第六話
大学からの帰り道、僕はとぼとぼと歩きながら小松奈緒がなんで逃げて行ったのかを考えていた。
僕は極端にコミュ症というわけではないが、それでも初対面の人間から「帰って」と言われて平然としていられるほどメンタルは強くない。
むしろひどく傷ついていた。
「ほらほら、アッキーノ。元気出して」
あまりに元気のない顔をしていたのだろうか、桜ノ宮さんが横から励ましてくる。
「そんなに元気なさそうな顔してる?」
「してるしてる。『ゲ〇ゲの鬼太郎』に出てくる見上げ入道みたいな顔してる」
どんな顔だよ。
マニアックすぎてわからんわ。
「そりゃあ女の子に逃げられてブルーな気持ちもわかるけどさ」
「でも正直、話を聞きもせず『帰って』なんて言われるとは思わなかったよ」
「アッキーノの顔が好みじゃなかったんだよ、きっと」
なんだそりゃ。
「もう少しイケメンに生まれてくればよかったのにねー」
「うわー、傷つくわー」
「にしても、なんで逃げてったんだろうね、彼女」
「そこなんだよな。別に変なこと言ったつもりはないのに」
「水無月さんの名前聞いたら逃げてったよね?」
「……てことは、やっぱり水無月さん絡み……なのかな」
詳しい情報まではわからないが、水無月さんがやめたほうがいいと忠告した英文科の男。
そして、その男をめぐって対立した松下奈緒。
そこに何かあるのかもしれない。
そんなことを考えながらも、僕はもう一つの問題点を気にしていた。
「ところでさ、桜ノ宮さん」
「うん、なに?」
「……どこまでついてくる気?」
そうなのだ、桜ノ宮さんは僕の家にまでついてきたのだ。
すでに僕は自宅前までたどり着いている。
一歩進めば完全に私有地である。
「どこまでって?」
「ここ、僕の家……」
「あ、そうなの? お邪魔しまーす」
「いやいや、お邪魔しまーすじゃなくて!」
そのまま中に入ろうとする桜ノ宮さんをむんずと捕まえる。
「もしかして家の中までついて来ようとしてる?」
「だって私、幽霊だし」
「い、嫌だよ! 四六時中ずっとつきまとわれるなんて!」
プライベートも何もあったもんじゃない。
それに彼女は幽霊だ。
下手したら風呂の中にまでついて来るかもしれない。
すると桜ノ宮さんはケラケラ笑った。
「やだなあ、アッキーノ。いくら私でも四六時中つきまとったりはしないよー」
「ほんとに?」
「アッキーノがトイレとお風呂に入ってる時は部屋で待機してる」
「それを四六時中つきまとってるって言うんだよ!」
ああ、ダメだこいつ。
絶対、僕の部屋に居座る気だ。
なんとか追い返さないと。
「桜ノ宮さん、僕の彼女になるのはOKしたけど、ずっと一緒にいるのはOKしてないよ?」
「だって私、他に行くところないし……」
「昨日まで桜並木のところにいたじゃん。そこにいればいいじゃん」
「アッキーノは見た目通りの冷たい人間なのね」
見た目通りって……。
「桜ノ宮さんだって逆の立場だったら嫌だろ? 初対面の男の人がいきなり今日から自分の部屋に居座りだしたら」
「そう? 楽しくなりそうでいいと思うけど」
特異すぎるぞ、この子。
「と・に・か・く! ダメなものはダメ!」
「はあ、わかったよ。アッキーノがそこまで言うなら」
「わかってくれた?」
「でもここで引き下がったら女じゃないよね!」
「引き下がれよ!」
頑固を地でいくような奴だな。
もはやここまで来たらウダウダ言っても無駄だろう。
僕は観念して首を縦に振った。
「ああもう、わかったわかった。好きにしろ」
「きゃああああ! やったやったー!」
桜ノ宮さんは大喜びで玄関の扉をすり抜けて入ると「どわー!」という叫び声とともに、物をひっくり返す音が響き渡った。
