ドルレアク公爵家の夜会
ドルレアク公爵家の夜会の日になった。私は朝からミオット侯爵家の侍女たちに囲まれ、湯あみした後でマッサージのフルコースを受けていた。慣れないせいか終わった頃にはどっと疲れてしまったのはどうしたことか……これから夜会だというのに……
そんな私の不安を晴らしてくれたのは、レニエ様が用意してくれたドレスだった。
「凄い……」
こんなドレス、着たことがない。明るい紺色をベースのそれはスカートの広がりは控えめで、上半身には黒と金の糸で刺繍がされていた。装飾は控えめだけど細かい刺繍が際立って上品で華やかさも感じられる。生地も上質で光沢があり、動く度に金糸の刺繍が煌めいた。
「ああ、ジゼル、よく似合っているよ」
同じような色合いの衣裳に着替えたレニエ様が目を細めた。でもレニエ様こそいつもの上品さに凛々しさが加わって、控えめに言っても素敵としか言いようがない。隣に並ぶと見劣りしそうで一歩下がりたくなった。
「レ、レニエ様、素敵なドレスをありがとうございます」
「いや、私も女性に贈り物をするのに慣れていなくてね。正直不安だったんだ」
「まぁ、レニエ様が?」
とてもそんな風には見えなかった。結婚生活はなかったにしても婚約者に贈り物くらいはしただろうし、不安なら侍女たちがアドバイスしてくれる。
「ああ、そうそう、これを」
レニエ様が振り返ると侍女がトレイを持って立っていた。トレイの上には宝石箱が載っている。もしかして……
「ドレスにはアクセサリーがないとね。これはミオット侯爵家に伝わる品の一つなんだ」
確かに代々伝わる物なのだろう。宝石の質も意匠の凝ったデザインも素晴らしいものだった。
「こ、侯爵家の? ですが、それは……」
「当主の私がいいと言っているんだ、問題ないよ。それにこれは虫除けだからね」
「虫除けって……」
「こんなに綺麗なジゼルに不埒者がよからぬ思いを抱いては困るだろう? 発表はまだだけど、今日の夜会で皆に広まる。ちゃんと君が私の婚約者だと認識して貰わなくてはね」
そう言いながら耳飾りを着けられた。距離の近さと時折頬に触れる手にドキドキする。それが終わると首飾りを手にしたレニエ様は私の後ろに回った。レニエ様の手が触れる度首の後ろがぞわぞわした。
「ああ、こちらもよく似合っているね。ドレスにも合うし」
私の方に手を置いて姿見を覗くレニエ様が嬉しそうに目を細めた。首飾りも耳飾りも一粒の黒曜石とそれを囲うように銀が取り巻いていた。黒曜石はレニエ様の瞳の色でミオット家の色でもある。
「うん、青玉もあったんだけど、今日はこっちがいいね」
「ありがとうございます。とっても、素敵です」
これが自分じゃなければ気兼ねなく鑑賞出来るのだけど。それでも、いつもの地味な私は別人のように見えた。レニエ様の言葉を疑う訳じゃないけれど、それでも少しでも綺麗に見えていたらいいなと思う。
ドルレアク公爵家はミオット侯爵家から馬車で十分ほどの距離にあった。ミオット侯爵家も立派だけど公爵家は更に大きくて華やかな佇まいだった。さすがは我が国でも有数の資産家だな、と思う。ここに弟が当主として立つなんて、何だか眩暈がしそうになってきた。大丈夫なのだろうか……
会場は既に招待客で溢れ、華やかに煌めいていた。王宮の夜会にも引けを取らない豪奢さに足がすくみそうになる。元々夜会に出た回数など数えるほどしかないし、常に壁の華だったから居心地が悪い事この上なかった。
公爵が開会を宣言すると、直ぐにラシェル様とエドモンの婚約が発表された。同時にエドモンがリサジュー侯爵家の養子になったことも。このことはあまり知られていなかったようで会場内はどよめきと悲鳴が上がった。どうやら内々に動かれていたらしい。紹介が終わると音楽が流れ、ダンスの時間になった。まずはドルレアク公爵夫妻とラシェル様とエドモンが踊り出し、私たちはそれを眺めていた。
「ああ、やっぱりジゼルが一番綺麗だね」
ドルレアク公爵家のダンスを待つ間、レニエ様に耳元で囁かれた。ぞわぞわした感じがして声が出そうになった。
(レニエ様……! 私こういうの慣れていないんですっ!)
さすがに声にも表情にも出せないので、心の中で叫んだ。きっと私の顔は赤くなっている。こんなところでは止めてほしいと思うのに、レニエ様は上機嫌だ。
「ああ、こうしてジゼルと夜会に出たかったんだ。今までジゼルを夜会で見かけることもなかったからね」
「そうですね。夜会に出ることはありませんでしたから……」
夜会に出たのはどうしても外せない時だけ。それでも父とミレーヌが出ていたから私やエドモンの出席の機会は少なかった。財政的に余裕がなかったのもあるし、文官になってからは仕事を理由に欠席していた。王族の文官だとそれが理由で通るのだ。カバネル様やムーシェ様は既婚者だしブルレック様は夜会好きだったので、私はそれを理由に避けていたのもある。
「ああ、公爵家のダンスが終わったね。さ、私たちも踊ろう」
「え、ええ」
ダンスは殆ど踊ったことがないのだけど……それでもこの夜会の話を聞いた後、ミオット侯爵家でダンスの授業を受け直していた。少しはマシになっただろうか。
「ふふ、皆がジゼルを見ているね」
「レニエ様を、ではありませんか?」
慣れないダンスもレニエ様のリードが上手いのか、不思議にも苦を感じる事無く踊れていた。フィルマン様と比べるのは申し訳ないけれど安定感が全然違う。それにしても見られている気がして落ち着かない。周囲の目が気になる。
「ほら、よそ見しないで私だけを見て」
「は、はい」
そうは言われても、普段と違い前髪を後ろになでつけたレニエ様はいつも以上に凛々しくて目のやり場に困った。素敵すぎて顔が保てない……絶対今の私は緩んで情けない顔をしているに違いない……
「う~ん、困ったな……」
「な、何がでしょう?」
何か粗相をしてしまっただろか。まだ足は踏んでいない筈だし、ステップも間違ってはいないと思うのだけど……
「いや、ジゼルがあまりにも可愛い顔をするからね。これを他の者に見られるのかと思うと……参ったな……」
レニエ様の頬と耳が僅かに赤くなっていて、いつもの何倍も色っぽく見えた。見せたくないのは私の方だ。こんな素敵なレニエ様を他の女性に見せたくない……
「ああ、終わってしまったな」
名残惜しそうにレニエ様が呟いた。一曲で終わらせて公爵家の皆様に挨拶に行こうと思っていたけれど、人だかりが凄かったので二曲も続けて踊ってしまった。婚約者になるのだから問題ないけれど、そのせいか周りの視線が集まっているような気がする。婚約をまだ正式に発表していないから早まっただろうか。ドルレアク公爵ご夫妻の周りはまだ人が集まっていた。
「う~ん、まだ挨拶出来そうもないね。少し休もうか。何か飲み物を貰おう」
「姉上!」
レニエ様とテラスの方に向かおうとしたら、聞き慣れた声に呼び止められた。




