想いが通じて
翌朝、起き上がった際に胸元に感じた固い感触に心が躍った。
(よかった……夢じゃ、なかった……)
そっと夜着の間から覗けば、そこにはレニエ様から頂いたペンダントがあった。レニエ様の瞳と同じ色をした煌めく黒貴晶は、今すぐ婚約は出来ないけれどその日が来るまでの約束の証にと別れ際に渡されたものだった。それを感じるだけで心が高鳴り、身体の奥底まで幸福感に満たされるのを感じた。
(ど、どうしよう……)
幸せな気分で出勤したけれど、執務室に近付くにつれて心臓が忙しなくなってしまった。レニエ様にどんな顔をしてお会いすればいいのか……顔が赤くなったり挙動不審になったりしないだろうか……
特にカバネル様は人のことをよく見ていらっしゃるから、気を付けないと変に思われてしまう。今まで感じたことのない緊張感で、職場に着くまでに酷く疲れた気分になった。
「おはようございます」
意を決して中に入ると、幸いにもカバネル様はいらっしゃらなかった。そういえば今日はお休みの日だったのを思い出して安堵の息が出た。
「おはよう、シャリエ嬢」
「……おはよう」
部屋にいたのはフィルマン様とムーシェ様だった。
「ああ、室長はルイーズ様のところだよ」
フィルマン様の口から室長のことが出て、思わず悲鳴が出そうになった。気を付けないと変に思われてしまう。
「そうでしたか。長くなりそうでしょうか」
「どうかなぁ。さっき呼ばれたところだから。何かあった?」
「いえ、今日中の書類があったので」
「ああ、そこまで長引いたりはしないんじゃないかな」
「だったら助かります」
ルイーズ様に呼ばれると、場合によっては夜まで戻ってこない日もある。それがあるから書類は早め早めに出しているのだけど、場合によっては確認が必要な物もある。室長代理のカバネル様がお休みだと室長頼みなのだ。カバネル様がお休みの時は要注意だったりする。
自分の席に腰を下ろし、新たに机の上に置かれた書類に目を通して一日の業務を始めた。レニエ様がいらっしゃらなかったのは幸いだったのか……お陰で少しだけ動揺が収まった気がした。これなら何とかなりそうだ。
(いやだわ、私ったら、子どもみたいにはしゃいで……)
行き遅れと言われる年なのに、心が浮き立つのを抑えるのに苦労するなんて。自嘲の念を苦々しく思いながらも、そんなことすらも嬉しく思う自分がいた。想いが通じるとはなんて甘美なのだろう。恋するとのめり込む人の気持ちがようやくわかった気がした。
(ダメダメ! 気を引き締めないと!)
まだジョセフ様との婚約は解消されていないのだ。こんなことが知られればレニエ様の迷惑になってしまう。それにミレーヌのことも解決したわけじゃないのだ。あの子をちゃんとした家に嫁がせないことにはエドモンにも苦労をかけてしまう。まだ浮かれている場合じゃないのだ。
そうは思うのだけど、胸元で忘れた頃に存在感を主張するペンダントのせいで心は大いに揺れた。勝手に頬が緩むから困ってしまう。明日からは仕事中は外した方がいいかもしれないと思いながらも、離れ難くて外せなかった。
レニエ様と想いが通じ合って最初のジョセフ様のお茶会は、やっぱりミレーヌがやってきた。あれだけ言われても諦める気はないらしい。でも今回は私の方が先に家についていたので、ジョセフ様と顔を合わせる前に追い出したけれど。今日は父も在宅中だったのでさすがにごねることはなかった。
そういえばレニエ様はジョセフ様と話をすると仰っていたけれど、どうなっているのだろう。以前もそんな話をしていたけれど、ジョセフ様は結婚に前向きでそんな話があったようには見えなかった。
ジョセフ様もご両親に結婚を厳命されていると言うし、簡単ではないのかもしれない。悪い人じゃないみたいだし、私たちがやっているのは裏切り行為だ。そう思うと申し訳なくて気が重くなった。ジョセフ様にとってもプラスになる解決方法があるといいのだけど……
「それで、先輩と想いが通じたんだって?」
「……は?」
当たり障りのない会話の最中にそう発言したのはジョセフ様だった。先輩と言われても直ぐに誰かわからなかった。
「ああ、君のところの上司だよ。あの方は文官になった時の私の先輩でね。色々教えて貰ったんだ」
どうやらレニエ様のことらしいけれど、軽いノリで告げるジョセフ様に湧いたのは警戒心だった。
「ああ、そんなに警戒しなくていいよ」
「そんなことは……」
「話は伺っているよ。私としても先輩に恩返ししたいからね。ぜひ協力させてもらうよ」
婚約が白紙になるのにこんなに軽く言って大丈夫なのだろうか。
「ふふ、あの先輩があんな顔するなんてね。ギャップがあり過ぎてビックリしたよ」
「ギャップ……」
一体どんな表情だったのだろう。それはそれで見てみたかった。ギャップというからには普段とは全然違ったのだろうけど……きっとしどろもどろになって、って感じだろうか。可愛い、かもしれない……頬が熱くなった。
「ですが、ジョセフ様はそれでよろしいのですか? お父様のデュノア伯爵様は……」
「ああ、気にしなくていいよ。私も思うところがあってね。むしろ渡りに船?」
「それはどういう……」
「う~ん、今は話せないなぁ。でも心配しないで。悪いようにはしないから」
私が言うのもなんだけど、大丈夫なのだろうか。
「ただ、ジゼル嬢には不快な思いをさせるかもしれないけれど。ああ、でも念のために確認させて」
「確認、ですか?」
「うん。本当にあの人でいいの?」
「はい」
「即答かぁ。いいね、羨ましいよ。でも、あの人、ああ見えて一癖も二癖もあるんだ。だから、頑張って?」
何だか意味深長な言い方が引っかかった。
「それはどういう……」
「あ~これ以上は話せないかな。後は自分の目で確かめてね」
「はぁ……」
何とも奥歯に物が挟まったような物言いだったけれど、この話はこれでお終いねと言って打ち切られてしまった。何だろう、すごく気になるのに。レニエ様に聞けばわかるのだろうか。




