表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
朱雀の飛跡~ある鳥の死から孵化まで~  作者: 文張
小麦の村と夕焼け
2/28

邂逅

 空だけが無駄に高く、広く、青い。

 ゼンは空を見上げ、ため息をついた。たとえこの空が広く光を放ったとしても、それが届かないところは過分にある。平等に訪れるはずの朝が来ない人だっている。そして何より、空を見上げるだけで感傷に浸りたくなってしまう自分がいる。

 ここは朱雀国王都。

 国の顔であるはずの都は、荒れに荒れていた。道ばたには乞食が横たわっている。市場や出店は見つからない。歩けば死体に当たる。汚い。臭い。子供がいない。

 ここ数年、この国では災害が続いた。その少し前には、内乱が起こった。そして、この国は王を失った。王は国を一つにする上で欠かせない存在だ。泰平の世を作り出すには、象徴が必要だ。すなわち王がいないこの国は滅びの一途をたどるばかりであった。

 国は、沈黙に包まれている。

 叫びを上げたとて助けてくれるものはいない。みんな苦しいから、叫びを上げるだけ無駄なのだ。そうであればその体力すら惜しい。みんなそうやって、静間に死んでいく。

 腐った国だ。

 確かにこの国が滅んだのは、不可避の天災のせいという面も大きい。だが、それはあくまできっかけに過ぎないだろう。本当の理由はおそらく、国民の怠惰がある。怠惰、といえば少し言い方は悪いかもしれない。あの状況で希望を持つべきだった、というのは綺麗事だと言われてしまうかもしれない。しかし、たとえ希望がないように感じても、彼らは助けを求めるべきであった。決めつけることは恐ろしいことなのだ。

 何であれ、ここはもう手遅れだ。ゼンはそう心の中で言うと、大きな荷物を背負いなおす。目だけを出して鼻まで布で覆い、都の中心地を目指す。歩き出せば、彼の仕事道具がシャリシャリと音を立てた。

「大通りか」

かつてそう呼ばれていたのであろう広い道の上には、ところ狭しに死体が転がっていた。その匂いに、ゼンは思わず顔をしかめる。子供の一人でも元気に走り回っている姿をみたい。そんなことを考えていると、どこからともなく子供の声が聞こえた。

 声。といっても、泣き声、だが。

 ゼンは思わず声のする方へ歩みを早めた。すると、道の脇に小さな露店のようなものを見つけた。露店、といっても道の上に茣蓙を敷き、その上に商品を並べているだけの粗末なものだ。そのこと自体は大して珍しいわけでもないが、問題はその、商品、だった。ゼンは思わず目を見開く。

 商品は、子供だった。売られているのは、まだ年端もいかない子供ばかりが手かせ足かせをつけられ売られていた。

「お客さん、旅人かい?」

唖然として子供達を眺めていたゼンに、露店の主らしい男が話しかけてきた。

「ああ」

「出身は?」

「ここじゃない、別の場所さ」

「ひっひっ。お兄さんも面白いことをいうね」

男は重い腰を上げてゼンに近づいて肩に手をおいた。

「お兄さんもこの町の不幸を見に来たのかい?」

「は?」

「この廃れた場所に好んでくるような変わり者は大体、こっちの不幸を見て自分の幸福を確かめにに来るようなやつだけなんですよ」

「不幸を、見に?違う。俺は別に、仕事の途中で寄っただけだ」

「なんの仕事をなさっておられるので?」

「まあ、わがままな主人のつかいっぱしりかな」

「そうなんですかい?まあいい。仕事で来ているのならなおさら人手が必要でしょう。お一つ、いかがですか?」

男はゼンが背負っている大きな荷物を見ながら言う。

「この子達は?」

「この子達の中からであればご自由にお選びください。どれもこれも、親は死んでいます。何をさせたところで、責任を問われることはありません。好みの奴隷、どれでも売りますよ」

「人間を売ることは、人道に反してる」

「待ってくださいよ、お兄さん。こいつらは、人間ではありませんよ」

男はひげた笑みを浮かべる。

「こいつらは、物です。泣いている物はいいですよ。まだ元気と言うことだ。どんなことを強いても、なかなか死にませんよ。まだお兄さんは旅を続けるんでしょ?荷物を持たせることも、こいつらをつかって鬱憤を晴らすのもいいでしょうね」

