16 異世界で生きていく覚悟・再び
落ち込む気持ちを引きずって家に戻って来た。
失恋って、本当に胸が痛くなるんだなぁ……自覚したとたんに失恋とか、私とエルガーさんの間には男女関係の縁が全くなかったんだって思わされた。
二日くらい前から体がだるいというか、重たい感じがしていたけれど……それが急に強くなってきた。妙に喉が渇いてもいる。まずはお茶を淹れようとやかんに水を入れていると、大きく目が回る感覚に襲われた。さらに喉の渇きもひどくなって、全身から汗が噴き出る。
私はその場に蹲って、眩暈が治まるのを待つけれど……治まってくれない。
噴出した汗が顎を伝って床に落ち、水玉模様ができていく。喉が渇いた、目が回る、気分が悪い、体が震える。
なにかおかしい。失恋は心が痛いんであって、体にこんなにはっきりと不調が出るとかありえなくない?
「戻りましたよ、リコ。……リコ!? リコ、どうしたんです!? しっかりしてください!」
仕事を終えて戻って来たらしいディルクさんの声を聞きながら、私は必死に突然始まった体の異常を堪えていた。
***
「リコさん、あなたは今薬物中毒の症状が出ています」
「……薬物、中毒?」
部屋で体調を崩した私は、すぐさま神殿系列の病院に運び込まれて診察と処置を受けた。薬を飲ませて貰って落ち着いたところで、白衣を纏ったお医者さんは信じられない言葉を口にした。
「はい、体の重だるさ、異常な喉の渇き、大量の発汗などの体調不良、心持ちが不安定になる、これらは皆とある薬物が切れたことによる禁断症状です」
私が薬物中毒?
その言葉で思いつくのは、〝麻薬〟だ。
植物やきのこや化学物質から作られていて、百害あって一利なしが形になった危険な代物。強い常用性があって、一度使うと止められなくなって体と心を壊してしまう……そんな危険で恐ろしいもの。
「リコさんが接種したと思われる薬は、植物の実から作られて主に医療用にも使われるものです。痛みを和らげたり、不安な気持ちを少なくしたりする効果があるのです」
向こうで言う、モルヒネのようなお医者さんが管理して使う薬のようなもののことだろう。
「ですがそれは、必要とされる方が適切な使用方法に則って使う場合に認められているものであって、誰でも気軽に使うことができるものではありません。あなたは不適切な使用をした結果、薬が切れかけて禁断症状が現れたのです」
「……私、そんな薬は飲んでいません」
「その薬は、爽やかな香りとほんのり甘い味がします。そういう飲み物を飲んだり、お菓子を食べたりしませんでしたか?」
爽やかな香りと甘い味。そう言われれば、攫われてから出されるご飯やおやつのときに出てきたお茶からは、柑橘系のような爽やかな香りがして口にすると甘い味がした。とても美味しいお茶だった。しかも、そのお茶はいつでも飲めるようにティーポットにたっぷり用意されていて……私は暇であったのも手伝ってちょくちょく飲んでいたのだ。
「……お茶を、飲みました。攫われて、部屋に監禁されていたときに。部屋にいつも用意してあったんです。甘くて、柑橘系の香りがするお茶です」
「きっとそれですね。紅茶に混ぜ込んで飲むと、美味しくいただけるのでよく使われます。……たくさん飲むと、恐怖や不安といった感情が感じられなくなって、代わりに幸福感を得られるようになるのです。恐らく、攫われて監禁されているという異常な状況にあって、怖いとか不安だとかいう気持ちを少なくさせるために飲ませていたのでしょう」
そう言われてみれば、攫われて知らない街へ連れて行かれて、これからよくわからないパーティーに出品されて誰かにお金で買われるっていうのに、そのことに関してあまり怖いとか思わなかった。臆病者である私が怖いって思わないなんて……すでにおかしい事だったと思う。
「大丈夫です、治りますから心配しないでください。中毒症状を緩和する薬……あ、薬草ですからご安心を。薬草茶がありますし、体から薬が抜ければもとに戻ります」
