に返事をして、そして気がついた。なぜ自分はこんな話をしているんだ。なぜ自分はこんなに意気揚々と自分の話をしているんだ。なぜこんなにべらべらと自分の過去の話をしてしまっているんだ。別に、頼まれた訳でも、まして強制された訳でもないのに、気がつけば口に出してしまっていた。
しかし、気がついたときにはもう遅かった。
ヒショウが目をそらそうとしたその瞬間、
「こっちを見てね」
ホトがそう優しく言った。
「えっ」
視線が、意志とは関係なく固定された。体も動かない。ホトの綺麗な緑色の瞳がヒショウを吸い込むように近づいてくる。
「いい子だね。じゃあ、まずは君の名前を教えてもらおうか。そろそろいいよね。私にもずいぶん油断してくれるようになったもの。それじゃ、名前を教えて」
「ヒショウ」
口が勝手に動いた。震えた声が部屋に響く。
「そう。ヒショウ君か」
怖い。
全身の毛が逆立つほどの恐怖がヒショウを飲み込む。見飽きたはずのうさんくさい笑顔が、ひどく恐ろしいもののように感じられた。
「ああ、ヒショウ君。そんなに怖がらないでくれ給え。君が悪いんじゃない。私の目にはね、特別な力があるんだ。君はその力にほんの少し影響されているだけ。でもさすがだね。神獣の加護があるだけあって、私の力が及ぶのにもこんなに時間がかかっちゃった」
ヒショウは体を震わせた。この男に気がつかれていたのか、特別なこの力について。でも、いつ?それに、なぜ?
「あ、ごめん。ヒショウ君は私にその力について隠してくれていたんだよね。念のため確認しておくけど、君にはおそらく、朱雀が宿っているんでしょ」
「はい」
まるで操り人形にでもなった気分だ。体が言うことをきかない。
「あの屋敷の人もそうだけど、君たちのその力を悪用されることを恐れているんでしょ。大丈夫。私はそんなことはしないよ。ましてや、君を従わせて、君が今までの主人達にやられてきたようなことをする気もないから、そこら辺は安心してよ」
「安心なんて……」
ヒショウがにらみつけても、ホトは笑顔を浮かべたままだった。余裕の表れ、さげすみ、支配欲……示しているものの候補はいくらでも思い浮かぶが、彼の本心それ自体はまったく読めなかった。
「目的は何ですか」
「君に、ちょっとした恩返しをしてもらうこと」
「それは一体」
「なんだと思う?」
ホトはいたずらに笑う。
「実はね、私は君を手に入れたくてたまらないんだ」
ヒショウは絶望を顔に示す。
「私の夢のために、ヒショウ君は必要不可欠な存在なのさ。君が探しているその人には私から話をつけよう。あるいは、その人にも仲間になって貰うのもいいねえ。賑やかなのは、大好きなんだ」
今までホトをゼンに似ていると考えていた。
だが、間違っていた。あの人は、こんなことを絶対にしない。人を絶望に陥れるようなことは絶対に、しない。
「ヒショウ、君に命令する。君は今から私の従者となり――」
その時だった。
「それは困りますねえ」
その声とともに、部屋の中の照明が破壊された。一瞬のうちに闇に包まれた部屋では、うつむいた状態にあるホトの顔は影になってしまう。瞳など見える訳もない。
ヒショウの体は急に自由になった。
ヒショウは闇に乗じてホトを振り払い、懐から短剣を出して構えた。ホトに向けて、ではない。今の声の主、セッカに向けてである。
「隠れてないで出てこい。決着をつけてやる」
ヒショウは叫ぶ。姿は見えずとも、明らかな殺気が存在を主張していた。
「決着?いえいえ。私どもは何も、あなたと戦う気はありません。助けに来て差し上げたのですよ」
ゆっくりとした足取りでセッカは現れた。
「こんな所で監禁されていらっしゃったんですね。しかもそいつに洗脳までされて。おかわいそうに。さあ、こちらへ。あなたを保護します。出来れば手荒なまねはしたくないのですよ。幾らあなたが不死身だと言え、尊いご身分であることには違いありませんから」
「だったらその殺気はなんだ」
「念のためですよ。手遅れだったら、その男はあなたを駒として使って、俺を襲わせる可能性があったのでね。そうなったら、一度あなたを殺して差し上げないといけなくなりますから」
「お前」
ヒショウは短剣を強く握りしめた。
「それはあんまりいい作戦じゃないね」
口を挟んだのは、ヒショウにかばわれるようにして立っているホトだった。
「その子が私の手に堕ちてしまう寸前まで練ったのが、その程度の作戦かい?」
「言ってくれますね」
セッカは声を低くして言った。
「このときを待っていたのですよ。あなたの、いえ、あなた達の本性をヒショウ様に知っていただくためにね」
「私の本性?なに?いい男ってこと?」
へらへらと挑発してくるホトにセッカは大きな舌打ちを打つ。
「ヒショウ様、わかったでしょう?あなたに近づいてくるもの達の多くは、あなたのその力に目がくらんだもの達ばかりなのですよ。その男にも、あの男にもだまされて良くわかったでしょう?」
「君たちだってそうだろうに」
ホトは否定もせずに言った。ヒショウは己の心臓の鼓動が早くなっていくのがわかった。
「あの男も、初めからあなたの力のことしか見ていなかった。あなたに近づいたのも、心をもてあそんで捨てたのも、己へのあなたの執着をわざと強めてあなたの力をより強力に手にいれようとしたからなのですよ」
「違う!あの人は」
「あの人は?」
「あの人は」
ヒショウは言葉を切った。そうではない、とは言い切れなかった。だが同時に、そうであってもいいのだと思った。今更何を言われたところでゼンを慕うヒショウの気持ちは変わらない。たとえこの特別な力が目当てであっても、生きる場所を教えてくれたゼンへの信頼は少しもかけなかった。
「気持ちは変わらないですか?」
セッカはあきれたように、だが、楽しそうにそう言った。
「あなたはあの男の糸に身も心も絡め取られてしまったようですね。その狂信さは、異常ですね。そういえば、あの屋敷の奴らも朱雀を狂信しているみたいだったし、その力の副作用か何かなんですかね」
セッカは興味深そうに言った。
「お前、どれだけあの方を侮辱すれば気が済むんだ」
ヒショウは再びきつく、セッカをにらみつけた。
だが、その時、ふと疑問になった。
セッカはどうして彼女たちの信仰を知っているんだ。
ホトとの話を盗み聞きされたのか?それともまさかあの屋敷での会話を聞かれていたのか?
「なんか臭いね」
ホトが鼻を押さえて言った。
たしかに、臭かった。それは、きな臭いとかそういうことではない。
冷静になってみると、焦げ臭かった。鼻の奥をつくようなボヤの匂いがしたと思うと、外が急に明るくなった。ヒショウの顔も、ホトの顔も、セッカの顔も、一気に赤く照らされる。
「さすがは我が弟。我々の熱も上がってきたところで、そろそろ舞台を移しましょうか。殺し合いは、炎をまとった神、朱雀らしく、火中にて」
ヒショウははじかれたように窓から外をのぞいた。
全ては一瞬の出来事だった。
ボンっ、という轟音とともに、あの大きな屋敷が燃え上がっていたのだ。
「殺し合いなんてするものか」
ヒショウはうめいた。
「誰も殺させない。誰も――僕も」
体中がまるで燃え上がるようだ。ヒショウは見る間に全身に力が宿っていくのがわかった。
「僕と戦え。僕に勝ったら、僕のこの身をどんな風に使ったってかまわない。でも、僕に勝ったら」
僕が勝ったら――。