ゼンは子供達に目を落とした。大きく口を開け親の名を呼ぶように泣き叫んでいるものもいたが、黙ってうつろな目をしている物もいる。そういう奴は特に痩せ細り、命の灯火は今にも消えそうに見えた。

「お兄さん、何をためらっているのですか?もしかして、同情をしているのですか?」

男は言うと、一人の子供の腕を引っ張り無理矢理立たせた。一度見たら忘れられないほどに印象的な容姿の少年だ。年はおそらく十歳ほどであるが、ここにいる子供達の中ではもっとも年上に当たるかもしれない。赤い髪と頬から目にかかるほど大きく施された大きな刺繍が特徴的な彼もまたうつろな目をし、枯れ枝のように痩せ細っていた。

「こいつみたいにね、泣く元気もないような奴はどっちみちもうすぐ死ぬんですよ。ここでのたれ死なせるのであれば、あなたに使い古されて死んだ方が有益だって思いません?良心が痛むのであれば、こいつに一瞬の夢でも自由でも見せてやればいい。そのあとで使えば、きっと献身的に役目を全うして死にますよ、こういうのは」

「本当に、この国は堕ちたもんだな」

ゼンは言うと、ため息をついて少年の顔をつかみ、自分の方に向かせて言った。

「命って言うのは、自分のもんなんだ。自分でどうするか、決めるべき物だ。だが、今のお前達の命はこいつや俺なんていう大人に完全に握られちまっている。このままで良い訳がないだろ。何でもかんでも、やる前に出来ねえって思い込んだら終わりなんだ。己を救えるのは己だけだ。このままここで売られているだけでいいのか、お前らにも責任はあるんじゃねえかって、もう一度考えてみることだな」

ゼンは言い終わると少年からそっと手を放した。依然としてうつろな目をした少年にあきれてほんの少し肩を落とすと、その場を後にした。

「お客さん!?」

男は何も買わずに去ったゼンに怒りを覚えたのか、少年を投げ捨てるようにして元の置き場へ放ると血相を変えて叫んだ。

「お前みたいな幸せもんにはわからないんだ!俺たちみたいなやつの苦しみが!いいぜ、わからせてやる!」

「そんなに叫ぶ元気があんなら、お前の分の食事、ガキにわけてやれば?」

ゼンは振り向かすにそう言い返して路地の中へと消えていった。何をしているのか、男の叫び声と重い鎖が振り回されるような音が未だに聞こえる。子供達の鳴き声も一層激しさを増したように思えた。

 もう大通りはこりごりだった。

「こんな場所もあったのか」

裏路地を抜け、少し開けた場所に着いたと思えば、底には大きな噴水があった。ここまでの道もまた死体だらけだったが、この噴水の広場には不思議と人の姿はなかった。まるでこの場所だけがこの都の崩壊から取り残されているかのようだ。

 ゼンはなんとなく、噴水に腰掛ける。考えるのはやはり、あの子供達のことであった。

 先にいっておくが、ゼンには彼らに同情するような気持ちはない。彼もまた廃れたこの国の住人なのだ。自分のことを押しのけ仕事を放り出してまで人助けをしたいという気持ちも、全員を救えるだけの資金もあいにく持ち合わせてはいない。だが、気にならないといえば嘘になる。まぶたを閉じれば、あの赤髪の少年の顔が浮かび上がった。何もかも諦めてしまったようなあの少年は、もうおそらく救済の希望を持ってはいない。現実にあらがうことを忘れ、与えられた運命を受け入れるばかりで意志はなく、たとえ死であってもそれを救いとみなし待っているかのように見えた。先ほどの言葉に嘘はないが、希望を捨ててしまうのは、この国をおとしめた大人のせいだろ言わざるを得ない。声を上げたって誰も答えてくれない、逃げようとしたところで逃げ先がないのがこの国だ。

