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(01)とある町医者の話

 同じ世界に生まれ育った者、が同郷という括りになるなんて……そんなこと二十数年前には想像もしていなかった。日本人であることは当然として、どこの県、もっと細かくどこの市で生まれ育ったのか、その辺りまで細かく同じである人に対して使う言葉なのだと勝手に思い込んでいた。


 年若い娘、という言葉がぴったり当てはまる松井莉子さんは、妻の作った和食っぽい昼食を「美味しいです! 優しくって懐かしい味……」と喜んで食べ、妻を大層喜ばせて帰って行った。


 彼らを見送っていれば、エルガーは松井さんの手を握ってちょっと強引に大通りを西区に向かって歩いて行く。


 松井さんは……困惑している様子だったけれど、嫌がってはなさそうだったのでそのまま見送った。エルガーは良い奴だ、素直で裏表がない。慣れるまで松井さんが振り回される形になるかもしれないが、案外良い関係を築けるようにも感じる。エルガーの真っすぐな心根が、松井さんにちゃんと伝われはいいが……


「リコちゃん、とってもいい子だったわね」


 共に二人を見送っていた妻はそう言った。その言葉に「そうだな」と同意する。


 一度この世界に来てしまった以上、もう日本には戻れない。十中八九、僕たちはあちらの世界では死んでしまっているから。


 それでも何の因果かこちらの世界に飛ばされて、新たに人生を始めるしか道はない。一から生き直すこと、僕たち異世界からやって来た〝違人〟はそれを求められている。


 誰にって? さあ……わからないけれど、恐らく、神様という存在から。




 僕はあの日、家路を急いでいた。勤務先である総合病院から、自宅への通い慣れた道を車で走っていたのだ。


 開業医の次男坊として生を受けた僕は、産まれた瞬間から『医師になること』が家のルールとして決められていた。兄も姉も同じ立場で、僕たちはそれを当たり前として生活してとある大学の医学部に進学して医師免許を取得するに至る。


 しかしながら、父の病院は兄が跡を継ぐことが決まっており、姉と僕は医師として好きに生きることが許された。跡取りとしては必要ないが医師の子は医師になるのが当然、と思っている父と祖父の身勝手は古い時代ではよくある話だったように思う。


 姉は自身が通っていた医科大学に就職し、僕は隣町にある総合病院に就職した。姉と僕がちゃんと医師として職を得たことを、父と祖父が満足そうにしていたのをよく覚えている。近所の人たちから「さすが、石川医院の子どもたち」「出来が違うよなぁ」と言われることで、気を良くしていたし……持ち上げられたかったのだろう。


 姉は就職してから一度も実家に戻って来なかったし、結婚も勝手にしていて、孫が生まれたことも知らせてこなかった。父や祖父や兄をどう思っていたのか、姉と直接話したことはなかったけれど……交流を断ったことが答えだと思う。


 僕自身も、就職を決めて実家を出てからは一切関りを持たずに生活をしていた。


 病院近くの単身者用アパートを借り、病院とアパートを往復する毎日。そんな生活だったが、二十七歳のときに大学時代から付き合っていた恋人と結婚した。


 実家との関りを断つため、僕は彼女の家に婿入りする形での結婚をしたのだ。苗字も石川から池田に変えて、彼女の両親と共に暮らすことを決めた。


 彼女の両親が暮らしている家が、僕の実家とは勤務先の病院から正反対の町にあることも決め手になった……僕は、僕を必要としてくれる人たちと一緒に暮らしたかったから。


 結婚して二年後、妻と僕の間には子どもが生まれた。可愛い女の子だ。


 娘が夕方から熱を出している、妻から連絡を受けて僕は定時で仕事を終えると自宅へと急ぎ車を走らせた。三日前からずっと雨が続き、気温も下がっていたから風邪でもひいてしまったのか……それとも幼児特有の病気なのか。


