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滅亡回避し栄華を手に! 名門だけど滅び歴史に埋もれた豊嶋家の嫡男に転生したので天下統一を目指します。  作者: 武雅


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多忙な日々

豊嶋家と三浦家の間で所領分配の話が纏まり、太田道灌に2000の兵を率いて駿河駿東郡北部の御厨(現在の御殿場市)の接収と周辺の鎮撫を命じて向かわせる。

三浦時高は平塚城から小田原に兵を進め、小田原城を接収した。

伊豆に関しては堀越公方である足利政知がまだ居るので、鎌倉に動座して貰うまでの間に政知から伊豆の国人衆に豊嶋、三浦両家に従うよう触れを出して貰い、無益な争いが起きないようにと依頼した。


政知には、これから鎌倉府を再興し、鎌倉公方として関東を纏めていただく御方ゆえ、そのご威光で伊豆の国人衆に豊嶋と三浦に従うよう命じて頂ければ、公方様のご威光は更に高まる的な事を言ったら上機嫌で引き受けてくれた。

堀越公方である足利政知って扱いやすい!!

1ヵ月以内には豊嶋家、三浦家両方から伊豆を統治させる代官を派遣するからそれまでで良いんだけど、張り切っていたから多分大丈夫だと思う。


兵を引き上げるに当たり、豊嶋家に従った国人衆を集めて勝利の宴を開き、その場で一旦手に入れた所領を整理した上で8月に江戸城にて所領分配または褒賞を渡す旨を伝えた。

収穫前の8月に所領分配か褒賞を貰えると聞き、場が盛り上がり、そのまま大宴会状態となる。


和議の話が来た際に江戸に居る白子朝信に頼んで、清酒や魚、野菜、椎茸等を送って貰っていたので、酒も料理も豪勢にしたことで翌朝、酒宴の場となった座間城の広間は死屍累々の有様だった。

確かにカルパスは大量にあるし、天麩羅、出汁巻き卵、茶碗蒸し、燻製鳥、豆腐等々、初めて食べる料理に舌鼓を打って酔い潰れるまで飲んで騒いで…。

ホント酒宴が好きだな、これはこの時代特有なのか? いや、多分どの時代でも変わらないんだろうな。

ただ現代と違って、いつ命を失うか分からない時代だから飲める時に飲んで騒いで楽しもうとしてるのかな?

ただ限度ってあると思うけど…。


宴会…? いや酒宴の翌日には多くの国人が二日酔い状態で所領へ帰って行くのを見届けて、豊嶋軍も兵を引き上げる。


江戸城に戻って専業兵士達に数日の休みを与えて休息を取らせると同時に、白子朝信を呼んで手に入れた所領で早急に検地を行うように指示を出す。

そして宮城政業に命じて豊嶋領の寺社の協力の元、手に入れた地域の寺領の接収交渉を任せる。

既に豊嶋領の寺社は検地を行い、その結果算出された石高分の米を毎年納めるという事で寺社と土地の切り離しが終わっているが、今回得た所領ではまだ寺社が寺領を持ち守護不介入を貫いている。

それを豊嶋領にある寺社に協力してもらい、寺社と土地の切り離しを行う。


豊嶋領で実施した際、最初は抵抗を受けたが、検地後に算出された石高分の米が毎年納められるという事で、本来であれば5公5民で年貢を徴収する場合、石高の半分が収入となるところ、豊嶋家の提案を受け入れれば検地後の石高が丸々寺に納められるのだ。

寺領の農民を管理する必要も無く、また周辺住民の寄進や葬祭などで得られる金はそのまま懐に入るので、表面上はお得な提案となっている。


それにしても合戦から帰って来てからが忙しい。

夜ぐらいは照や彩、桔梗とゆっくり過ごせると思っていたが、足止めされていた公家衆が三浦家で叙位を行い、江戸に来て叙位を行った後そのまま住み着い…滞在していて、昼間は公家の作法や連歌や蹴鞠など教えると言い、夜は酒宴をと誘って来る。

そして何より厄介なのが、江戸に下向した目的の1つに娘を側室として送り込み繋がりを深めようと、娘を連れてきている公家が多い事だ。

酒宴に誘い、娘と顔合わせをさせて側室にと勧めて来る。

しかも照が4歳で嫁いだことを何処で知ったのか、5~6歳の娘を連れてきている公家も居るし!!


娘を側室にと勧めて来る公家衆に、「京に居る公家の方からもお話があり、どなたかのご息女を側室にすると角が立ち全員を側室に向かえねばならなくなり、大変な事になる」と丁重にお断りし、一門衆の嫡男や嫡孫との縁組を斡旋した。

スマン、一門衆嫡男のみんな!!


因みに太田道灌の嫡男で昨年元服したというか、元服させた太田資康にも漏れなく公家の娘を斡旋した。

1476年生まれでまだ5歳だけど5~6歳の娘を連れてきている公家が居るから丁度良かった。

5歳で元服させたのもどうかと思うが、婚姻を結ばせるのは鬼畜だなと我ながら思う。 だが俺も誰かのおかげで5歳の時に嫁を娶ったのだから文句は言わせん!!


道灌は元服に関してまだ早いと難色を示していたが、豊嶋家の今後を担う人材として育てる為、元服させて自覚を持たせると説得したら納得してくれたし、今回の婚姻に関しては自分が俺に4歳の照を娶らせた以上、何も言えない様子だった。

まあ、相手が右大臣の三条公敦が連れて来た娘の香(6歳)であると知り、庶子とはいえ三条家の娘である事から道灌は喜んでいたんだけど…。


最近は公家衆の相手をしていると8月までに所領分配の案が間に合わないような気がしたので、公家衆の相手はもっぱら父である泰経に任せている。

公家屋敷の建設から連歌や蹴鞠の相手と多忙だが、本人は意外と性に合っているらしく上手くやってくれている。

ただ公家の娘を、俺の母であり、父の正妻である小夜に何の相談も無く無断で側室に迎え、修羅場になりかけたけど…。


そして今回、弟の竹千代は10歳になったけど公家の娘は嫁がせなかった。

今は勉学に励んでいる身という事で断ったけど、今後養子として送り込んだりして他家を乗っ取る際に、正室が居たら困るので暫くは一人身で居てもらうつもりだ。


まあ女の子に手を出す事は禁止してないし、そろそろお年頃になるからどこぞで摘み食いはしそうだけど…。


それにしても面会が多い。いやまあ俺が江戸城に呼び出したんだけど、先の合戦で味方した国人衆や、当初扇谷上杉家に味方し、攻められて降伏した国人衆を呼んでは領地替えの話をし、飛び地の所領を持つデメリットを説明している。

理解を示す者、拒絶する者、一応は無理にとは言ってないが、拒絶する者は多くが怒って帰って行く。


関東管領である上杉顕定から送られて来た、「所領を勝手に分配せず、奪った所領を元の領主へ返せ」と書かれた書状を読ませたから、怒って帰ってもいきなり兵を挙げたりはしないだろうけど、関東管領と敵対した際は要注意だ。

誤字脱字、稚拙な文章ではございますがお読み頂ければ幸いでございます。

宜しくお願い致します。


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― 新着の感想 ―
[一言] 公家って意外と耳聡いですからねぇ・・・。 主人公の国が東の都と呼ばれても不思議じゃないな・・・。
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