「……はい」
聞けばアメーリアさんも同じ状態になっていて、池田先生が治療にあたっているらしい。池田先生が診てくれているのなら、アメーリアさんは心配いらないだろう。
私は薬が抜けるまで入院することになった。おおよそ二週間程度で薬は完全に抜けて、再検査をした後で退院できるらしい。
入院して最初の二日間は、禁断症状が出た。喉が渇いて、眩暈がするっていうちょっと苦しいやつ。でも、病院が用意してくれた薬草茶(十六種類の植物からできたお茶と近い味がする)を飲むと体調不良は改善される、それを繰り返すのだ。
三日目からは症状はほとんどなくなって、病院の薬草茶を飲んでトイレに行くのを繰り返して一週間もすると、体感的には健康体に戻った感じがした。
「よくなってきたようで安心したよ。でも、もう一週間は治療に専念するようにしてね。新しい職場については、候補をまた持って来るから」
ディルクさんは一日置きに私の様子を見にやって来る。そこまでマメにお見舞いに来てくれなくてもって思うけど、他に来てくれる人もなくて……ちょっと嬉しい気持ちは否定できない。
「ありがとうございます」
「それで、次の就職先の希望を改めて聞いておこうと思って」
「……その前に、お願いがあるんですけど。でも、あの、それができるのかどうかが疑問ではあるんですけども」
「なんだろう?」
ベッドの脇に椅子を持って来て座るディルクさんは、胸ポケットからメモ用紙とペンを取り出した。
「あの、私が異世界から来たことを消すか、伏せてわからないようにすることは、できないでしょうか?」
ディルクさんは目をまん丸にして驚いた顔をし、そして息を吐いた。
「あ、無理ならいいんです」
「いや、可能だよ。過去にも自分が違人だということを消して、この世界の人間として生きた人がいた、そんな記録が残っているから」
「そう、なんですね」
この国で苗字を持っているのは、貴族階級の人たちだけ。平民には苗字がない。貴族でないのに苗字があるのは、異世界から来た者だけなのだ。
異世界から来た違人を好む人が一定数いる。特別なギフトを持っている人が多いとか、魔力が豊富な人が多いとか、特別な知識や技術を持っている人がいるとか、理由は様々あるようだ。とにかく、強引に違人を手に入れようとする人たちが一定数いる。
その話を最初に聞いたときは、実感がなくて「そんなことあるわけない」って思った。でも、今は身を持って知った……私が平凡な見た目であっても、特別な知識や技術がなくても、ハズレなギフト持ちであっても、魔力が中の下という量であっても〝異世界から来た〟というだけの理由で攫われることが現実にあるのだ。
なら、異世界から来たということを知られなければいい。
幸い私の魔力は高くないし、ギフトだってはずれだ。見た目は特に秀でてるわけじゃない、平々凡々。髪や瞳の色も平民にはよくある焦げ茶に茶色で、全く目立たない。だから違人だと言わなければ、身分証に記載がなければ……どこにでもいる平民女性になれるはずだ。
「リコ。異世界からやって来た〝違人〟であることを表に出さない、ということはこの世界の平民として生きるってことになる。一応、リコには今〝違人〟であるから、と優遇されていることもあるんだよ」
全てを失って、身一つでこの世界にやって来た私のような存在には、この国で生きていくための庇護、様々な補償がある。神殿が運営する施設は優先的に使えるし、お金もかからない。ディルクさんのようなお役人が、私の面倒を見てくれるのも私が〝違人〟だから。
きっと他にも、私が知らないだけで便宜を図って貰っていることがあるんだと思う。
国からの庇護類を優先的に受けることはできなくなるし、受けられなくなる補償もあるかもしれない……一人ぼっちで、この国に生まれた平民として生きていく。
それが、私に……できるだろうか?
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