上杉顕定と長尾景春
狭山で太田軍、成田軍と合流し、14000となった軍勢を率いて武蔵西部、南部を制圧しながら、扇谷上杉定正の居る糟屋館(伊勢原市上粕谷、伊勢原大山IC付近)へ向けて進軍する。
相模より三浦軍、武蔵より豊嶋軍と2方面より攻め込まれている為、上杉定正は野戦を諦めたのか、定正の陣触れに応じた国人衆が糟屋館へ兵を率いて集結しつつあり、その数は現在8000程だが恐らく10000は超えるだろうとの事だった。
定正に味方する武蔵西部、南部の国人衆が糟屋館へ向かった為、豊嶋軍は呼応する国人衆を糾合し、定正に味方した国人衆の城や館、武家屋敷を攻め残された兵糧や武具、金目の物を接収した後、火を放ってから進軍をする。
味方の兵には城や館に妻子等が居た場合は捕えずに退去させ、また領民等への乱暴狼藉、乱取りは禁止し、破った者はその場で斬首した。
青梅で乱暴狼藉をした足軽をその場で3人程斬首した事で、その後は乱暴狼藉は起こってはいない。
中には定正に味方したものの糟屋館には向かわず自身の居城に籠城し、抵抗を見せる国人衆も居たが、大軍に城を囲まれ、スリングによって城壁の中に銅製の手榴弾を投げ込まれ、多数の死傷者を出した事で、1日も持たず降伏を申し出ている。
降伏の条件は現所領の半分を没収の上、戦後同等の貫高の土地への転封、そして兵を率いて先陣を務めさせること。
抵抗した後に降伏した国人衆達は所領安堵を求めたが、降伏条件の変更は一切認めず、その代わり戦功に応じて所領の没収は検討するとの譲歩で多くの国人衆が降伏したが、「そのような条件は呑めぬ」と徹底抗戦し、城を枕に討ち死にする者もいた。中には使者を送ってきて降伏はしないものの女子供、逃げたい者の助命を求め、落ち延びたのを確認した後、死に花を咲かせた者もいたが、一応、城攻めに際しては落ち延びられるように包囲に穴を開けているので、基本的には女子供、老人や農民などは逃げて多くが落ち延びている。
家臣や妻子を城に残して我先に逃げ出した領主も居たが、一応、逃げ口の監視はしていたので捕らえて首を刎ねた。
俺としては所領を減らされ転封されたとしても、生きていれば家も残るし、再起を図る事も出来ると思うんだが、やはり先祖伝来の土地に固執している者が多いのだと改めて思い知った。
だからと言って攻勢の手を緩める事はせず、定正に味方した者の城や館を容赦なく攻めながら相模原まで進軍する。
三浦高虎、時高親子は三崎城を出陣し、敵対する国人衆を攻めながら相模川を越え、平塚城(神奈川県平塚市)を攻略した。続く小田原城の大森実頼は周辺の国人衆を集めて小田原城に4000程の兵で籠っている。定正同様に籠城の構えを見せているが、小田原に至るまでの城にも国人衆を向かわせ、三浦軍の足止めして持久戦に持ち込む構えだ。
上杉定正と大森実頼は関東管領上杉顕定、堀越公方である足利政知に援軍を要請したらしいが、両者とも静観する構えのようで、唯一上杉顕定が合戦を止めて和議を結ぶよう書状を送って来るぐらいであり、足利政知に至っては完全に無視している状況だ。
足利政知からしたら自分が事態を収拾しようとした際に拒否し面子を潰しておいて、今更援軍を要請する定正に怒りを通り越して呆れているだろう。
その頃、平井城では上杉顕定が苛立ち、家臣達を怒鳴り散らしている。
「何故豊嶋は和議を結ぶよう命じたのに従わぬ!! 扇谷上杉家は我が一門ぞ! いや、それよりもワシ自ら兵を率いて背後から豊嶋を討てば、定正と挟撃する形となり成敗出来るであろう!」
顔を真っ赤にし怒鳴り散らす顕定の手に持った扇子が折れんばかりに曲がっている。
「畏れながら、今関東管領である顕定様が兵を率いて出陣し豊嶋の背後を攻めれば、帝よりの勅使を足止めするように命じたのが顕定様であると受け取られかねませぬ」
