06 同郷人との出会い
私がこの食堂、《雪山の迷宮邸》で働き始めて半年。食堂は月に二日の定休日があるのだけれど、今日から三日間は臨時休業。
アラーナさんの一人娘、セシリーさんの手術が行われる日。アラーナさんは朝早くから付き添う予定なのだ。
セシリーさんの容体は、詳しくは聞いてないけれど……良いとは言えないらしい。今日の手術がうまくいって、早く元気になれるといい。入院する前までは、母娘二人で食堂を切り盛りしていたと聞いたから、そうなるのが一番いいのかなって思う。
食堂で働き始めて、初めての休日だ。休日なんて一日もない、とか飛んだブラックな職場だなって最初は思ったけど……休みを貰っても私には予定なんてかった。
友達はいないし、この世界の娯楽は少なくて演劇や魔道楽団の音楽を鑑賞すること、絵画を見ること、本を読むこと、植物公園を散策すること、市場を散策することくらいしかない。日本は娯楽大国(映画、演劇、アニメ、小説、コミック、ゲーム、ダンス等)だったんだな、と改めて痛感する。
時間ができると後ろ向きなことを考えちゃいそうだったから、お仕事が毎日忙しいことが私の掬いになっていると気付いてからは、ブラックだなんて感じなくなった。生きるために、頑張って働いている自分、という立場が安心できる要素になっていたのだ。
だから、三日もお休みと言われても……ちょっと困ってしまう。下宿部屋の掃除と、衣類の洗濯が終わればもうすることがない。
まだ食材に余裕はあるけれど、パンとハムくらいは買いに行こうかと財布を持って下宿を出た。お店が並ぶ通りまでは、歩いて十五分くらいだろう。改めて、街の様子を眺めながら歩いていると「リコ!」と声をかけられた。
「……エルガーさん!」
「リコ、今日は休みなんだろ?」
「はい。女将さんは病院です」
「そうだった。ところでさ、今から予定、あるか?」
「いえ、特には……」
そう答えると、エルガーさんは「じゃあ、ちょっと付き合ってくれ。リコに会いたいって人がいるんだ」といって私の手首を掴んで歩き出す。
「えっえ……」
私はエルガーさんに引き摺られるように、向かったことのない方向へと足を進めたのだった。
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「すまないね、急に」
連れて来られたのは、私の生活エリアとは真反対にある東区にある診療所だった。今は休診時間なのか、診察所エリアには誰もいない。
少し大きめの建物で、表側は診療所で奥と二階部分は住宅になっているらしい。白を基調にしていて、待合室と処置室と診療室があって……日本の個人病院と全く同じ作りをしている。
それもそのはずだった。私の目の前にいるお医者さんは、日本人なのだ。
「僕の名前は池田大樹、見てのとおり医者をしてる。日本で生まれて育って、今年五十三歳。こちらの世界に来て二十三年目になるかな」
大きな机と丸い形の椅子、白衣を着た姿も日本で診察を受けるお医者さんの姿そのまま。白髪の混じった髪と、目尻に出来た笑い皺、優しい口調に、同じく日本から来たということもあって初対面だというのにホッとした。
「松井莉子といいます。十九歳です」
「……若いねぇ、大学生だった?」
「はい、短大に通っていました」
短大の名前をいったけれど、池田先生は当然ご存知なかった。
「ああ、僕はねこちらの世界について色々調べていてね。こちらに来た人たちのデータも取ってるんだよ」
「データ、ですか?」
「うん、どこから来たのか、年齢、性別、向こうでの職業という基本的なデータから、どういう状況でこちらにやって来たのかってことまで。それをできるだけ多くの人から聞き取ってまとめることで、見えてくるものがあるんじゃないかって思ってね」
「そう、なんですね」