 とにかく、僕は家に向かった。


 勤務先の病院から自宅まではルートが二つある。病院のある町と自宅のある町を隔てる小さな山、その山を迂回するルートと山の中にある林道を通るルートだ。


 迂回ルートは新しい道で、道幅も広いし街灯も多くて明るい安全な道。けれど、時間がかかる。


 林道を抜ける道は世に言う旧道というやつで、細くグネグネとしている。けれど、最短距離で帰ることができる。


 僕は迷うことなく、林道に車を向かわせた。一分でも早く帰宅して、娘を診察してやりたかったから。

 雨は強くフロントガラスを叩く。車のワイパーは休むことなく動き続けていて、夕方から夜という夜の闇が迫る時間帯は、ますます周囲の様子を認識できない状況になっていた。


 今思えば、僕は迂回ルートを通るべきだったのだ。急がば回れ、という言葉もある。僕が無事に帰宅できなければ、娘も妻も、妻の両親も困ることになる……僕には守るべき人がたくさんいるのだから。


 けれど、焦りに支配されていた僕は林道を選んだ。


 その結果は……僕がこの世界にいるという事実で、わかって貰えると思う。


 三日も降り続いた雨は山の土にたっぷり水分を含ませていて、ちょっとした刺激で土砂崩れを起こす状態になっていたのだろう。天気予報でも注意を促していたはずだ。


 僕は、林道を車で走行している途中で土砂崩れに巻き込まれ……車と共に道路から崖下へと落ちた。そして、そのまま命を落とした……と思われる。


 車の左側にある山面から、大量の土と岩、折れた木などが押し寄せて来たのを覚えている。強い衝撃を受けて、車は流される。あっという間の出来事で目を閉じて叫んだ……そして、次に目を開けたとき、僕は川の畔に倒れていた。


 川に魚を捕りに来たという、親子が僕を見つけて助けてくれたのだ。


 その後は、松井さんとほぼ同じ。国に異世界からやって来た〝異人〟として神殿に保護され、ギフトの鑑定を行って、ギフトと今までの仕事を考慮して町医者として王都で働くことになった。


「……」


 この世界のこの国のこの王都と呼ばれる街で、医者として生きていくことが決まったときの絶望は、昨日のことのように思い出せる。


 愛おしい妻とも可愛らしい娘とも、優しく穏やかな義両親とも、二度と会えない。


 なんとか自分の生まれ育った世界に帰ろうと、情報をかき集め、同じ世界からやって来た人たちから話を聞いた。そして何年もかかって、〝自分はあちらの世界では死亡していて、二度と帰ることはできない〟という自分なりの結論に至る。


「ダイキ? 診療の準備を始めましょう?」


 こちらの世界に来てから娶った妻の声に、現実へと引き戻される。


「ああ、そうだな」


 帰れないという結論に至るまでに三年、それを受け入れるまでまた三年。気が付けば僕は三十六歳になっていて、街医者としてこの街に溶け込んでいた。


 知人の紹介で現在の妻を紹介され、そのまま結婚。妻との仲は良好で、息子が二人生まれた。息子たちは大きな病気やケガをすることもなく(小さなケガは絶えなかったし、子どもがかかる一般的な病気は全て経験したが)元気に成長してくれた。


 今、娘は二十四、五歳になるだろう。どんな女性に成長して、どんな仕事をしているだろう。妻は、義両親は元気だろうか。気にしない日はない。きっと、この世界で命が尽きる瞬間まで、あちらの世界に残して来た愛しい人たちを気にして案じるだろう。


 松井さんはあちらの世界に家族はいない、心残りはないと言った。


 それは……彼女にとって良いことなのか、悪いことなのか、僕には判断がつかない。


 あちらに残して来た心残りがないことは、僕のように二度と戻れないあちらの人たちを想って苦しくなることがないということだ。けれど同時に、心の支えになるものもないということ。


「リコちゃんには、幸せになって貰いたいわ。あちらで家族運がなかった分、こちらでね」


「……そうだな」


 ――どうか、まだ年若い彼女にたくさんの幸せが訪れますように。



 僕はいつも通り、午後の診療準備にとりかかる。

 命が尽きるそのときまで、生きるために。

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