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第四話 用法と用量は守らなければいけない





 前期試験が終わった朝、講堂の掲示板に貼られた成績表を見上げながら、私はそっと息を吐いた。


 ――前回より、順位が上がっていた。


 それだけのことだけれど、少しだけ安堵した。努力がまったく報われないほど、世界は不条理ではなかったらしい。


 リディア・エルノート嬢は変わらず上位を保っていた。名前を探すまでもなく、掲示の最上段にはいつも彼女の名があった。


 それとは別に、少し離れた場所で誰かが「ライネル卿、今回は順位上がってたよ」と話しているのが聞こえた。


 あの人が? と思ったのは正直な感想だった。


 もちろん、可能性はある。実力が全くないわけではないのだろうし。けれど、ここしばらくのあの人の「伸び方」には、妙な軽さがついて回る。


 ……何か、飲んだのかしら。点数が上がる何か。用法と用量は守ってほしい。


 そんな言葉が浮かんだ自分に少し笑いそうになったが、苦笑で済ませた。


 それにしても、成績も、武科演武会も、今年は話題が尽きない。


 一年生で準決勝にまで進んだ生徒がいると、学内は騒然となった。演武会は本来、武官育成科にとっての登竜門であり、下級生が途中まで勝ち進むことは滅多にない。


 ――「彼の実家、今ごろ釣り書きの山だって」

 ――「侯爵家のご令嬢がハンカチを渡してた」

 そんな噂が、口から口へと連なっていく。


 なんだか、戦の勝敗よりも“誰が誰に気があるか”の方が大事みたいに聞こえて、私はまた少し笑ってしまった。


 

 ◇


 

 そんな浮き足立つ雰囲気とは裏腹に、文官育成科ではいつも通りの討論演習が行われていた。


 今回の論題は――「王国における農民の徴兵義務は是か非か」


 話し合いは前半、各立場の代表が口火を切る形で始まった。


 「恐れながら――私には、この議題に“答え”があるとは思えません」


 そう開口一番に語ったのは、是側の代表として立ったライネル・ヴァン・コルブレッド卿だった。


 声に棘はない。柔らかく、流れるように語り出す。


 「徴兵義務とは、つまり“責任の共有”です。

王国という共同体に属する以上、恩恵と共に負担を担うことは自然なことです。

 それが軍務であれ、納税であれ、あるいは……ほんの少しの時間、畑を離れることであれ」


 彼は、組んだ指をそっとほどきながら、続ける。


 「反対意見も理解できます。農の担い手を軍に割けば、冬の備えは足りなくなるかもしれない。

 でもそれを“苦しいから、嫌だから”と逃げてしまえば、どうなるでしょう?

 誰が兵を出さず、誰が出したか――それが記録され、比較され、分断を生みます」


 一度目を伏せてから、静かに続けた。


 「戦より怖いのは、“この国は不公平だ”という感情です。――私たちは、それだけは避けねばなりません」


 ややあって、彼はふっと苦悩を演じるような間を置いた。


 「徴兵とは、“力を貸してください”という国からのお願いです。農民にそれを求めるのは酷ですか? ええ、酷でしょう。けれど、その“酷さ”を背負っているのは、我々貴族もまた、同じです」


 最後にわずかな笑みを浮かべ、締めくくった。


 「だからこそ、誰もがほんの少しだけ、“痛みを等しく”感じる仕組みが必要なのです」


 最近のライネル卿は、やはり以前とは違う。


 論理も、構成も、言葉の選び方も。


 台詞を読み上げるように朗々と、やや大げさにも思える身振りや手振り。傍目にはしっかり準備してきたように見える。


 それは……どこかで聞いたことのある構成だった。


 まず否定から入らず、相手の懸念に寄り添って。

次に“義務と恩恵”のバランスを持ち出し、

最後に自分をも傷つく側に置くことで、共感を誘う。


 ふと、視線を隣の列へ向ける。


 リディア・エルノート嬢。


 彼女の机の上に開かれたノートは、端がわずかに擦れていた。


 昨日、廊下でライネル卿が「確認だけ」と声をかけていたのを思い出す。


 きっと、ノートを見せて欲しいと頼んだのだろう。

彼女のまとめ方は整っているし、几帳面だ。断る理由も、彼女にはないのかもしれない。


 他人の良いところを取り入れるのは、悪いことではない。そうやって人は学んでいくものだし、自分に足りないものをきちんと認識することも大事だ。


 ……自分の努力によって得るのなら。


 先生の反応も悪くなかったように見えたし、間違いなく高評価だろう。


 最近のライネル卿は、急に“賢い人”になったかのようだ。


 リディア嬢のノートを、資料を、“使って”いるから。


 先生方は、たぶんご存じない。


 本人が受け入れているのなら、外野が何か言う筋合いはないのだろうけれど…。


 そう思って、私は黙って教室を出た。


 リディア嬢の方は、見られなかった。


 窓の外の空を見る、澄み切った青の向こうから入道雲が迫っていた。――もうすぐ夏季休暇だ。


 今年の夏は、どうにも喉が渇きそうで嫌だ。


 

 ◇


 

 夏季休暇は短い。二週間そこそこの期間では、帰省したとしても往復で終わってしまう。


 だから、寮に残る生徒も多い。私もその一人だった。


 リディア嬢は、夏季休暇にあわせて母君と姉君が王都の邸に来られるとのことで帰省された。

 仲の良い家族なのだろう。

 それを聞いて、少しだけ羨ましかった。


 私は数人の友人と連れ立って、中心街へ出かけた。カフェに入ってお茶を飲みながら、ひたすら他愛のない話をする。

 入学してからというもの、机にばかり向かっていたから、こうして緩む時間がなんだか新鮮だった。


 「ねえ、リディア嬢とライネル卿って……どうなってるのかしらね?」


 ぽつりと、誰かが口にした。


 「どうって……悪いけど、あれって、利用してるだけじゃない? その先なんて、ないでしょ」


 「リディア嬢も、どうしてはっきり断らないのかしら。最近は特に、ライネル卿図々しいじゃない」


 「……でもさ、愛想いいし、ご実家に打診が来るかもって、思ってるんじゃない?あの"雰囲気"だけちらっと出して、でもちゃんと“申し込む”とかはしていないみたいだし…リディア嬢も、様子見なのかもね」


 私は、適当に頷いて、紅茶を口に含んだ。


 でも――内心では、思っていた。


 ライネル卿は、きっとリディア嬢のことを、ご家族に話してなんていない。


 “賢い女友達”。

 “少し協力してくれる、便利な同級生”。


 それ以上でも、それ以下でもない。


 “利用できるうちは使って、必要なくなれば終わり”。


 そんなふうに、思っているのだろうと。


 




 

 用法と用量は、守らなければいけない。


 ――人の知識も、人の善意も。


 それを飲むなら、責任を持って使うべきだ。


 ――乱用すれば、副作用が出る。


 他人だけじゃなく、"自分"にも。





 

 

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