池田先生は警備隊に所属する人たちのケガや病気を治療して(先生のギフトは〝調薬〟だそうだ)いて、その関係から警備隊に入って来る〝違人〟情報を得ているらしい。得られた情報をどこかに公表するわけじゃない、そういう約束で聞き取りをずっと続けて来たようだ。
情報を公開するっていっても、こちらではテレビもネットもSNSもないのだから、公開する先がないのが現実じゃないかな。
「それで、松井さんの話も聞かせて貰いたくて、エルガーに頼んで呼んで貰ったんだよ」
「突然で悪かったな、リコ。なかなか先生の時間とリコの時間が合わなくてさ」
エルガーさんは肩を竦め、髪をガシガシと掻き混ぜた。
「いえ、大丈夫です。特に予定はありませんでしたから」
「ありがとう。あ、わかる範囲でだけど松井さんの知りたいことも話せるからね」
池田先生はそういって、カルテのようなメモ用紙とペンを手にとる。
「えっと、松井さんは短大生だったんだね。実家くらしだったのかな? 家族構成は?」
「短大の寮でひとり暮らしをしていました。家族は……いません」
「え?」
池田先生は一瞬だけメモを取る手を止め、声を出して固まったのはエルガーさんの方だった。
「存在はしてるんですけど、もう関りがなくなっていたっていうか。その、両親は私が八歳のときに離婚しました。父も母も離婚する前から恋人がいて、新しい家庭を作る気でいたんです。だから、私の存在が邪魔で……結局、母方の祖父母が私を引き取ってくれました」
両親、どちらからも「いらない」、「邪魔」といわれた私は、父方の祖父母からも「うちでは引き取れない」といわれて……母方の祖父母が引き取ってくれなければ、施設に入る予定だった。
私を祖父母は引き取ってくれて、短大にまで進学させてくれた。二人は優しかったし、親代わりとしてしっかり私を育てて愛してくれた。とても感謝している。
高校二年のときに祖父が他界し、短大に入学後に祖母も旅立っていってしまった。私の成人を見届けてから旅立ったのは、保護者としての務めを果たしたと言わんばかりだと感じた。
悲しくて寂しかったけれど、祖母の葬儀の席に「ご苦労様ね。これ、お香典」といってまるで弔問客のように顔出してきた母を見た瞬間、寂しいなんて気持ちは吹き飛んだ。
母は再婚した相手と幸せに暮らしていて、私にとっては異父兄弟になる弟と妹がいること。以前の結婚生活とは比べ物にならないほど今は幸せで、最初の結婚がいかに失敗で、私の父親がどんなにダメな男であったかを私に語って聞かせた。
――じゃ、後のことはよろしく。私の家庭にアンタの居場所はないから、絶対に来ないでね。
そう言って祖母を見送ることもせずに帰って行く母(当然異父弟妹も現在の夫も来ていない)を見た瞬間、この先一人で頑張るんだ、あの母親の世話には絶対にならないんだから! と妙な決意を抱いたのをよく覚えてる。
そんな強くもった気持ちも、就活の失敗が続くことでくじけそうになったことも、よく覚えてる。
「お祖父さんお祖母さんはとても愛情深く、立派な方だったんだね」
「はい、祖父母にはお世話になりっぱなしで、とても感謝しています」
池田先生はサラサラとペンを走らせる。
「じゃあ、この世界に来たときのことを聞いてもいいかな? 松井さんはここに来る直前、どこでなにをしてた?」
「ああ、はい」
帰宅途中、近所のコンビニに入ったこと。そこに事故を起こした車とトラックが突っ込んで来たこと。そして意識を失い、気が付いたら見知らぬ森の中にいたこと。そのコンビニにいた店員さんと、二人の女子高生と四人でこの世界にやってきたことを説明する。
「……車とトラックの一部分もこちらにあったんだね?」
「はい。運転席部分はありました、でも、運転手さんは二人ともいませんでした」
池田先生は「ふむ」と言いながら、メモに視線を落とした。
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