SS 豊嶋家かみがた騒動
スイマセン、思い付きでSS書きましたので時代考証は完全に穴だらけです。
ご了承ください。
俺がこの時代に転生してからずっと思っていたことがある。
髪型だ!!
元服前の子供はまだ良いが、元服したら前髪から頭頂部の毛を抜いて月代にしている。
これは父である泰経もそうだし家臣たちもそうしている。
最初は遺伝? いやそれにしてもまだそんな年齢でもないのにと思っていたけど、どうやら元服前から、コツコツと毛を抜いたとの事だった。
なんか兜を被った際、頭頂部が蒸れないようにとの事らしいが、人によっては年齢と共に頭頂部の毛が無くなるんだから、わざわざ若いうちに毛を抜かなくてよくない?
いや、鎌倉以前からの名門だからって…、俺は嫌だよ!!
そう思い、そろそろ将来に向けて頭頂部の毛を抜き始めると言われたので全力で拒否した!!
この世界に転生する前も前髪の後退が始まり、頭頂部が薄くなってきていたが、せっかく若い子供に転生したのに意図して毛を抜くなんて何の拷問、いや罰ゲームだよ!!
兜を被ると頭頂部が蒸れるのでと言われているが、俺は絶対に偉い人が歳を重ね頭頂部の毛が無くなり「お前らいいよな~、髪の毛フサフサで、俺なんてこの歳で毛が無いなんてもう終わりじゃん!」って嘆いていたのを、下の人達が「いや、かっこいいっス!」「いや~その方が威厳がありますって! マジで!」「兜被っても蒸れなさそうじゃないっスか!」「お、俺も真似して良いっスか?」とか持ち上げた結果「お前たちが言うならこれからは頭頂部の毛を抜いて髷を結うのを武士の髪型とする!!」と言い出した結果なんじゃないかと思う。
持ち上げた奴らはその後「や、やべ~」「いや、お前が真似したいとか言ったのが悪いんだろ!」「お前だって威厳あるとか言ってたじゃないか!」と喧嘩になってそうだが…。
まあ実際の所、兜を被ると蒸れるのと、鎌倉から室町前半にかけては被り物がないのを恥とする習慣が生まれた事で烏帽子を被ると頭頂部が蒸れるからって言われているけど、それでも絶対に毛が無くなった人が、「俺なんてもう毛が無くなったから烏帽子被ってても快適だぜ!」とか言い出し、それを真似た人が多くいたとかが始まりなんじゃないかと思う。
なので俺は「父や多くの方が聞いたというお告げで、俺は月代だけはしないようにと告げられた」と言い逃げた。
流石にお告げでと言った効果は覿面で父である泰経も「虎千代の思うがままにさせよ」との事によりこの歳で頭頂部の毛を失う事は回避された。
なので現在俺は侍女にレザーカットのような感じで髪を切らせ、結ぼうと思えば後頭部で何とか結べるが前髪は垂れるぐらいの長さにし、真ん中で分けている。
そしてこの時代の女性は、庶民などは背から腰に掛けての長さだが後ろで結んでたりしているが、母上などは更に伸ばして脛の辺りまでの長さとなっている。
「鬢そぎ」と言うらしく、ある意味お姫様カットとして主に高貴な女性の髪形とされているらしいが、滅多に洗わず香を焚いて臭いを付けているから、結構微妙なにおいだ。
侍女たちがよく、母上の髪を緑の黒髪って褒めているが、長い事洗わないから苔むして緑なんじゃ?
って言いたくなる。
まあ若葉のように若々しいとか、艶やかとか、らしいけど…。
因みに照はまだ髪型とかよくわかっていないので、俺がたまにポニーテールやツインテール、サイドテール、三つ編みのお下げにしてみたり、巻いて盛ってみたりすると喜ぶのだがその後、侍女に怒られるのが定番となっている。
最近は昔、というか現代で言う昔、母ちゃんとかが風呂上りに髪を巻いていた丸い筒状の物、カーラーもどきを制作しをウェイブのかかった髪型にしたり、前髪をバブル期の女性みたいにしてみたりもしている。
うん、侍女には怒られるけど照は鏡見て喜んでいるんだよね…。
それに照の遊び相手として家臣の息女とかも来るから照と同様に髪型変えたりしてあげると喜ぶし。
そして石神井城へ照の遊び相手としてくる女児をとおして城下の子供へと簡単に出来るポニーテールやツインテールが伝わり、流行りだした。
目新しい髪型で豊嶋家の嫡男が生み出した髪型とあり最初は子供の間で人気となっていたが城下に住む若い女性も真似しだした事で流行の兆しが見えだし、そして遂に、父である泰経の元へクレームが来た!!