「あははは、ごっめーんアッキーノ。玄関の靴、全部ひっくり返しちゃった」
扉から顔だけを出してテヘペロと謝る。
なんてやつだ。
まさか家に入って一秒でポルターガイスト現象を引き起こすとは……。
僕は「はあ」とため息をついて玄関のドアを開けた。
「うわあ、綺麗に片付いた部屋だねー」
勝手にいろんな物をかき回されても嫌なので、桜ノ宮さんをすぐに僕の部屋に入れ、適当な場所に座ってもらうことにした。
今日は家に誰もいなくてホントよかった。
両親は共働きでまだ帰ってきていないし、妹も今はどこかでほっつき歩いてるようだ。
「あんまりキョロキョロしないでくれる?」
「綺麗っていうか、あんまり物がないね」
「ん、まあ……」
そう、僕の部屋にはテレビはおろか音楽CDやマンガ・小説の類も一切ない。
あるのは勉強机とベッドだけだ。
「物欲がないんだよな。マンガや小説はネットで読めるし、テレビは見ないし、ゲームもやらない。音楽だって全然聴かないし」
「……ねえアッキーノ、ひとつ聞いていい?」
「なに?」
「生きてて楽しい?」
「うごほっ!」
ものすごく哀れんだ目で言われてしまった!
なに!? 僕の生き方って、おかしい!?
「た、楽しいに決まってるじゃんか! まあ、楽しいっていうのもアレだけど!」
「アッキーノ、生きてるってね、呼吸してるってことじゃないんだよ?」
「なにいきなり哲学的なこと言ってるの!?」
「まあ、アッキーノがそれでいいならいいけど……」
ううう、なんかため息までつかれてしまった。
よくわからないけど僕の生き方が否定されてる気がする……。
「それよりねえ、私、男の人の部屋に入るの初めてなんだ」
「そうか。僕も女の人を入れるの初めてだよ」
「ふふ、ふふふふ」
不敵な笑みを浮かべる桜ノ宮さん。
「な、なに?」
これは考えてる。
絶対よからぬことを考えてる。
案の定、彼女は「えいや!」と突如としてベッドの下に手を伸ばした。
「うおおおおおおおおおおいっ!!!!!」
慌てて止めに入る。
あっぶね。
間一髪。
「ちょ、なにしてんの!?」
「男の人の部屋といったら恒例のお宝さがしでしょ」
「バカなの!?」
……あ、バカだったわ。
じゃなくて!
「ふざけてると追い出すよ!?」
「あはは、ごめんごめん。ちょっとからかっただけ」
さすがに追い出されたくはないのか、姿勢をただして元の位置に戻る桜ノ宮さん。
ふう、やれやれ……。
あやうく僕の秘蔵のコレクションがバレてしまうところだった。
でも姿勢を正しながらもベッドの下に興味津々のご様子。
こりゃあ、今度気づかれないうちに隠し場所を変えておかないと。
「ねえねえ、アッキーノ」
「……今度はなんだよ」
「アッキーノのベッドで寝ていい?」
「は?」
「うふふー、久々の布団だものー」
そう言うなり桜ノ宮さんはベッドに潜り込んだ。
「お、おい、ちょっと……」
布団をガバッとめくると、桜ノ宮さんはそのままグースカ眠ってしまっていた。
「早っ!」
速攻だな!
の〇太君かよ!
当然ながら部屋にベッドは一つしかない。
桜ノ宮さんが占領しているということは、僕は床で寝るしかない。
まだ夕方だけど、この爆睡具合だと朝まで寝ていそうだ。
このまま桜ノ宮さんを床に叩き落そうとも考えたけれど、やめた。
よくよく考えたら彼女は死んでから毛布に包まれて眠ったことなんてなかったんじゃないかと思ったからだ。
死んで、幽霊となって、どのくらいあの桜の木の下にいたのかはわからない。
けれども、ようやく僕という視える人に出会ってこうしてベッドに横になることができたのだろう。
今日一日……今日一日だけはベッドでゆっくり寝かせてあげよう。
そう思った。