「景春!! なぜ関東管領であるワシが帝の勅使を足止めする必要があるのだ! それにワシは関東管領ぞ! なればワシの命に従わぬ豊嶋等を成敗するのが筋であるであろう!!」
「今、顕定様が豊嶋へ兵を向ければ、帝の勅使を、また将軍家に連なる堀越公方である足利政知様をも蔑ろにしている事になります。 政知様は勅使と公家衆の通行を許可するよう上杉定正様、大森実頼殿を説得しましたが、両名はそれを拒否をしております。 その時点で将軍家に連なるお方を蔑ろにしており、その両名を助けるために兵を出せば、将軍家へ弓引く事と取られてもおかしくありませぬ」
「では扇谷上杉家と大森家が攻められているのを指を咥えて見ていろと言うか!! 定正と実頼が勝てば良いが、負ければ相模と武蔵の大半が失われるのだぞ!」
「なれば兵を率い、豊嶋、成田、太田、三浦を始めそれに従う国人衆を討伐されますか? 確かに背後から攻めれば定正様と挟撃出来、お味方の勝利は間違いないと存じますが、帝に、そして幕府にはどう申し開きされるおつもりで? 帝の勅使、将軍家のご一門を蔑ろにした者を助ける為に、関東管領として兵を出したと申されるのですか?」
「景春!! 其方は家宰であろう! にもかかわらず豊嶋等の味方をするのか!!」
「味方をしているのではございませぬ、某は関東管領家を守る為に申し上げておりまする。 既に大義は豊嶋、三浦にあり、それに従う者は帝の、そして幕府の権威を守る者となっておりまする」
「なればどうすれば良いのだ!! むざむざ見殺しにせよと言うのか?」
「畏れながら、関東管領である顕定様が自ら上杉定正様と大森実頼殿を罰した上で、和議を結ぶように働きかけるしかないかと存じまする」
「定正と実頼を罰するだと?」
「左様でございます。 此度の一件は両者が豊嶋に対する敵意から勝手にした事、罰する事で顕定様は関わりが無い事が証明され、帝も将軍家も納得されるかと。両名を隠居させる事を和議の条件とすれば…」
「話にならん!!」
長尾景春の言葉を遮って顕定が怒号を発し、そのまま床を踏み鳴らしながら部屋を出て行く。
景春はため息をつき、広間に集まっている顕定の家臣達に、顕定が軽挙妄動に出ぬように釘を刺し城を後にする。
景春は何もしていない訳ではいなかった。
武蔵、相模の国人衆達に対し、「どちらにも与せず中立を保つように」と書状を送っていたが、自らが起こした乱では景春と顕定それぞれに味方した者へ恩賞も無かった事で求心力が低下していた為、景春からの書状はほぼ意味を成していなかった。
何故なら今回の争いは勝った方に味方すれば所領拡大に繋がると、多くの国人衆が思っていたからだ。
特に景春に味方していた国人衆は勝っていたのに景春が家宰の座で和睦し、景春からは何の恩賞も無かった為、景春に不満を抱く者が多く、金回りの良い豊嶋に味方し勝てば金が貰える可能性が高く、あわよくば所領拡大に繋るとの思惑があった。
景春は自身が書状を送っても、多くの国人衆が耳を貸さなかった事に落胆したものの、顕定が静かになったので、諌言を聞き入れたと思い油断していた。
しかし、その間に顕定は豊嶋、成田、太田家の当主、一門、重臣を討ち取った者には、褒美として所領を与えるとの書状を国人衆達に送っていた。
景春がそれに気付いて顕定を止めようとした時には、既に書状は送られた後であった。
この状態で確かに裏切りを唆すよう暗に漂わせるような書状は有効かもしれないが、今の戦況を更に混沌とさせるだけで、収拾が付かなくなると景春は深いため息を吐き、国人衆達に再度中立を保つよう書状を送った。
誤字脱字、稚拙な文章ではございますがお読み頂ければ幸いでございます。
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