久しぶりの実家
フィルマン様からの接触から半月ほど後、私は実家を訪れていた。
あれからフィルマン様とは会っていない。会いに来たのには驚いたけれど、あれだけ言われたのならもう会いに来ないだろう。そう思いたい。ミオット室長から困った時には頼りにして欲しいと言われて気分が上向いたけれど、実家からの呼び出しで急降下した。
今日は不定期の食事会だ。私が滅多に帰らないため、時折父が呼び出して食事を共にする。父はミレーヌにしか興味がないけれど世間体も気にする。だったらミレーヌを躾けるのが一番だと思うけれど、そうは思わないらしい。
「お姉様、お久しぶりね」
「ええ、ミレーヌも。学園はどう? 勉強は捗っている?」
「とっても楽しいですわ。お友達がとてもよくしてくれますの」
ミレーヌは侯爵家から、卒業までに淑女教育を終えなければ婚姻させないと言われているけれど、あまり進んでいないらしい。勉強嫌いなのは変わっていなかった。そしてお友達とは令息限定だ。困ったことにミレーヌには同性の友達が殆どいない。それも侯爵家が懸念する一因だけど、この二年間で改善する気配はなかった。
「このままでは婚約は白紙だな」
突き放すように言ったのは、ミレーヌの双子の弟のエドモンだった。母は出産後に亡くなっているため、父は余計に母似のミレーヌを溺愛していた。扱いの差は明らかで、仲良くなれというのは無理なお願いだ。
「エドモン! 酷いわ!」
「何が酷いもんか。最初から言われていたことだろうが。卒業までの四ヶ月でどう終わらせるつもりだ?」
「そ、それは……」
ミレーヌの目が泳いで、最後に父を縋る様に見つめた。
「エドモン、ミレーヌもミレーヌなりに頑張っているのだ。そう急くな」
「そうですか? でも先日、侯爵夫人からミレーヌはまだやる気があるのかと尋ねられましたよ」
「な、何だと?」
「エドモン! どうして教えてくれないのよ!」
「ちゃんと言ったけど? 聞き流したのはお前だろう? 父上、侯爵家はそろそろ限界ですよ。せめて残り四ヶ月、本気でやっている姿を見せなければ……」
エドモンの言葉に父が顔を歪めた。父も理解しているのだろう。もしかすると同じようなことを言われているのかもしれない。それでもミレーヌに勉強させようとしないのが理解出来ない。ミレーヌに癇癪を起こされるのが嫌なのだろうけど。
「肝心のエクトルが最近、公爵令嬢と懇意だって言われているけど?」
「あ、あれは、ただの知り合いだって言っていたわ」
「そうか? だが、最近我が家に来る頻度は減っただろう」
「そ、それは、エクトル様のお仕事が忙しいから……」
エクトル様はミレーヌの一つ上で、今年から文官として働いている。学生時代のように頻繁には会えないだろう。
「公爵令嬢は可憐で教養もマナーも申し分ないそうだ。学園で見かけるがお前とは比べ物にならん」
「エドモンったら酷いわ!」
「現実を見ろって言っているんだ。可愛いで許されるのは学園を卒業するまでだ」
ミレーヌに焦りが見えるのは、エドモンの言う通りなのだろう。
「エドモン、いい加減にしろ。ミレーヌになんてことを言うのだ」
「父上、そんなことを言っているから未だに淑女教育が終わらないのですよ。卒業と同時に婚約を白紙にされたらどうするのです?」
「そんなことにはならん!」
「それを決めるのは我が家ではなくクルーゾー侯爵です」
父はエドモンを睨みつけたが、それ以上は何も言わなかった。エドモンの言う通りだからだろう。それに学園で首席争いにいるエドモンに父は勝てなくなっていた。その後の食事会は無言のまま終わった。
食後、父の執務室に呼ばれた。また仕事を辞めろと小言を言いたいのだろう。それが嫌だから家に近付かないようにしているのに。
「クルーゾー侯爵家から、ミレーヌよりお前を妻にとの話が来ている」
まだそんなことを言っていたのか。エクトル様は私を嫌っているだろうに。
「私に? ではミレーヌは……」
「全く、あの愛らしいミレーヌの何が気に入らんというのか……だが、侯爵夫妻の意向は絶対だ」
「……私はお断りいたしますわ。そもそもエクトル様がミレーヌをと願った縁談ではありませんか」
「それはそうだが……」
「やはり公爵令嬢の噂は本当ですのね」
「ああ。相手が公爵家ではどうにもならん」
父は机の上で白が増えた頭を抱えてしまった。ミレーヌの結婚は絶望的なのだろう。だからミレーヌも勉強をする気がないのだ。
「とにかく、花嫁の交換など醜聞でしかありませんわ。こちらから婚約の白紙を願い出ては?」
「しかし、これを逃したらミレーヌは……」
「こちらから申し出れば白紙に出来ましょう。でも、向こうからとなれば解消、最悪破棄されてしまいます。そうなればミレーヌの次の相手を探すのはもっと難しくなります」
「まさか破棄などと……向こうが言い出したことではないか」
「それでも、ミレーヌの至らなさが原因であれば、向こうは強気に出てくるかもしれません。その前にこちらから力不足だと白紙を願い出るのです」
父は顔を覆って黙り込んでしまった。以前に比べて随分弱くなったように見える。それだけショックなのだろうけど……
「そういえばお父様、ルドン伯爵令息が復縁したいと言ってきましたけれど……こちらにも何か言ってきていませんか?」
「ルドン? フィルマンか。ああ、時々手紙が来ていたな」
「手紙が? 何時からですか?」
「あいつが隣国に行った直後からだ」
「行った直後から……」
そんな前から来ていたのか。この前話をした時に何となく違和感があったのはそういう訳だったのか。彼にとってはずっと手紙を送り続けていたから、今更ではなかったのだ。
「その手紙は? どうなさったのです?」
「どうもこうもない。その場で伯爵家に送り返した。今更復縁など出来る筈もなかろう。慰謝料まで貰っているのだ」
きっぱりそう言う父に、少しだけ気が楽になった。父が未だに婚約者も決めない私に焦れてフィルマン様と縁付けようとしているのではないかと心配だったのだ。
「それでは、これからも」
「当然だ。受ける気はない」
貴族の婚姻は当主同士が取り決める。その一言が貰えただけでもここに来た甲斐はあった。
「お前もいい加減結婚しろ。ミレーヌのことが片付いたらお前の婚約者を決める」
「お父様! 私は……」
「これは命令だ。嫌だと言うなら相手を見つけてこい」
前言撤回。やはり来るのではなかった。