09 バザールデート
アラーナさんはバザールが出る休日、食堂の大掃除をすると言った。私が掃除をするのならば手伝うと申し出たのだけれど、きっぱり断られてしまった。
一人で食器や床を磨きたいし、私がバザール未経験で警備隊の隊員から誘われていると知ると「行って楽しんでおいで、バザールは初めてのデートに打ってつけだ。珍しい物がたくさん出ているから、見ているだけでもワクワクするもんだよ」と背中を押された。
私が池田先生と会った日、アラーナさんの娘セシリーさんの手術が行われた。詳しいことは聞いていないけど、アラーナさんの雰囲気から〝大成功〟とはいえない結果になったようだ。
セシリーさんの病気がなんなのか、私にはわからないけれど……亡き旦那さんとの間に生まれた一人娘が病気で苦しんでいて、手術も大成功とはいえない状況で終わったなんて、辛いし苦しいだろう。
顔色はよくなかったし、三日間のお休みが終わってからはどこか元気がなく、思い詰めているような顔をしているときもあった。
そんなときに、一人きりになるなんて……。
そう思ったのだけど、食堂で提供するパンを仕入れているパン屋の女将さんに「そういうときだからこそ、一人で手を動かしたいってこともあるんじゃない?」と言われて……そういうものかな、と思い直した。
私自身、将来への漠然とした不安が表に出て来たときは野菜を刻んだり、皮を剥いたりする単純作業に没頭して頭の中を真っ白にする。そういう時間がアラーナさんにも必要なんだよ、と言われたら納得するしかなかった。
だから、エルガーさんとバザールに出かけることにしたのだ。
このお出かけが、デートなのかどうかはわからないけど……同じ年ごろの男の人と二人で出掛けるなんて生まれて初めてで、どんな服装をしていけばいいのかよくわからないし、緊張してドキドキが止まらないし、やたら手に汗が滲んだけど、楽しみにしている気持ちもある。
「おはよう、リコ!」
「おはようございます、エルガーさん。今日はよろしくお願いします」
待ち合わせの西区の中央にある噴水広場で待ち合わせ、私はエルガーさんと共に市場の立つ中央区第三緑地広場へと向かう。
ナチュラルに「じゃ、行こうか。今日は楽しもうね」と手を繋いでエスコートされ、太陽のようだと感じる微笑みを向けられたとき……私の心臓はドキッと大きく鼓動した。
***
中央区にある第三緑地広場は噴水や花壇などはほぼなく、五カ所ある広々とした芝生広場を大きな木の並ぶ遊歩道で繋いでいる。市場は芝生広場の全てに展開されていて、遊歩道にもワゴンタイプの出店がたくさん出店していた。
棒を挿した大きなフルーツ飴(りんご飴やいちご飴)やチュロスのような甘い揚げ菓子、果物とクリームを巻き込んだ筒状のクレープ店など、歩きながら食べられるものを売っているお店が多い。
エルガーさんと私はシナモンシュガー味のチュロスを買って半分ずつ食べ、外国からやって来たというアクセサリーのお店やリボンや小物入れなどの布小物を扱うお店などを見てまわった。
こちらの世界にやってきてすぐ神殿で生活し、こちらの生活を学び仕事が決まってからは一人で暮らしている部屋と職場である食堂の往復しか基本していない。そんな私にとっては、このバザールに出品されている物の全てが珍しい物ばかりだ。
虹色に輝く石のついたイヤリング、夜になると光る羽で作られた髪飾り、もっちりとした肌触りの布で出来たポーチ、開くと内容を音読してくれる本、手を叩くと音楽を演奏する花、身に着けると涼しく感じるスカーフなど。美しかったり、不思議だったりする品が目白押しだ。
「……リコ、楽しそうだな」
一緒に見てまわっているというのに、私一人いろいろな商品に夢中になってしまっていた。
「え、あ……ごめんなさい。珍しい物ばかりで……不思議で」
「いや、いいんだ。俺は何度かこのバザールに来たことがあるんだけど、リコほど夢中になれなかったんだ」
「ああ……、エルガーさんにとってはあって当たり前な品もたくさんあるからですね、きっと」
私にとっては初めて見る品だったとしても、こっちの世界で生まれ育ったエルガーさんにはあって当たり前な物も多いだろう。それは、夢中になれなくても仕方がない。
私にとっては、自動車や自転車、飛行機などの乗り物やパソコンやスマホなんかの端末は、生まれたときからあるのが当たり前で、それを使った日常生活も当然なのだ。でも、逆にエルガーさんがあちらの世界に行ったら……きっと不思議で驚く物ばかりになる。
「それももちろんあるんだろうけど、リコは……いろんな物に興味があるんだな」
「それは……、その、私のいた世界にはなかったものばかりだから。普通に綺麗な花やアクセサリーはあったけれど、歌う花も身を守ってくれるアクセサリーもなかったの」
「そうか」
「それにね……」
「うん?」
「池田先生がそうだったように、私もこっちの世界で生きて行かなくちゃいけないでしょ? だから、知らない物やわからない物は少しでも減るようにしていかなくちゃって思って」
無意識に私はエルガーさんの手をギュッと、少し強く握っていた。自分の中で決めた、小さいけれど決意表明だったから力んでしまったらしい。
すぐに気が付いて「ごめんなさい、痛かったでしょ……」と謝って力を抜いて、手を離そうとした。けれど、今度は逆に強く握られる。
「いや、リコは凄いな。イケダ先生もそうだけど、違う世界から自分の意思とは関係なくやって来て、知り合いもいない、仕事だってない、日常生活を送るだけでも勝手が違うことが多くあるっていうのに前向きに生きていこうとしてる。俺だったら、きっと、できないことだと思う」
「案外、できるものかもですよ? だって、こっちに馴染むしか道がないんですから」
そう言えば、エルガーさんは苦笑いを浮かべた。
「……そう、かもな。実践あるのみな状況に立ったら、できるものかもしれないな」
「エルガーさんなら、余裕ですよ」
背が凄く高いし、警備隊員をしているせいか全体的にガッチリした体つきをしていて、お仕事中は剣だったり警棒だったりの武器を持っている。向こうでいう警察官や警備員という仕事をしていて、威圧感がある。
でも個人としてのエルガーさんは笑顔が素敵だし、ちょっと強引なところはあるけれど面倒見がよくて優しい人だ。どこに行っても、馴染めるだろうし助けてくれる人もすぐに現れそう。
「リコにそう言って貰えると、自信がつくよ。実は……もうじき移動の辞令が出そうなんだ」
警備隊の若い隊員は、数年単位で移動があるらしい。色々な地域を巡り、その地特有の良さと問題に触れることが目的であるらしい。
エルガーさんは西部地区第三警備隊に所属して四年目。移動は三年から五年と大体決まっているらしいので、そろそろ移動の気配がするとか。王都の内部での移動なのか、街も変るのかは全くわからない。首都勤務から国の端っこへ移動になった人もいるとか。
「できたら、西部地区から南部地区とか……首都内での移動がいいんだけどさ」
「希望は出せないのですか?」
「出してはいるけど、それが通るとは限らない世界だからな」
そうか、転勤することとか転勤先について自身の希望が通らないなんて、向こうではよくある話だと聞いたことがある。だから、こちらでも同じようなことがっても不思議じゃない。
「……せっかくリコと知り合えたのに、別の街に移動になったらって思うとさ」
「え?」
後半の言葉は搾りたてのフルーツジュースを売っているお姉さんの「搾りたての新鮮ジュースはいかがー? 栄養満点、お肌ピカピカだよー!」という声に被ってよく聞き取れなかった。
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