HEBREW
「逃げろ!、逃げるんだ!!」
直後に響いた銃声に父の死を覚悟した僕は、懸命に走った。連行される大勢の人達を脇目にただがむしゃらに。幸い身に付けた衣服はボロボロで逃げる際の障害にはならずむしろ好条件にさえなった。。
何人ものドイツ兵の追跡をかわした僕は、遂に体力の限界を向かえ森の中で無造作に倒れ込んだ。乱れた呼吸は中々元には、戻らない。周りは、薄暗くなり始め夜行性の野生動物達が行動を始める時間が迫っていた。季節は、冬直前。冬眠を前に食欲旺盛な熊達もうろついてる危険性を感じたが今は、休息が必死だった。それでも良い、食われても良い。熊に見つかり食べられたところで収用所で死ぬのと対して差は無いだろう、そんなどこか諦めにも似た気持ちになった頃、いつしか僕は疲れ切り眠りに付いていた。
辛く窮屈な生活を強いられた日々にも安らぎはあった。友達がいて兄弟がいて家族がいた。戦争によって平気で人が殺し合う退廃した時代、僕を取り巻く小さな世界には幸せが溢れていた。支え合い苦労を共にし共に生きていく、まだ幼子だった僕にさえもそんな「人間らしさ」を思い出させてくれる生活は決して苦では無かった。
それでもそんな大切な人達が次々に収用所へ送られ、送られる度に僕の身体の一部分が切り取られる様な痛烈な痛みは感じていた。
「彼らは、神様に召されたんだよ。彼らとの思い出を大切に生きるんだ。」
寝床で僕を眠りに着かせようと父は添い寝し語りかける。
「じゃあ僕が死んだら、逢えるかなぁ?。」
まだ子供だった僕は思った事を直球で父に問い掛け、父は少し困惑しながらも
「いずれはね。でもそれは、ずっと先だ。お前は、生きていかなきゃならないんだから。大勢の人の分までね。」
寂しげに微笑んだ父を見て僕は、先に死んだ母の事を思い出してたのではないかと想像していた。
「さっ、早く寝るんだ。明日は、沢山走る事になりそうだからな。」
その時点ではまだ何を言ってるのかは分からなかったが、それが収用所へ送られる集団からの脱走と知ったのは、その翌日だった。
眠りの中で父に再会し、改めて生きる力をみなぎらせ目覚めたのは、翌朝の事だった。不衛生な生活をしてたせいか異臭悪臭を放つ僕なぞ食べたいと思った熊など居なかった様だ。たまたまとはいえ2度も偶然が重なり僕は命を繋ぐ事ができた。毎日ろくな物を食べてなかった事に加え、昨日の全力疾走。僕はこれ以上無い位に腹を空かせ森をさまよい歩いた。
駄目だもう歩けない、数時間後ついにヘタれこんだ。陽は上がり始め冷え切った身体に暖かさをプレゼントしてくれた。あとは何か食べ物のプレゼントが欲しかったが見渡す限り何も無い。生で食べてお腹を下す覚悟を持って探したキノコやカブさえ見当たらない。諦めて大の字に寝転んだ。思い出すのは、皆で食べた食事の事ばかり。その時は、毎日毎日同じメニューに母に愚痴を溢した事も数多くあったが今から思えば、あの時にもっともっとお腹いっぱいに食べとくべきだったと後悔した。今は、もう母の作ってくれた料理も、母も、母の優しさにも触れる事さえ叶わない。何でこんな事に!何故殺されなきゃならないんだ!。僕の小さな胸の中に今までに無い程の怒りがこみ上げてきていた。
同時に疑問をも抱いた。周りの大人達がいつも口を揃えて話してた事。
「命が一番大事なんだ。尊いこの命の重さは、全ての人間皆同じなんだよ。」
聞かされた当時は当たり前に聞こえたが、年月が経ち少しながら大人になった僕は、疑問に頭を悩ませた。
「同じ命ならば、何故尊い命を持ったドイツ兵は、同じ尊い命を持つ僕達を平気で殺せるんだ?」と。
この疑問を父に聞きたかった、何と答えてくれたのか予想もできない分、想いは格別だった。
「父さん、教えてよ。何で僕達は殺されてるの?。何故死ななきゃならないの?。そして何で僕だけ生き残ってこんなにも辛い思いをしなきゃならないの!?。」
答えは返ってこない。
「こんなの嫌だ!腹を空かせ、ドイツ兵に怯え、家族をも失った僕に生きていく意味なんて無いじゅないか!?」
今までに無い程の涙を流し、叫び、絶望しか持ち得て無かった僕は、急に目の前に現れた兵士にギョっとした。でもドイツ兵じゃない、どこの、どこの兵士なんだ!?
「君は、誰だ!?」
銃を構える兵士が叫んだ。ドイツ語では無い、いつか父が話してくれた連合軍の兵なのか?じゃあ、もう戦争は終わったのか?
「もう一度聞く!、君は誰だ!?」
一歩踏み出し尚も銃を構えた鋭い眼光の兵士が私には、救いの天使にしか見えなかった。
「僕は、・・・・僕は、ユダヤ人。」
おわり
DVD鑑賞が趣味なんですが、実話を元にしたヒトラー映画もよく観てます。ヒトラーの残忍さに背筋が冷える感覚になる一方で、同じドイツ軍の中にもユダヤ人の命を大切に思った人が居て、少なからず命を救ったエピソードに触れる度にやはり人間捨てたもんじゃないと感じる事が多々あります。
と言いつつ、今回の話はギリギリ逃げ切る事が出来た少年の話になってしまいましたが、これは私なりの「こんな風にどこかで、命を繋ぐ事が出来た子供も居て欲しい」という希望が込められてます。
初めての原稿用紙5枚超え。長編って大変・・・。