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滅亡回避し栄華を手に! 名門だけど滅び歴史に埋もれた豊嶋家の嫡男に転生したので天下統一を目指します。  作者: 武雅


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甲斐の騒乱

1486年7月 甲斐国 石和館 武田信昌(たけだ のぶまさ)


「穴山が兵を挙げ領内を荒しておると言うに、兵が集まらんとはどういう事じゃ!!」


石和館の主殿にて、甲斐武田家13代当主、武田信昌は口から唾を飛ばしながら報告に来た家臣を怒鳴りつけている。


「そ、それが…」


「なんじゃ!! 申せ!!」


「恐れながら申し上げます。 今年に入り領内にて疫病が流行り出し、また今年は飢饉の恐れありとして、度重なる陣触れに多くの国人衆が応じず…」


「なれば何故穴山は兵を出せるのじゃ!! あ奴の所領も甲斐にあるのだぞ! 何度も陣触れを出し兵を集めているのは向こうも同じであろうが!!」


実際の所、家臣を怒鳴りつけている武田信昌自身、疫病が流行り出し、また天候が芳しくない為、甲斐は飢饉に見舞われそうだという状況であることは理解していた。 今はどの家も疫病と飢饉への備えとして必死で兵糧などを買い付けようと必死であり、争うどころではないと思っており、本来なら兵を挙げるとすれば、秋の収穫を待って兵を挙げ、敵の領内で乱取りを行うものと思っていた。

その方が乱取りで得られる物が多くなるからだ。


にも関わらず、同じ甲斐に所領を持つ穴山信懸(あなやまのぶとお)は、農繁期が終わると即座に兵を挙げ、武田領内に兵を進め、村々を襲っては乱取りを行い、武田信昌が兵を率い出陣すると兵を引き、所領の境辺りで数日睨み合った末、双方が兵を引くと言う事を何度も繰り返してた。


「穴山が兵を何度も出す理由(わけ)を調べよ! 兵糧の出所もじゃ! いくら乱取りを行っているとは言え、兵を何度も出すほど兵糧がある訳がない! 我が方の兵糧は不足しておると言うに、穴山は何故兵を出せるのか調べるのじゃ!!」


「ははっ!!」


報告をおこなっていた武田信昌の命に対し短く返事をしたところで、別の家臣が声を上げる。


「御屋形様、穴山の件は早急に調べるとして、駿河の守護となった伊勢よりの申し入れは如何いたしまする?」


「伊勢か! 公方様にどうやって取り入ったかは知らぬが、駿河守護に任じられたのであったな…。 確か、時を同じくして伊勢は富士郡に、我らには駿東郡に兵を出し、豊嶋を駿河から追い出すと言う話だったが、我らは何を得られる? 駿東郡を武田に寄越すと言うなら兵を出しても良いが…」


「恐らくは、富士郡、駿東郡の奥、甲斐寄りの土地を割譲する程度かと…」


「なれば話にならん!! もっとも兵を出すにしても、甲斐を空にすれば信濃の諏訪や大井がいつ兵を向けるか分からん! 何より穴山をどうにかせねば駿河に兵を送るなど出来る訳が無かろう!!」


そう、武田信昌は、富士郡の一部と駿東郡を除いて駿河を制した伊勢盛時から同盟に加え、富士郡、駿東郡への出兵を打診されていたのだ。


だが、同盟と駿河出兵の打診を受けたのが農繁期という事もあり、一旦は保留し、駿河の豊嶋領を攻めるのであれば田植えの終わる5月末以降に再度話し合いの場を設ける事になっていた。しかし農閑期になると穴山信懸が兵を挙げて武田領内を荒し始めた事で、その対処に追われ駿河どころではなくなっており、伊勢との同盟の話は一旦棚上げになっていた。


「そうじゃ! 伊勢の元へ使者を送り、穴山討伐の援軍を出させ…、いや、それは悪手か…」


武田信昌は穴山信懸を討伐するにあたり、駿河の伊勢盛時に援軍を送らせ穴山を挟撃すればと思い、口に出しはしたものの伊勢に援軍を頼む愚を悟り、自身でそれを否定する言葉を発する。