この時代にもモンスターペアレントが居るのか…、と思ってたら、どうやら俺が好き勝手しているのを注意せず野放しにしている両親がモンスターペアレント扱いされているらしい。
う~ん、確かに好き勝手する嫡男を野放しにしてるからあながち間違ってはいない気がする…。
因みにクレームの主は照の遊び相手となっている女児の父親達で、まだ子供なので女児の髪型に関しては大目に見ていたが、城下で流行りだした為、妻までも真似しだしたりしており、それに加え俺が自由な髪型にしている事で、男児が髪を短くしたいと言い出したりしているので、身嗜みを厳にするよう触れを出して欲しいとの事だ。
まあこれが下級の家臣とかなら問題ないし、父の元へもクレームは来ないんだけど、クレームを言って来たのが重臣格の家臣、それも3人が面会を求め、クレームを言いに来たらしい。
大の大人が髪型一つで…と思うが、鎌倉以前より続く名家の重臣としての誇りがあるようで女性は女性らしく、男は男らしくしないと名家の名折れとなると父に迫ったようで、後日、事の発端となった俺を含め父である泰経、叔父の泰明をはじめとした一門衆、重臣一同で話し合いの場が持たれた。
てか一門衆まで呼び出して髪型について話し合うってどんだけ今の髪型に拘りが強いんだよ!!
叔父の泰明をはじめ武闘派の一門衆や重臣はくだらない事で呼び出すなと言いたげな顔をしているし、どうでも良くない? と言う顔をしている者も居る。
そんな中、気勢を上げて髪型について熱く語る重臣が「名家の名折れ!」「豊嶋の名が地に落ちる」と言い出したことで、だんだんと議論が白熱し、怒号が飛び交い出す。
「皆の者、静まれ!!」
父である泰経が一喝し場が一時的に静まり帰ると俺の方を向く。
「虎千代、其方が始めた事、其方の言い分を皆に伝えよ」
なんか俺の方に来た…。
特に理由は無いし同じ髪型ばかりで面白くないから髪の毛を弄って遊んでいただけなんだけど、もっともらしい事を言わないと後々面倒そうだ。
なのでもっともらしく、伝統ある髪型とはいえ時代はどんどん流れていく。
その流れを否定し古き事に固執し滞留しているからこそ今の関東の戦乱があり、民は疲弊し国が豊かにならない。
古き事、伝統を重んじる事は重要だが、固執する事で時代の流れに乗り遅れいずれは衰退の道を歩む事になる。
実際、新しい作付け始めた大泉では収穫が増え、飢える者も居なくなった。
それと同じで何事も新しい事を取り込み、それを更に進化させる事で物の考え方が替わり、新たな発想が生まれ、民の暮らしに、ひいては豊嶋家の為になる。
ともっともらしい事を言っておいた。
まあ当然反発もあり、再度場が紛糾し、俺が「名を、武名をと言う割には皆個性がない! 同じような鎧を着、同じような前立ての兜を被り、同じ髪型をし、自己主張がない!」と言ったことで今度は鎧甲冑に話がそれてしまった。
数か月に渡り、議論が続いたが、最終的に個性が無ければ戦場では只の兜首でしかなく、豊嶋家に我ありと言いたいなら個性を出し武功を挙げるべきとの事で、髪型、鎧甲冑論に終止符が打たれた。
んで髪型の話だったのに鎧甲冑の話にもなったんだか…。
そして現在、俺の元に一門衆の子息や家臣の子息がカットを依頼しにやって来ている。
基本的に大泉の所領に居る事が多いのでカットは侍女がやっているが、照の侍女達のもとへもヘアセットを覚える為にやってくる女性が後を絶たない。
ていうか母上がバッサリ髪を切ってウェイブのかかった髪型にしたり、ポニーテールやツインテールにしだした事で女性の髪型革命がおこった感じだ。
母の父であり、俺の祖父でもある長尾景信が石神井城へ遊びに来た時、髪をサイドテールにし、目元パッチリメイクをした状態の母を見て口をパクパクさせ驚いていた。
そのパクパクした口に照が最中を突っ込んだらモグモグ食べてたけどね…。
因みに個性が無く、戦場では只の兜首と言われた一門衆、重臣衆などは最近、前立てを鍬形から、百足や蜻蛉、龍や虎などに変えたらしい。
その後、武蔵で豊嶋は傾奇者が多いと言われるようになったとか、なかったとか…。
誤字脱字、稚拙な文章ではございますがお読み頂ければ幸いでございます。
宜しくお願い致します。
また評価、ブックマークありがとうございます。
良い評価を頂けると大変励みになります。
是非↓の★★★★★にて評価をお願い致します。




