10 買い物はパンと人
バザールはとても楽しかった。
珍しい品をたくさん見ることができたし、異国の音楽や魔法を組み合わせたダンスも目を奪われるほど素敵だった。甘かったりスパイスが効いたりしているお手頃価格のお菓子、果物を目の前で搾ってくれるジュース、どれもこれも美味しかった。
一緒にバザールを見てまわった記念に、とエルガーさんは可愛らしい異国の模様が刺繍されたリボンを贈ってくれて……感激だ。
家族でもない異性からプレゼントを貰うなんて、生まれて初めてのこと。元々可愛らしいリボンだったけれど、一層可愛らしく素敵なリボンに見えたことは言わなくてもわかってくれる人がいると思う。
かといって、エルガーさんと私の関係が大きく変わったわけじゃない。
食堂にご飯を食べに来てくれたときに少し話をするようになって、時々お菓子を差し入れてくれてって感じ。それ以上でもそれ以下でもない。顔見知りから友達になりかかってる?
それでも、距離が近付いたと言われればそうだ。
……これから先、エルガーさんと私の距離がもっと近づくことは……ある、んだろうか? 可能性としてはゼロじゃないだろうけど、どうかな。自分でもよくわからない。
高校時代や短大時代の友達が「ちょっといいなーって思った人と話したときとか、浮かれちゃうんだよね。で、なんか上手く行きそう? とか思って、勘違いしちゃったりしてさぁ。思いっきり恥かいたときあったわー」と言っていたのを思い出す。
恐らく、私は今、浮かれている。
初めてのデート、初めての贈り物、僅かでも近付いた距離。浮かれちゃう要素がたっぷりだ。
勘違いしたらいけないって、自分で自分に言い聞かせる。
でも、嬉しいとか楽しいとか思う気持ちを胸の内に置いておくだけなら、大丈夫だよね?
浮かれた気持ちを胸の内に置きながら、私は毎日仕事に励む。
女将のアラーナさんも変らない感じでお店を切り盛りしているけど、無理しているような、空元気を振り絞ってるように見えた。
とても気にかかる、のだけれど、あくまで私は食堂の下拵えをする従業員という立場でしかなくて、こちらから踏み込むことは躊躇われる。アラーナさんから話してくれたのなら、なんでも聞くし、できる限りの手伝いをしたいとは思ってるけど……
「今日もありがとうね、リコ。お疲れ様」
「こちらこそ、お疲れ様でした」
一日の業務を終え、私は身に着けていたエプロンを外す。
「そうだ、これ、残り物で悪いんだけど持ってお行きよ」
差し出されたのは、今日の夕食用に用意したブラウンシチューの入った小さなお鍋だった。
スプーンで触れればとろけてしまうほど柔らかく煮込まれたお肉と、大き目に切った野菜がコクのあるソースに浮かぶ絶品だ。
「あ、ありがとうございます!」
「いいって、ちゃんと食べなくちゃダメだよ? また明日もよろしく」
「はい、お先に失礼します」
私はシチューの入ったお鍋を抱え、食堂の裏口から外に出た。
食堂のシチューは数ある人気メニューの中でも、トップスリーに入る大人気メニューだ。ランチ営業のときなんて、大きな寸胴鍋に二つは用意するのに営業時間の終わりが来る前に売り切れることが多い。それなのに、丁度一人前のシチューが残るなんてあり得ない。きっと、事前に私の分を取り置いてくれてたんだと思う。
シチューはもちろん嬉しいんだけど、私の分を取り置いてくれていたという、その気持ちがとても嬉しい。
私はお鍋を抱えて家に戻ると、もう一度外に出た。あの美味しいシチューには、美味しいパンが必要だから。
食堂がパンを仕入れているパン屋さんは比較的夜遅くまで営業していて、閉店近くになると日によってまとめ売り(違う種類のパンが五~七個入って五百ギルム)袋が作られる。今日はまとめ売り品があるといいな、そんなことを考えながらパン屋さんに向かう。
パン屋の店舗が見え、まとめ売りの袋を持ったお客さんを見送るパン屋の女将さんの姿が見えた。
「おや、リコじゃないか。お疲れ様」
「女将さん、お疲れ様。まとめ売りの美味しいパン、まだ残ってる?」
「ああ、最後の一つがあるよ」
「やった、それを……」
小走りに女将さんに近付いて行くと、後ろから馬車が走って来る音が聞こえる。ガラガラと客車の車輪が回り、それを曳く馬の蹄がカツカツと響き、馬車がかなりの速度を出していることがわかる。
パン屋さんは大きな通りに面しているから、馬車が通るのは普通のことだ。でも、すでに日が落ちて暗くなろうとしている時間になると、辻馬車の数は少なくなるし、走っていても速度を出さない。
「リコ、危ないっ!」
パン屋の女将さんの大きな声が聞こえた瞬間、私のお腹に背後から長い腕が回される。お腹が圧迫されて息が詰まった瞬間、私の体は空中に浮きそのまま抱きかかえられ、気が付いたときには馬車の客車の中に連れ込まれていた。
「リコォ!!」
私の名前を呼ぶ女将さんの声がとても遠くに聞こえる。馬車は先ほどよりも更に速度を上げて走り出す。客車の窓には分厚いカーテンが引かれていて、外の様子は全く見えない。お陰で、まだ王都内にいるんだろうけど……どっち方向に向かっているのかもよくわからない。
「……さて、お嬢さんには静かにしていて貰おう。静かに、大人しくしていてくれたら、痛い思いも苦しい思いもしなくて済むからな」
「……ど、どうして、こんなことを」
目の前には体の大きな男性が二人、どちらも人相が悪い……というか、恐ろしい感じの人だ。顔が怖い人なんて、警備隊やギルドにも大勢いるけれど彼らからは恐ろしさ感じない。声が大きくて、言葉選びが下手くそで、えっちなこと(花街のお姉さま方との)が大好きだけど彼らは優しいから。
でも、目の前にいる二人は違う、とても怖い。それは、悪いことをしている人たちだからだろう。荒んだ雰囲気と悪いことに馴染んでしまっている雰囲気が、恐ろしさの元。
「俺たちのことは悪く思わないでくれよ? お嬢さんは売られて、俺たちに買い取られただけなんだから」
「……え?」
売られた? 買い取られた? 私が?
そもそも、私は誰にものでもないのにどうして売られるようなことになるの?
「まあ、大人しく眠っててくれ」
鼻と口を塞ぐように、白いタオルを押し付けられた。同時に後頭部を押さえられてしまって、タオルを外すことができない。
タオルからは花のような、はちみつのような、甘い香りがする。これって、なにかの薬?
目の前が揺れる。馬車が揺れてるのとは違う揺れだ……眩暈のようにぐるぐると回る感じがして、堪えきれずに瞼が落ちる。
目を閉じたことで、一層甘い香りを強く感じ気分が悪くなって……そして私は意識を失った。
お読み下さりありがとうございます。
イイネ、ブックマークなどの応援をして下さった皆様、誠にありがとうございます!
励みになっておりますです……感謝です。
ありがとうございます。