武田信昌の頭によぎったのは、駿河の伊勢に援軍を頼み穴山を討伐したとして甲斐を静めても、秋の刈り入れが終われば今度は駿河への出兵を求められる。


それだけならばまだ良いが、穴山を討伐した後、その所領をどう分配するか、もし伊勢が甲斐の所領は要らないので駿河出兵をと行って来た際、兵を出し伊勢と共に富士郡、駿東郡を獲ったとしても駿河の土地を寄越せとは言えなくなる。


現状、既に武田家とそれに従う国人衆達は、穴山信懸が度々所領を襲い、その都度追い払う為に兵を出している為に疲弊していた。このため仮に駿河に攻め入り豊嶋を駿河から追い出した後、駿河の土地を寄越せと伊勢に言い、断るならば一戦も辞さないと言う強硬な姿勢を保つだけの余力がない事に気が付いたのだ。


「もう一度、領内に陣触れを出せ!! 此度は穴山を追い返すのではない! 穴山信懸の息の根を止める合戦じゃ! 兵を出せば、穴山領内での乱取りは自由と国人共に伝えよ! 出陣じゃ!!!」


石和館の広間で武田信昌が吼えている頃、穴山信懸は武田領内での乱取りに一区切りを付けて兵を引き始めていた。





「全く、豊嶋様々だな。 兵糧を送って来て武田領内で乱取りをしてくれとは。 ワシには利しかないではないか」


「左様、伊勢の話を蹴ってまで豊嶋の申し出を受けた甲斐があり申した。 所詮は幕府の後ろ盾を笠に着て駿河を治めているだけの小物。 豊嶋は関東を制し、所領も武蔵、上野、下総、伊豆のみならず、相模の一部に加え駿河の一部を治めているだけあって、伊勢と違い気前もよおございまする」


「小山田の話では、何でも伊豆に金山が見つかりこれから金堀が始まるとの事だ、誼を結んで損はない。 それに、武田が本気になって攻めて来たら小山田が援軍を出すと言っておる。 万が一合戦となっても負ける事はあるまい」


武田領を荒し終え、所領への帰路へ就く穴山信懸は轡を並べている重臣と満面の笑みを浮かべながら雑談に興じている。


実際、今回、豊嶋からの依頼は武田領で乱取りをし、武田信昌が兵を出したら引き、武田が兵を引いたら再度武田領内で乱取りを行うのを繰り返して欲しいとの内容であり、無理に合戦はしなくても良いとの事だ。

それだけの依頼にも関わらず、米が500石、稗500石、粟500石、蕎麦500石を送られただけでなく、秋になれば再度同量の米等が送られてくる事になっている。


しかも万が一合戦となれば、最近羽振りの良い小山田家が援軍を送って来るとまで言っているのだ。


「確か小山田は豊嶋に従ってから羽振りが良くなったのだったな。 いっその事、我らも豊嶋に従うか?」


「お戯れを、豊嶋も訳あって、我らに武田領を荒して欲しいと多くの兵糧を送って来たので、我らはこれを機に甲斐で所領を広げるのがよろしいかと」


「確かに、甲斐を平げ、その後、豊嶋と争っても勝てぬと分かれば下ればよい。 勝てぬと分かればな…」


穴山信懸はそう言うと大声で笑い、轡を並べる家臣も釣られるように笑う。


翌日、兵を率いた武田信昌が穴山領へ進攻をした事で双方少なからぬ死傷者を出す合戦となったものの、小山田信隆が陣触れを発し、穴山への援軍に向かおうとしたのを察知した武田信昌が兵を引いた事で、武田家による穴山討伐は失敗に終わった。 その後も思うように兵が集まらない武田家は穴山に所領を荒され続ける事になり、駿河を治める伊勢盛時に援軍を求めた。


もっとも、伊勢盛時が甲斐に兵を進めようとすると、太田道灌が兵を出し、富士川を渡って蒲原城を伺う姿勢を見せ牽制した事で、伊勢は甲斐に兵を進められず、甲斐では国人同士の争いが激化して行く事になってゆく。


これにより豊嶋家が裏で糸を引いた甲斐の騒乱は終わる兆しが見えない程となっていった。



稚拙な文章ではございますがお読頂き誠にありがとうございます。

また誤字報告ありがとうございます。

本当に、誤字脱字、言い回し等、稚拙で申し訳ございません。


また、評価、ブックマーク、いいね、ありがとうございます。

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