07 世界を渡るという仮説
池田先生はメモを見つめ、そして机の引き出しの中から分厚いファイルを取り出して中身の紙をペラペラと捲った。ファイリングされている紙には文字がびっしりと書かれている。内容は私の座っている椅子からは見えない。
「……池田先生?」
「ああ、いや、すまないね。……僕が異世界からやって来た人たちからの聞き取り調査を初めてから、二十年が経つんだ。その間にこうやって直接話ができたのは十四人、松井さんで十五人目になる」
「十五人……」
その人数は私が想像していたよりもずっと少ない。
この世界にやって来る人はもっとたくさんいるんだと思っていた。この国にやって来た異世界からの〝違人〟は三年ぶり、と聞いていたけれど池田先生が調査していた時間は二十年だ。もっとたくさんの人たちから話が聞けたと思うのだけれど……
「少ないと思うかい?」
「はい、その、正直にいえば」
「あちらからやって来た人はまず神殿に集められるよね? その後でギフトを調べて、そのギフトが活かせるように散らばっていく。学校へ入学していったり、師匠になる人の元へ弟子入りしていったりね。僕が会えるのは、この街で働くようになった人だけなんだよ。しかも、この王都の下町だけ。だから、なかなか顔を合わせることが難しい」
そういわれたら、私と一緒にやって来た女子高生たちは魔法学校の生徒で、コンビニバイトくんは音楽学校の生徒。三人に連絡をとることができるか、となるとできない。
「……なるほど、難しいんですね」
「まあね。それで……今まで話しをした十五人と僕自身の経験から見えてきたことがあるよ。聞く?」
「はい」
私は椅子に座り直して、背筋を正した。
「僕のたてた仮説はね、あちらで何らかの原因で命を落とした人間がこちらに飛ばされて来てるんじゃないかってものだ」
「え」
心臓がドキッと大きく鼓動する。
命を落としたって……死んじゃったって、こと?
「みんなね、事故だったり、災害だったりに遭遇して命の危機に晒され、意識をなくして、そして気が付いたらこちらにいたって言うんだよ」
「わ、私……コンビニで車とトラックが……」
「そう、松井さんはコンビニの店内に事故を起こしたらしい車両が突っ込んで来たという事故に遭遇したんだね。恐らく、その事故で……命を落とした」
私は俯いた。きっと、池田先生の言うことは正しい。あのコンビニで、大きなガラスを破って店の中へ入って来た車……あれに押しつぶされたんだと、思う。
「……僕はね、車を運転して自宅へ帰る途中だった。山の中を抜ける細い道で、夜も遅かったし雨も降ってた。その時、事故にあって……気が付いたら、この国の河原に倒れていたよ」
「つまり、池田先生はその時に?」
「恐らくだけど、死んでしまったんじゃないかって思う。交通事故だけじゃなくて他にも、海や川で溺れたとか、スキーをしていたら雪崩に追われたとかって人もいたからね。コンビニに入って来た車を運転していた人がいなかったのは、彼らが生きていたからかなと思う」
「でも、死んでしまった人がみんなこちらに来てるわけじゃないですよね?」
池田先生の仮説でいうのなら、あちらの世界で死んだ人がみんなこちらの世界に来ることになる。でも、そんなに大勢の人が来てる事実はない。
「うん、だからね、突然の事故や災害で亡くなったことにプラスして、何らかの条件があるんだと思う。それがなんなのかはわからない。だってね、そもそもあちらの世界で死んだ瞬間、もしくは死ぬ直前にこちらに来たとするなら……体は傷だらけだと思うんだよ」
確かに、コンビニで最後に見た景色は銀色のハイブリッドカーと運転していたお婆さん。あのまま車に押しつぶされて死んだのだとしたら、私の体はあちこち骨折して傷だらけのはず。
でも、こちらに来た私は手に僅かなかすり傷があっただけ。
「けれども、僕たちの体はなんともない。つまり、傷付いた体を捨てて魂だけになってこちらに来たってことになるよね? でも僕たちは体を持ってる。この辺りも理解が及ばないのだけれど、……こちらの世界には神という存在が実在していて、神の奇跡なる不可思議な事象も実際に起こるのだから、そういうものだと言われたら解決する。神の奇跡で、こちらの世界で生きていくための肉体を与えられたってね」
「……なる、ほど」
「まあ、僕は色々と調べて、聞いて、それを元に考えて仮説をたてている。けど、だからどうということはないよ」
「え?」
「なにもならない。趣味のようなもの、だね」
手にしたファイルを閉じると、池田先生は苦笑いを浮かべた。
「僕たちはもう生まれ育ったあの世界に帰ることはできない。恐らく、あちらでは死亡したことになってると思う。もし、死ぬ直前にこちらへ飛ばされたんだとしても、その原因がわからないし、世界を越えるだけの力も技術もない。帰りたいとどんなに願っても、帰ることはできない。……それに気が付いてからはね、趣味になったんだよ、同じ世界からやってきた人たちとのお喋りが」
そう言った池田先生はとても悲しそうでいて、悔しそうな目をしていた。そんな目を見て気が付いた、きっと池田先生は帰りたかったんだろう。あちらの世界へ、日本へ、元の生活に戻りたかった。だからこそ色々と調べて、聞き取り調査をすることで帰る方法がないか探っていたのではないだろうか。
「松井さんが知りたいこと、聞きたいことはあるかな? 僕がわかる範囲で答えるよ」
「いえ、その……どうあってもあちらに帰ることができないって、はっきりしたので大丈夫です。でも、知りたいことができたらお聞きしてもいいですか?」
私はどうしてもあちらに帰りたい、という気持ちはない。家族だった祖父母は他界していたし、血縁関係にある父母とは縁が切れている。半分血の繋がった兄弟なんて、顔を見たことがないし名前も知らない。
先のことに関しての不安はあるし、世の中のことだって全て理解できているともいえない。でも、こちらでは生活できる部屋があって、仕事がある。少しだけだけど、こちらの方が好条件ともいえる。
「長時間、色々と聞いてごめんね。松井さんから聞いたことは、僕が個人的に調べたものとしてここに保管させて貰うよ。それ以上のことに利用したりしないから、心配しないで。もし、なにか知りたいことができたり困ったりしたら、気軽に訪ねて来て。あ、具合が悪くなったときもね」
「……はい、ありがとうございます」
「こちらこそ、今日はおじさんの話に付き合ってくれてありがとう。お礼といったらなんだけど、お昼ご飯を食べて行って。僕の奥さんが用意してるから」
池田先生の奥様はこちらの世界の方で、とても明るくてエネルギッシュな女性だ。〝看護〟ギフトを持っていて、ご夫婦でこの診療所を運営されている。お二人の間には息子さんが二人いて、お二人ともそれぞれギフトに合った学校で勉強中なんだとか。
こちらの世界にやってきて二十三年になる池田先生は、奥様と二人の息子さんと共にこの世界でちゃんと生きている。この世界に骨を埋める覚悟ももうしてるんだと思う。
ただ、あちらの世界に残して来た大切な人たちを思うと、悲しくて苦しくなるのだろう。
ご馳走になった昼食は日本風の家庭料理だった。
炊きたてのご飯、出汁の効いた卵焼き、具沢山の豚汁、根菜の煮物、青菜のお浸しなど……祖母の味と少し似ている、とても美味しく優しい心温まる味だった。
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