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08 異世界で生きていく覚悟

 美味しいお昼ご飯をご馳走になってから、診療所の診療時間開始前にお暇するとエルガーさんと私は普段暮らしている西区に向かって歩き出す。


 診療所のある東区は学校、図書館、博物館が多くある地域で、文教地区と呼ばれる感じだ。西区は鍛冶屋や道具屋などが多く産業地区な感じでいつも活気があってざわざわしているから、東区は静かで穏やかな雰囲気が懐かしい。


 日本で私が暮らしていた地域は短大の近くで、短大周辺には保育園や小学校があってちょっとした文教地区っぽい感じだったから。


「……リコ、ごめん」


「え?」


 隣を歩いていたエルガーさんが突然謝ってきて、驚いた。


「えっと、謝って貰うようなこと、ありましたか?」


「いや、その……先生のところへ突然連れて行ったのもあるんだけど、リコの過去とか家族のこととか、いろいろ聞いちゃったからさ」


 エルガーさんは「ごめん」と再度口にしつつ、頭をガシガシッと掻く。


「いいんですよ、別に隠してるわけじゃないですし」


「でも……」


「本当にいいんです」


 池田先生のところで改めて父母、母方の祖父母について思い出して、考えた。


 何度考えてもやっぱり出て来る答えは同じだ。


 父と母については、血の繋がりはあるもののすでに私とは家族じゃない。双方、新しく作った家族と仲良く暮らしてくれたらそれでいい。


 祖父母は私を育ててくれて、そして成人を見届けて天国へと旅立っていった。短大を卒業するだけのお金だって私に残してくれたのだ、感謝しかしていない。


 家族についての折り合いはついている。時々彼らを思い出して……少しだけ胸が痛んだり寂しくなったりするだけ。


「両親のことはもうずっと前に私の中で折り合いがついていて、祖父母は私の成人を見届けて旅立っていきましたから。寂しくはありますが、そちらも折り合いがついています」


「……リコ」


「だから、私はこちらの世界に来たことに関しては……悲観していないんです。どうしても帰らなくちゃって思う、そういう相手もいませんし、仕事や資産があったわけでもないので」


 そう、だから、私の中にある不安は、日本でも感じていたものと同じだ。


 このままずっと一人なんだろうか、とか、今いる職場にいつまでいられるだろうか、とかそういう漠然としているものばかり。


 日本には戻ることはできない。


 それがはっきりしたのだから、こちらで生きていくことをしっかり考えるべきだ。


「……リコ、カフェに寄って帰らないか? カップケーキが美味しいって話題なんだ!」


「え……」


 突然のことに驚いていると、来たときと同じようにエルガーさんに手を取られ、私は東区に向かっている道を歩き出した。


「そこでさ、俺の過去を聞いてくれ。リコの話を聞いて知ってしまったから、今度は俺のことを話す。そうしたら、お互いのことを知ることになる。そうしたら、不公平じゃないだろ?」


 別にエルガーさんのことを知らなくても不公平だ、なんて思わない。でも、この世界に来てから誰かと休日に出かけるとか、カフェに行くとか初めてで……もっというのなら、男の人に手を引かれて街を歩くなんて生まれて初めての経験だ。


「いいだろ、リコ!」


「……は、はい」


「よし! どこか途中で寄りたい店とかあるなら言ってくれ、寄って行こう」


 エルガーさんの笑顔を見ていると、つられてこちらも笑顔になってしまう。一緒に笑っていると、私の中にある漠然とした不安も、折り合いがついている家族に対する僅かな胸の痛みも吹き飛んでいってしまうようだった。




 最近できたという人気のカフェの看板メニューは、大きなカップケーキだ。


 ソフトボールくらいあるだろう大きなサイズで、プレーン、蜂蜜味、紅茶味といったスタンダードなものから、季節のフルーツが入ったものやチョコレートクッキーの入ったもの、野菜ペーストを使ったものまで常時十種類ほどの味が取り揃えられている。


 テイクアウト専用カウンターには大勢の人が並んでいて、カフェスペースもほぼほぼ満席だった。


 エルガーさんと私が案内された席は、お店の奥の方。賑わう表通りは見えないけれど、お店の裏側に作られた小さな庭が見える席だ。


 池田先生の奥様が作って下さったお昼ご飯を食べた後だったので、このお店の大きなカップケーキを食べきることは不可能。テイクアウトで一つ買って帰って、ここではお茶を頂くだけにしようとドリンクメニューを眺める。


「リコ、カップケーキ何にする?」


「いえ、私は遠慮します」


「え、どうしてだい? ここの名物だよ?」


「量が多くて、食べきれそうにないので……」


 お昼ご飯をいただき、東区から西区までを歩いた。その間に書店や雑貨屋を覗いたり買い物をしたりしたものの、まだお腹は空いていないのだ。


 そう説明すると、エルガーさんは笑う。


「じゃあ、半分こしよう。一つ注文して、リコは食べたいだけ食べたらいい。残りは俺が貰う」


「ええ!? そんな……」


「いいからいいから。確かに、一つ食べきれずに残すのは勿体ないし、店にも失礼だ。最初から分け合って食べるのならば、問題ないだろう?」


 誰かとお菓子をシェアすることに抵抗はなかった。でも、それは女の子の友達たちとのシェアだったからで、男の人とのシェアなんて……初めてだ。

 おろおろしていると、注文を取りにきた店員さんにも「うちのカップケーキは大きいですから、お仲間で分け合っての注文はよくありますよ」といわれてしまい、結局本日のおすすめだという〝キャロットケーキ〟をお願いした。


 すり下ろしたニンジンとクルミ、干しブドウを使ったヘルシーで美味しいカップケーキ。


 エルガーさんが話してくれる彼の家族の話や、子どもの頃のはなし、警備隊に入隊するきっかけになった話……彼の話を聞きながら分け合って食べるケーキは、とてもとても美味しく感じた。


「リコ、再来週の週末の予定は?」


「特に予定はありません。確か、お店もお休みだったはずです」


「それは、バザールが立つからだ」


「バザール?」


 言葉の意味は知っている、市場のことだ。


「再来週の週末、地方や外国から商人がやって来て市場がたつんだ。各国の珍しい商品がたくさん並ぶし、珍しい食べ物や飲み物を売る屋台もでる」


「へえ、そうなんですね。賑やかで楽しそうです」


 日本でも朝市とか青空市場とか開かれているところがあったし、短大でも〝ニッコリマルシェ〟という名称で朝市を開催したときがあった。地元の新鮮な野菜や果物、地元に店舗を構えているお店の菓子やパンが並んでいて、商品を見ながら歩くだけでもとても楽しくてワクワクしたのを覚えている。


「よければ、一緒に行かないか?」


「……え」


 急なお誘いに、私はすぐ反応することができなかった。

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