12 思い当たる節がありやなしや
「……どうして、こんなことに……?」
私は無意識に呟いていた。
「あなたは、攫われることに思い当たることはないの? あ、あなたのお名前を教えて貰えるかしら?」
「すみません、自己紹介が遅くなりました。私はリコ・マツイと言います、十九歳、日本人です。リコと呼んで下さい」
私は軽く自己紹介とここに至るまでの説明をした。コンビニでの事故、神殿に保護されたこと、警備隊とギルドメンバーが主に利用する食堂で働いていたこと。夕食用のパンを買いに出かけて、突然人攫いにあいここへ運ばれて来たことを。
「そう、リコは……思い当たることがないのね」
「はい。えっと、アメーリアさんは誘拐される理由に心当たりがあるのですか?」
そう尋ねると、彼女は苦笑いを浮かべて肩を竦めた。
「私、ホテルで働いていたと言ったでしょう? お金持ちや身分の高い人が泊まる高級ホテル」
「はい」
洗濯のギフトを持っている彼女が働く場所として、高級ホテルの洗濯係りは相応しい職場だろうと思う。きっと尊い人も満足できる、美しい仕上がりで全てを洗いあげてくれるだろうから。
「そのホテルのオーナーは、とある高位貴族なのですけれど……私、その貴族の息子さんに言い寄られていました」
「ああ、それは……」
アメーリアさん、とても美しいので好きになっちゃったご令息の気持ちもわかる。二十二歳のうら若き美しい女性なんだもの。
「でも、私……その方の気持ちには応えられないので、お断りしました」
「なぜお断りしたのか、聞いてもいいですか?」
「この世界には、平民と貴族という身分がありますよね。聞いた話によると、平民と貴族は結婚ができないのです。平民は平民と、貴族は貴族と結婚することが法律で決められています。例外的に王妃様との間に五年間子どもが出来なかった国王陛下だけが、身分を問わずお妃様を迎え入れることを許されるとか。ですから、彼の申し出を受け入れることは〝愛人〟とか〝妾〟になれと言っていることと同じです」
「なるほど。それは、お断わりですね」
アメーリアさんは首を縦に動かし「そうでしょう?」と言う。
「しかも、その方には同じ高位貴族家生まれであるご令嬢が婚約者にいらっしゃるのです。それなのに愛人なんて、とんでもない話です」
「うわあ」
婚約者がいるっていうのに、ゲスな行動だ。婚約者のご令嬢にも、アメーリアさんにも失礼極まりない。
「……私はあの人と関わるつもりなんてありませんでした。顔も見たくなかった。だから、転職を考えていたところだったのですが……婚約者の方からしたら私は邪魔者でしかなかったでしょう」
「えっ、もしかして……その婚約者のご令嬢が、アメーリアさんの誘拐を?」
「証拠があるわけじゃないですよ? でも、私があのホテルで働いていることを気に入らない人はだれか、と考えたとき……彼女と彼女の家しか浮かばなかったの」
アメーリアさんが誘拐される数日前、高位貴族のご令嬢が会いに来たのだそうだ。黒い髪に緑の瞳を持つ、とても綺麗な人。その姿を見た瞬間、高位貴族の令嬢であることと、自分に対して激しい憎悪の感情を持っていることに気が付いたそうだ。
「一方的になじられたわ。すでに婚約者のいる男性に近付くことが、どれだけ周囲の人間を傷つけることになるか、とかね。そんなことはわかってる。そもそも、自分から近付いたことなんてないし、私はあのご令息とどうにかなりたいなんて一ミリも思っていなかったし、二度と会いたくなかったもの」
「それ、ご令嬢にお話ししたんですか?」
「したわ? でも、信じては貰えなかったの。異世界から来てなんの後ろ盾もなく、洗濯なんて大したギフトでもないのだから、貴族の愛人になりたいに決まってるって決めつけて。私の言葉は一つも届かなかったわ」
「……えええ」
「最後は〝この先起きることは、全て自業自得と覚えておくことね!〟って言って、帰って行ったのよ」
