シャリエ領邸
初めて足を踏み入れたシャリエ領は、思ったよりも穏やかで畑の多い土地だった。領地経営が上手くいっていないと聞いていたから荒れているのかと思っていただけに意外だった。シャリエ領邸は延々と続く畑の広がる中にあった。建物は古いけれど手入れがされていて荒んでいるようには見えない。
門番に声をかけると、既にエドモンは到着しているという。案内された応接室で久しぶりにエドモンとジョセフ様、ミレーヌに再会した。ミレーヌの表情は一際固く、憔悴しているように見えた。その後ろにはロイが静かに佇んでいた。そして……
「ラシェル様?」
「お久しぶりです、ジゼル様」
にっこりと穏やかな笑みを浮かべた。まさか彼女も一緒に来ているとは思わなかった。こんなことに巻き込んで申し訳ない。
「それで……父の様子は……」
和やかな空気から思ったほど深刻ではないのかと思ったけれど、あんな男でも父親だ。そう尋ねずにはいられない。でも、ジョセフ様の口から伝えられた内容は予想を超えていた。
「……それでは、仮病だったと?」
「仮病と言い切れるわけではないのですが……一応熱は出ましたし。王都から知り合いの医師に同行を頼んだのです。シャリエ家の侍医は当てにならないと思いましたので」
あっさりとジョセフ様が言い切ったけど、彼の言う通りだ。我が家の侍医は父に長年仕えていたから言いなりだろう。倒れたというのも嘘ではないけれど、ただの風邪だったなんて……
「どれだけ人に迷惑をかけるつもりなんだ、あの男は……!」
俯いたエドモンが唸るように呟いた。これは相当頭に来ている時の癖だ。必死で怒りを抑えているのだろう。その横でラシェル様が心配そうにエドモンの様子を伺っていた。ミレーヌも呆れた表情を浮かべていた。疲れているのか、顔色があまり良くない。
「それで、父は?」
「ああ、部屋に閉じ込めてありますよ。墓参りに行きたいと騒ぎますのでね。王都にまで早馬を出すほどの容体では外出など無理でしょう?」
ジョセフ様がにっこりと笑みを浮かべた。母の墓参りが生き甲斐の父にとっては一番の嫌がらせになるだろう。
「まぁ、また騒がれても困るので、領邸の使用人も入れ替えます。今後は信頼出来る者に監視させますのでご安心ください」
「ジョセフ様、ご面倒をおかけして申し訳ありません」
もういい加減にしてほしい。今の当主はジョセフ様なのだから、邪魔しないで貰いたい。それでも領邸の使用人は父が当主だった頃の意識が残っているから言いなりになってしまうのだろう。
「ああ、せっかくなのでいい知らせを。実はミレーヌが身籠りました」
「ミレーヌが?」
「はい。既に安定期に入っています。今のところ順調ですよ。悪阻も軽かったようですし」
「そ、そうか……それはめでたいな」
「お、おめでとう、ミレーヌ」
正直に言えば喜んでいいのかと悩ましいけれど、子どもには罪がないし後継が生まれるのはいいことだ。ジョセフ様の面目も保たれるだろう。
「体調はどうなの? 馬車は辛くなかった?」
「え、ええ。大丈夫、です」
私とエドモンが祝うと思わなかったのだろうか。ミレーヌが落ち着かない様子で答えた。そう言えばまともに会話をしたのは初めてかもしれない。
「父にはこのことは……」
「生まれるまでは……いえ、生まれてからも様子を見てからにするつもりです。女の子だった場合、また執着されると面倒ですから」
「ああ、そっちの心配か……」
エドモンが心底嫌そうにそう言った。ミレーヌと同じことをしないかとの不安は私も同じだった。我が父ながら気持ち悪い……今思うとミレーヌのように執着が向けられなかっただけよかったのかもしれない。
「それで、会っていかれますか?」
ジョセフ様の問いに、私とエドモンは会うことにした。レニエ様も同席して下さるという。その方が抑止力になっていいかもしれない。ミレーヌは今では父を気持ち悪がって接触を拒否している。妊娠しているから余計に会わない方がいいかもしれない。あんなに仲がよかったのにとも思うけれど、父だけはミレーヌに会いたがっているというから、やはり会わない方がいいのだろう。
父の部屋に向かうと、怒鳴り声が廊下にまで伝わってきた。どうやら父が癇癪を起こしているらしい。部屋の中から何かが壊れる音がした。
「義父上、何をしていらっしゃるのか?」
ジョセフ様は眉をひそめただけで、ドアを開けるとそう尋ねた。その様子から父はずっとこんな感じなのだろう。頭が痛い……
「ジョ、ジョセフ殿! どういうことだ! 外に出るなとは!?」
「何を仰っておいでです? 王都に早馬を寄こすほど容体が悪かったのでしょう? 大人しくしていらして下さい」
「あ、あれは……! も、もう大丈夫だ! だから外に出してくれ! 妻の墓参りに行かねば……」
ジョセフ様に縋り付こうと向かってきた父が途中で固まった。目を見開いてこちらを凝視している。
「セザール卿、お元気なご様子で何よりです」
「ミ、ミオット侯爵……」
父はジョセフ様のすぐ後ろにいたエドモンや私よりも、最後に入室したレニエ様に反応した。相変わらず権威に弱いというか何というか……情けない。レニエ様に声をかけられて気まずそうに視線を彷徨わせ、一歩下がった。何というか……もういいだろうか。目的は達したし。思った以上に元気そうだし、こちらの用件も果たした。
「ミッ、ミレーヌは? どうしてあの子はいない?」
私たちの顔を見ても気にしたのはミレーヌのことだった。あんなに拒絶されたのにまだ理解していなかったなんて……
「ミレーヌなら来ていませんよ。会いたくないそうなので」
「な! そ、そんな馬鹿な……!!」
「そう言われましても、本人が望んでいないのですから」
「……う、嘘だ……! うそだうそだうそだぁ―――!!」
突然父が激高した。ミレーヌに拒否されていると認めたくないのだろうか。
「ミレーヌが!! あの子が私を拒否するなどあり得ない!! お前か! お前が邪魔しているのかぁ!!」
そう言うと父が手を振り上げて突進してきた。




