(03)とある警備隊員の話
警備隊西部地区本部、ここに来るのはいつも緊張する。いつも俺がいるのは西部地区第三警備隊舎で、分舎のような小さなところだからだ。
本部に呼ばれるってことは、ついに俺の転勤が決まったってことだろう。王都警備隊の西部地区に配属になって四年目だ。若い頃は五年以上同じ地域での勤務はないって先輩から聞いてるから、恐らく確定だろう。
俺と同じように西部地区本部に呼ばれているのは五人。こいつらも同じく転勤組で、次の任地がどこになるのだろうとソワソワしている。
「シュルツ隊員」
一人ずつ地区長執務室へ呼ばれて、新しい任地が言い渡されるのだ。俺は右手と右足が一緒に出そうなほど緊張しながらも、それを隠すように「はいっ」と返事をして扉をノックした。「入れ」の声の後で入室する。
「第三警備隊所属、エルガー・シュルツであります!」
飾り気一つない巨大な執務机に付いているのは、警備隊西部地区長。その脇には副地区長もいる。
室内は実用性しかない、大きな机、インクのたっぷり入ったインク壺、数本のガラスペン、書類を入れる箱。壁には歴代の西部地区長の肖像画が並ぶだけだ。
「シュルツ隊員、キミは長年西部地区第三警備隊の隊員として活動をしてきたな。もう、四年目になるか」
「はっ」
現在の西部地区長は十六代目。確か、何代か前に祖父が地区長になっているエリートだ。四十代の始め頃、最近流行りのイケオジというやつだろう。
「……警備隊の慣例は知っているな? 二十代の内は転勤が数年毎にあり、各地域によって違う文化や生活様式を自身の身を持って知って、学ぶことになっている」
「承知しております!」
「では、エルガー・シュルツ隊員へ辞令を下す。今月末をもって王都西部地区第三警備隊を離れ、新たな任地で警備隊任務を命ずる」
心臓がバクンバクンと動いている、まるで心臓が耳元まで上がってきているみたいに大きな音だ。
新しい任地はどこだ? 王都内部での移動だと嬉しい、引っ越しも簡単だし、アマーリエにも言い出しやすい。王都は無理でも、せめて王都に近い街だと嬉しいんだが……
「キミの新しい任地は……」
副地区長が口にした新しい任地を聞いて、俺は目の前が真っ暗になった。
そこは東部地域の中でも、一番北にある街の名前だったから。
一年の半分は雪に覆われる寒さの厳しい地域で、街より北は深い森が広がっている。森の奥は人の手がほとんど入っていないため、魔獣の生息地だ。そのため、警備隊員の主な役目はギルドの冒険者たちと協力しての魔獣対策だと聞いた。
食べ物を求めて森から出て来る魔獣が人の暮らす街や村に入らないように見回りをし、定期的に魔獣を間引く討伐作業もある。東部地域で三年を過ごすことが出来れば、武芸や魔法の達人になれると言われてもいるくらい……厳しい土地。
生まれも育ちも王都近郊で、警備隊員になって最初の任地は王都東部。最初の転勤で西部へと変わった。中には王都の五つある地区を全て回ったという、そんな警備隊員もいるくらいだ……俺もその口なんじゃないのかって思っていた。悪くても、王都に近い街や村だと。
それなのに……
「シュルツ隊員、どうした? 次の任地はここから遠くにあり、また東部遠方の街は施設もあまり整ってはいないし、魔獣被害も王都とは比べ物にならないほど多い。はっきり言って厳しい土地だ」
「は、はい……」
「キミは王都から出たことがない。だからこそ、地方の街の様子を知り頑張ってほしい」
警備隊は縦社会だ、上司の命令は基本的に絶対。俺が東部地域の田舎街への転勤はすでに決定していて、その旨は転勤先もすでに了承済みだ。この話を取りやめにするためには、俺がこの場で警備隊員を辞めるしかない。
吹けば倒れてしまいそうな弱小男爵家の五男として生まれ、警備隊に入れば食うに困らないという両親のすすめに従って警備隊へ入隊した。そのための勉強しかしてこなかったし、入隊後も新しい勉強をしたり訓練をしたり、そんなこともしていない。
俺には警備隊の隊員として働くしか、道がない。ここで無職になってしまったら、アマーリエとの結婚なんて絶対に出来なくなる。それは、嫌だ。
「は、はい……最前を、尽くします……」
あとはもう、アマーリエを信じるしかない。結婚して、俺と一緒に東部の街へ行ってくれという言葉に頷いてくれることを。
「ああ、それと、婚約したそうだな。おめでとう」
地区長も副地区長も俺とアマーリエを祝福してくれた。なんの役職もない、ただの平警備隊員の婚約を祝って貰えるなんて、光栄なことだ。
「ありがとうございます」
「お相手は例のパーティー事件で救出保護した、異世界からやって来た乙女の一人らしいな。とても美しい乙女で、キミと似合いだとも聞いた」
「は、はい。彼女に相応しくあるため、これからも努力を……」
「そう言えば、《雪山の迷宮邸》で働いていた違人の乙女を口説いていた、そんな話も聞いた」
「……は、え」
冷たいのに、どろりとした感じにある汗が全身の毛穴から噴き出す。目の前にいる二人の目は全く温かみを感じない、冷たく鋭いものだ。それが俺に向けられている。
どうしてアマーリエと出会う前に、俺がリコを口説き出していたことを知ってるんだ?