こ、怖い。言っていることも怖いけれど、こちらの言葉が全く届いていないことが怖い。
「だから、婚約者から私を物理的に引き離したかった、あの黒髪のご令嬢とご両親のやったことなんじゃないかって思うの。さっきも言ったけれど、私がそう思っただけで証拠はないわ。でも、あながち間違ってないと思うの」
「私も、そう思います」
なるほど、恐らくだけどアメーリアさんが人攫いによって誘拐されたのは、高位貴族のご令嬢とそのご家族が危ないことを仕事にしている人たちに誘拐を依頼したから、なんだと思う。
でも、それじゃあ、私はどうなのか。
「リコ、あなたは? 本当に思い当たることはないの?」
「……」
神殿を出てから、私は判で押したような生活しか送っていなかった。自宅アパートから食堂に出勤して、仕事をこなして夕方に終わる。仕事が終われば、食堂から自宅の間にあるお店で、パンや野菜なんかの食材やお惣菜を買って帰って家で食事をして寝る。
関わる人間は食堂に関係する人、店主のアラーナさん(娘さんは名前だけ知ってる)とギルドの職員たちと警備隊の隊員たち。いつも買い物をするパン屋さん、八百屋さん、肉屋さん、お惣菜屋さんの店主さんたち。あとは、日本人医師の池田先生と奥様。そのくらいだ。
正直に言って、私をあの食堂から追い出す理由を持っている人も、私を誘拐させるほど恨まれている人も思い浮かばない。だって、恨まれるほど深い関係を築いている人がいないのだから。
「ありません」
「……そう、じゃあ、あなたは異世界から来た人間を攫って売るっていう犯罪の被害者なのね、きっと」
私が気付かないうちに、誰かに深く恨まれているって可能性もゼロじゃあないけれど……本当に思い浮かばない。
「……失礼します。会場脇の控え室へと移動しますので、私の後について来てください」
メイドさんがやって来て、私たちに声をかけた。気が付けば、いつの間にか窓の外に見える空は夜の色になっていて、どこかざわざわとした落ち着かない雰囲気が遠くに感じられる。
「このパーティーで、私たちはどうなるのかしらね? とても、怖いわ」
「……」
アメーリアさんの言葉に私はなにも言うことができなかった。だって、全く同じ気持ちだったから。パーティーの目的が私たちのお披露目であったとして、きっと数日後には私たちをお買い上げになった人と顔を合わせるとか、引き渡されるとか……そういうスケジュールなんだろうと思う。
どんな人が、どんな目的で異世界から来た人間を買うのか……どんな扱いを受けるようになるのか、全くわからない。
アメーリアさんの後を歩いて行くと大きなホールに繋がっているだろう、個室に入った。向かいにある大きな観音開きの扉から、ホールに行くことができるらしい。
控え室にいると、大勢の人の話し声や笑い声が聞こえてくる。
「……」
アメーリアさんと二人並んで立っていると、壁の向こうから声が聞こえた。
「約束のお金をちょうだい!」
「……馬鹿言ってるんじゃねぇぞ? あの娘が無事に売れて、その支払いが完了してからだ。今夜売れなければ、次に回される。そうしたら、支払いは次回以降だ」
「そんな! 急いでるの、一秒でも早くお金が必要なの!」
「それはアンタの事情であって、こっちには関係ない。……しっかし、アンタも悪い女だな。一生懸命自分の店で働いてくれてた女の子を、勝手に売り飛ばすなんて。立派な悪女ってやつだ。食堂の女将なんてやめて、娼館の取り持ち婆でもやれよ」
「うっうるさいねっ! あの子には、悪いことしてるってわかってるよ! けどね、私にも事情があるのよ!!」
「ああ、そうだろうよ。唯の従業員より、自分の娘の方が大事だもんなぁ。そりゃそうだ。なーんの罪もない、頑張り屋の従業員を潰しても自分の娘を治すほうが大事んだよなぁ」
私をここに連れて来た怖い人と、それと……食堂の女将、アラーナさんの声、だった。
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