「子供に罪はねえのになあ」

ゼンはそのまま、考えるのを放置するように横になって眠りについたのであった。


 まぶしい。

 目を開ければ、夕日の光を反射して飛び散る水しぶきが目に入った。ずいぶんと寝てしまっていたようで、辺り一面が真っ赤に染まっている。かつてのこの国であればこの朱色はさぞ映えたことだろう。

 ゼンは体を起こし、大きくあくびをして背伸びをした。

 そしてそのまま、動きを止めた。

「あれ?」

 目の前には、赤髪の少年が立っていた。

「お前」

ゼンがその続きを言う前に少年はゼンに抱きついた。思いのほか強い力で抱きついた少年はゼンの服に顔を埋めるようにしてぴったりとくっついてる。

「俺が親にでも似てんのか?」

一瞬そんな呑気なことを思ったが、少年にとってはそんな剣呑な事態ではないことはわかっている。この少年はいま一世一代の逃走劇を繰り広げているのだ。ついていた手かせ足かせは隙を見て鍵でも奪って外してきたのだろうか。肩が小刻みに震えている。ここまでさぞ怖かっただろう。そして、今、得体の知れない相手に助けを求めることも不安で仕方がないはずだ。だが――。

「もう大丈夫だ」

ゼンは少年を軽く抱きしめた。子供特有の温かさが伝わってくる。

「お前が来てくれて、よかったよ」

 しばらくすると、どたばたと荒々しい足音が聞こえてあの男が現れた。逃げた商品を追ってきたのだろう。だが、やっと見つけた少年の様子をみて彼は目を丸くした。

「おい、お前」

ゼンは少年を抱きしめたまま男に言う。

「いやあ、逃げ出した商品を捕まえていただいてありがとうございます。うちのが失礼いたしました。おい、お前、早くこっちに戻るんだ」

「なあ、どうせこいつは売れ残りなんだろ?」

「え、ええ、まあ」

男は商売の気配を感じたのかもしれない。途端に手をこすりつつにやけた顔を合いだした。

「じゃあ、ちょうどいい。こいつ、いくらだ?」

「おや?その子が気に入りましたか?うちにはもっといい商品もありますよ。同じぐらいの年齢の女もいます」

「こいつがいい。俺になついているみたいだし。気に入ったんだ」

少年はうつろな目でゼンを見上げた。ゼンはそれに答えるように優しく笑ってみせる。

「では、その子をお買い上げということで。では代金の方は――」

ゼンが男と話し込んでいる時も、少年はずっとゼンに抱きついて離れなかった。代金を支払い終え、正式に少年の売買が成立したときでさえ、彼は浮かない顔しか見せなかった。喜べ、というのは傲慢かもしれないが、自分からゼンの元に逃げてきたのだから買われて安堵ぐらい見せると思っていたゼンは正直、違和感を拭えない。

「おい、こっちにこい」

引き渡される前に、男は無理矢理少年を引き剥がすと彼の両肩をつかんで言った。

「わかっているな。仕事をしろ。お前の存在価値は、それしかないんだからな」

少年が体をこわばらせたのが見ていてわかった。商人はゼンにも聞こえないような声で少年にさらに何かを言っているようだった。少年の呼吸が見る間に速くなり、覚悟を決めるように拳を握りしめていたのがわかる。

「なるほどな」

誰にも聞こえないよう小声でゼンはつぶやく。違和感の正体が、今形になったのをその目で見た。少年が背負っているものに彼はもう気がついていた。

絶望。

このとき確かにゼンは、世界に絶望を覚えた。

それでも、

「お前を買って正解だったよ」

少年の頭に手を置くと、ぐしぐしなでてやる。一瞬びくりと肩を震わせた少年だったが、静かにうつむくとまたゼンの元へ戻った。

「じゃ。あんたとはこれで」

ゼンは男に手をふり別れを告げる。男は今得た金を大事そうに懐にしまうと名残惜しむこともなく姿をけした。少年を連れ、ゼンも歩き始める。

「さあ、行くぞ。長い旅路になる」

ゼンが言えば、少年は小さくうなずいた。

 小さな鈴の音が、シャン、と鳴った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