一世一代の告白
心臓の音だけがやけに大きく聞こえて、脈に合わせて身体まで震えているような気がした。息が苦しく感じるのはそのせいだろうか。それでも、見下ろしてくる室長の黒い瞳から目が離せなかった。
「し、室長、私、は……」
「うん?」
「室長のことを、お、おした……」
「待って」
「……え……」
あと一声というところで止められてしまった。唇が震えて、息が詰まる。
(止められ、た……)
その意味するところに思い至って、一気に身体中の熱が奪われていく感じがした。頭が真っ白になって、拒絶された事実に今まで感じたことのない絶望が押し寄せてきた。
「シャリエ嬢、息をして」
両肩を掴まれて、我に返った。息苦しいと感じていたのは、息をするのも忘れていたせいだったのかと思いながらも、このまま儚くなってしまえるならそれでもよかった。拒絶されたことが情けなくも恥ずかしく、この場から逃げ出したくなった。もう、室長の顔を見られない……
「シャリエ嬢」
「……はい」
もう解放してくれないだろうか。室長には私が何を言おうとしたのか、お分かりになっただろう。だったらこのまま何もなかったとして放っておいてほしい。
「すまない」
それは何に対しての謝罪だろう。床を見つめながら次の言葉を待った。
「ああ、ちょっと待ってくれるかな?」
「……は、はい」
待ちたくないし、ここから逃げ出したい。そう思いながらも上司命令だと思えば逆らえるはずもなかった。室長の足が視界から消えて、数歩歩いたと思ったらかちりと固い音がした。
(え?)
今の音の意味が分からずに戸惑ったけれど、顔を上げることは出来なかった。そうしている間にも室長の足がまた視界に映った。
「ああ、すまないね。今度は……邪魔されたくなくてね」
(……邪、魔?)
何のことかと益々混乱した。あれは鍵の音だ。その事実に混乱する。どうして施錠する必要があるのか……密室に二人きりという状況をどう捉えたらいいのだろう……
「シャリエ嬢、いや、ジゼル嬢」
(……っ!)
初めて名前で呼ばれて、頭に一気に血が上った。思わず重ねた手に力が入った。よほど親しくなければ名前を呼んだりはしない。例えば家族や親戚、親友とも呼べるほど仲のいい友人に、後は……婚約者……でも私たちは、そんな関係じゃ、ない……
「ジゼル嬢、あなたをお慕いしているよ」
(……え?)
上から降りてきた言葉に、空耳かと思った。お慕いしている? 室長が? 誰を……
「……う、うそ……」
「嘘?」
「だ、だって……今まで、そんな素振り……」
とても信じられなかった。だって室長からは、所謂そういう意味での好意を感じたことなんて、今まで一度も……
「そりゃあ上司だからね。そんな気配を感じさせるわけにはいかないよ。そんなことしたらカバネルさんに何を言われるか、わかったもんじゃないからね」
あの人はそういうところに聡いからと困ったように笑ったけれど、やっぱり信じられなかった。だって、そんな要素が私には……
「ジゼル嬢はとても魅力的だよ。一途で健気で、あのブルレック君ですら気遣う優しさを忘れなくて。そんなあなたを愛おしく思うのは当然だよ」
言われた内容に耳まで熱くなった気がした。そんな風に思われていたなんて、ちっとも気付かなかった……
「あなたも私と同じ思いだと、そう思ってもいいのかな?」
ぐっと顔を近づけられて、その距離の近さに心臓が破裂しそうになった。鼻と鼻が触れそうな距離に、くらくらする。
「あ、あの……」
「さっきは言葉を遮ってすまなかったね。でも、こういうことは男の私が先に言うべきだと思ったのだよ。今の若い方からすると古臭い考えかな」
「そ、そんなこと、ないです」
「そう? よかった。私はどうにも押しが弱いらしくてね。上司としても威厳がないと言われているから」
そんなことはないとの思いを込めて頭を左右に振った。誰がそんな風に言うのだろう。そりゃあ、この国は男尊女卑が強くて父のような男性が一般的だけど、室長は弱いわけじゃない。むしろその逆。器が大きくて多少のことでは動じなくて、大きな声を出す必要がないだけ。
「ありがとう。ジゼル嬢にそう言われて安心したよ」
また名前を呼ばれて、それだけで頬の熱が増した気がした。
「ジゼル嬢、あの言葉の続きを教えて?」
熱のこもった声と諭すような言い方には抗いがたい何かが込められているらしい。低くよく通る声に抵抗する気持ちも恥ずかしさも薄れてしまう。
「お、お慕い、しています」
改めて言う恥ずかしさはさっきの何倍も強かったけれど、室長の気持ちを聞いた後ではハードルが低かった。言い切った満足感と達成感が一気に押し寄せてきて、心が軽くなった。
「嬉しいよ、ジゼル嬢。ジゼルと呼んでも?」
「は、はい。勿論です……」
「私のことは、どうかレニエと」
「レ、レニエ様……」
夢にまで見た名前呼びに、気恥ずかしく思いながらも心は天に舞い上がりそうだった。レニエ様と呼ぶお許しを頂けるなんて、思いもしなかった。
「ジゼル」
「し……レニエ様……」
レニエ様の顔がゆっくりと近づいてきて、思わず目を瞑ってしまった。こ、これって……覚悟を決めてその瞬間を待っていたら、額に何かが軽く触れる感触がした。
「今はこれだけね」
目を開けると悪戯っぽい表情を浮かべたレニエ様がいた。自分が想像していたことがばれてしまっていたのだろう。恥ずかしくて穴があったら入りたかった。
「この先は準備が整ってからね。ジゼルにはまだ婚約者がいるから」
「あ……」
すっかり浮かれていたけれど、レニエ様の言う通りだった。私はまだジョセフ様と婚約中なのだ……その事実に一気に気持ちが落ち込んだ。
「ああ、心配しないで。大丈夫だよ、私が何とかしよう」
「でも、婚約は……」
「わかっているよ。ただ、手続きや根回しもあって今すぐという訳にはいかないから。暫く待っていてくれるかい?」
黒い瞳を垂らしてそう告げる表情には何の憂いも感じられなかった。優しい表情なのに不思議な強さを感じた。
「は、はい」
「必ずあなたを迎えられるようにするよ」
するりと頬を撫でられて顔に熱が集まった。心臓がまたドキドキしてきた。
「可愛いね、ジゼルは」
「室長!」
ふにゃりと表情が緩んで、揶揄われているのだとわかった。これくらいで動揺してしまう自分が情けなくも恥ずかしい。
「レニエ、だよ」
「……っ!」
また顔を近づけてそう言われて、言葉に詰まった。すっかり手のひらの上で転がされているのが悔しい。レニエ様は大人だから、私なんかよりもずっとこういう経験があるのだろう。そう思うとちょっと悔しい……
「さぁ、もう暗いから送っていこう。これくらいは上司として許されるだろう?」
「は、はい」
差し出された手に自分の手を重ねた。大きな手は温かかった。




