前編 聖術師
銀に金がひと房混じる、不思議な髪の聖術師は言いました。
「彼らは魅了されていませんでした」
「嘘でしょう?」
とても信じられません。
では、彼らの愛は真実だというのでしょうか。私の婚約者だった王太子アーチボルト殿下と、彼以外にも数多の取り巻きを持つ男爵令嬢プロースティブラの愛は。
聖術師は私の問いに頭を左右に振ると、言葉を続けます。
「本当です。魅了されていたのは……」
「嘘でしょう?」
聖術師の言葉を聞いた私は、もう一度同じ問いを繰り返しました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「侯爵令嬢スカーレット。君との婚約は今日をもって破棄する!」
王太子のアーチボルト殿下がそうおっしゃったのは、魔術学園の卒業パーティの会場。
出席者の視線を集める壇上には、彼と男爵令嬢プロースティブラ、そして彼女の取り巻きである貴族子息と裕福な平民達が立っています。
婚約破棄の宣言に続けてアーチボルト殿下がおっしゃった私の罪状については、少しも耳に入って来ませんでした。
いいえ、最初から聞く気もありません。
婚約者のいる男性に纏わりつきドレスやアクセサリーを強請るのは間違ったことでしょう?
それを咎めるのが罪だとは思えません。
婚約を破棄されて婚約者でなくなっても、私は侯爵令嬢です。
殿下が話し終わるまで反論はいたしませんでした。
ですが男爵令嬢プロースティブラとその取り巻きは身分を弁えず、私の反論を邪魔してきました。最終的には暴力を行使して、彼らは私を卒業パーティ会場からつまみ出したのです。
王都の侯爵邸へ戻った私は、婚約破棄を知った父である侯爵からの叱責を受けました。
すべては、王太子殿下の寵愛を得られなかった私が悪いというのです。
人生の大半を費やしてきた王妃教育への言及はありません。ほんの少し休むことも許されなかった王妃教育は、どうやら大した価値のあるものではなかったようです。
そういえばお亡くなりになった殿下の母君も、本来の婚約者を追い出して国王陛下と結婚した伯爵令嬢でしたね。
陛下と亡き王妃様は運命に導かれた世紀の愛だったと持て囃されています。
なんだ、王妃教育なんて必要なかったのです。
父と愛のない政略結婚をした母は、私が王太子の婚約者になることに反対して実家へ戻されました。
もう十年も前のことです。あれから一度も会っていませんし、手紙を交わすこともありませんでした。
王太子殿下が、アーチボルト殿下が私を愛していなかったように、父も母も私を愛していないのです。私はなんのために生まれてきたのでしょうか。侯爵領の片隅で謹慎するよう父に命じられた私は、泣きながら着替えを鞄に詰めました。
……殿下。王太子殿下、アーチボルト殿下、お慕いしておりました。
どんなに苦しい王妃教育もあなたのことを思えば耐えられました。
あなたの隣に立つのに相応しい姿を保つために、大好きなクッキーも我慢していました。踵が高く先が尖った流行の靴を履いて爪が割れても、パーティでは笑顔を保ちました。魔術学園では率先して貴族と平民の友好を深める交流会を開催してきました。すべてあなたと築く王国の未来のためです。
「お嬢様、お嬢様!」
「な、なんですか、ナンナ」
侍女のナンナが奇声を上げて、私の部屋へ飛び込んできます。
……この子、主人である私の荷造りを手伝いもせずなにをしていたのかしら。私、舐められてる?
ナンナが手紙の束を差し出します。
「ついに見つけました! 奥方様からお嬢様へのお手紙です。あの無表情ジジイ……じゃなかった、侯爵様が隠してらっしゃったんですよ」
「お母様の……手紙?」
確かにそうでした。
ナンナから受け取った手紙に綴られているのは、懐かしいお母様の筆跡です。
父が隠して私に渡さないだろうことを予測した上で、万が一の奇跡を望んで書かれた手紙でした。
お母様の実家は身分の低い子爵家です。王太子の婚約者として王宮で王妃教育を受け、王都の侯爵邸で暮らす私には近寄るすべがありません。
だからこそ無駄かもしれなくても、ひとかけらが真実を伝えるかもしれない手紙を送り続けてくれたのでしょう。
言の葉には魂が宿ると言います。冷酷な侯爵として知られる父でさえ、隠すことはできても無下に捨てることはできませんでした。おかげでこうして私の元に辿り着いたのです。
「……お母様……」
残りの荷造りをナンナに任せて涙で滲む手紙を読み進めていた私は、興味深い単語を見つけ出しました。
──聖術師。
王侯貴族が魔術学園で学んで自衛するようになる以前、人心を操る呪いを見つけ解呪していた一族のことです。
彼らは今も生き延びていて、魔術の恩恵に授かれない人々を助けていると言います。
魔術学園での学習で自衛できていると思っていましたが、王太子殿下をはじめとする男性達の男爵令嬢プロースティブラへの傾倒の裏には呪い──魅了があったのかもしれません。魔術は進化しました。でもだからこそ、古い呪いには対応できなくなっているのかもしれません。