そりゃあ、リコには悪いことをしたと思ってる。あの時はリコに俺と結婚して貰いたかった。
違人だから小柄な体格なのにもう大人で、派手は全くないけど花壇に植えられたスミレの花みたいな、控えめな可愛さのある子。
店の掃除をリコがするようになってからは、店の中はもちろん外回りだって綺麗になった。調理補助のギフトがあって、家庭的で、浮気もしないだろうし、俺を立ててくれそうだった。
だから結婚してほしいと思った。
でも、仕方がないじゃないか。俺はアマーリエと出会ってしまったんだから。
美しい金髪に透き通った青い瞳、整った容姿、華奢なのにそれでいて豊満な体。リコと結婚したいって思った全ての事柄が、一気に吹き飛ぶんでしまうほど衝撃的な出会い。俺と彼女は運命の相手なんだって、すぐにわかった。
だから、だから、仕方がないんだ。でも、問題ないはずだ。だって、具体的なことはリコになにも言ってなかったんだから。それ以前に付き合ってもない、だから……大丈夫だ。
「三番隊の警備隊舎で働く事務局から苦情が来ている」
「え?」
「例のパーティー事件から助け出してくれた礼を言いに、食堂で働いている方の乙女が差し入れを持って訪ねてきてくれたそうだ。事務員の一人が気を利かせて休憩室へと案内したところ、中から聞くに堪えない自分勝手な会話が聞こえたと」
「……はっ……あ」
「結局乙女は休憩室には行かず、その場でお礼を言って去ってしまったそうだ。彼女はとても傷付いている様子だった、と報告が来ている。その後、彼女は西部地区から去ってしまったとも」
リコが、西部からいなくなった? どこへ行ったんだ!? 行く宛なんて、ないはずなのに。
油っぽい汗が更に噴き出る。
「事務員は恥ずかしいやら、憎らしいやら、申し訳ないやら……大変居た堪れない気持ちになったそうだ。街の治安を維持し、街に暮らす人たちの生活を守るための警備隊員が、まだ年若い乙女を弄ぶとはどういうことか、とな」
副地区長は足元に置いてあったらしい箱を机の上に置いた。ドスンッと重たい音が響く。
「キミのしたことは犯罪ではないのでな、罪になることはない。ただ、一人の男として、人間としての在り方には問題があるようだ、そう判断せざるを得ない」
箱の中には紙が大量に詰まっていて、それら全てが苦情書類らしい。数えきれないほどの量がある。目の前になければ、信じられない量だ。
「この話は、キミの婚約者にも通してある」
「えっ……、ど、どうして、アマーリエに?」
「それはもちろん、彼女もまた警備隊へ礼を言いに来てくれたからだ。同時に、おまえと婚約したことも報告してくれた」
全身の血が下がっていく。
俺がリコにしたこと、リコに対して考えてやったことを……アマーリエに知られている?
「すでに婚約者を得た以上、再びなんの落ち度もない乙女の心を弄び踏み躙るようなことはしないと思うが……新たな勤務地で心を入れ替え、誠実に人を接し、人間として成長することを、真面目に職務に励むことを願っている」
「……以上です。総務課で正式な移動辞令書を受け取って、期日に間に合うよう出発しなさい」
地区長と副地区長の言葉が体を切り裂いたように感じられた。
その後、どうやって西部地区本部を出て第三警備隊舎に戻って来たのかわからない。書類仕事もできず時間をただ過ごし、気が付いたときには宿舎近くにある公園のベンチに座っていた。
「エルガー」
名前を呼ばれて顔をあげると、苦しそうな顔をしたアマーリエが俺の目の前に立っていた。顔色がとても悪い。それは殆ど落ちてしまった夕日のせいじゃない。
「エルガー、話しがあるのだけれど……いいかしら? 私の質問に、正直に答えてほしいの」
「あ……ああ……」
アマーリエ、愛しているよ。キミだけを愛してる。
「あなたの上官さんから話を聞いたの。あのね……」
リコに酷いことしたことなら、謝る。もう二度とこんなことはしない。キミを裏切るようなこと、悲しませるようなことはしないと誓うよ。
でも、キミに出会ってしまったから、キミを愛してしまったから……だから、仕方がなかったと言ってくれ。
お願いだ、アマーリエ。キミを、愛してる……だから……
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