第五話
とりあえず午後の講義にはきちんと出席した僕は(ちなみに桜ノ宮さんは講義が始まる前に「ゲシュタルト崩壊を起こす」とかわけのわからないことを言って逃げて行った)夕方、詩集サークルが行われる8号館へと向かった。
8号館はその名の通り、メインの1号館から7つ離れた少し寂しい場所にある建物だ。
もともと寂しい場所に建っているだけに、夕方ともなればひっそりとしてさらに寂しく感じられた。
外から見上げると、3階付近に明かりが灯っているのが見えた。
325室だから3階の25番めの部屋。
どうやらあそこが詩集サークルの活動場所らしい。
「にしても、詩集サークルってどんな活動してるんだろうね」
講義が終わったあと、ちゃっかり戻ってきた桜ノ宮さんが言う。
「さあ。詩集っていうからにはポエムを作ったり詠んだりしてるんじゃないか?」
「じゅげむじゅげむ、とか?」
「それは詩じゃない」
落語だろ、そりゃ。
「あれ? じゅげむじゅげむって詩じゃなかったっけ?」
「桜ノ宮さんは、じゅげむじゅげむ知ってるのか?」
「知ってるよー。じゅげむじゅげむっていうお化けが大量に襲ってくる日本のホラー映画でしょ?」
「うん、違う。全然違う」
なんで間違ってるのにドヤ顔なんだ。
そしてむしろちょっと見てみたいわ、その映画。
「じゅげむじゅげむなんたらかんたらっていう長ったらしい名前の人が、自分の自己紹介をしている間に相手の話が終わってしまうっていう落語のネタだよ」
「へー……」
興味ないんかい!
「まあ、それはともかくポエムを作ってるサークルだろうな」
「ポエムかー。私は書いたことないなー」
「そうなのか?」
「アッキーノは? 書いたことあるの?」
僕は唐突に中学生の頃の黒歴史を思い出した。
思春期真っ盛りだったあの頃。
いわゆる中二病を発症していた僕は、誰にも言えないようなこっ恥ずかしい詩を書いていた。
「…………い、いや、僕もないよ」
「ええー、怪しいなー」
桜ノ宮さんが目を光らせながら僕を見つめる。
「なんか書いてたでしょー?」
「書いてない」
「ほんとにー?」
「書こうと思ったこともない」
「うっそだー! 絶対書いてたって顔してる!」
どんな顔だよ。
「じゃあさ、イエスって十回言って」
「イエス、イエス、イエス、イエス、イエス、イエス、イエス、イエス、イエス、イエス」
「あなたはポエムを書いていましたか?」
「……………ノー」
「うきー! イエスって言ってよー!」
何をやらされてるんだ僕は……。
「絶対アッキーノはポエム書いてた気がするんだけどなー。それも混沌とか邪眼とかそういう中二病チックなの」
ギクッ。
なかなか鋭い。なんでそんなピンポイントで当ててくるんだ。
女のカンってやつか?
でも大丈夫。
黒歴史ノートは家の部屋のベッドの下に隠してある。ここにはない。
「ほらほら、そんなことよりも行くぞ」
僕はすぐに会話を切り上げて8号館へと入っていった。
「あ、待ってよー」
桜ノ宮さんの声が後から続いた。
※
春とはいえ夕方の建物内はやっぱり薄暗く、節電の関係で必要最小限の明かりしか点いていない廊下は少し不気味だった。
「ううう、怖いねー、アッキーノ。お化け出そう」
僕の後ろをピターっとくっついて着いてくる桜ノ宮さんは、なんともツッコミやすいフレーズを使ってきた。
そっかー、お化け出そうかー。
「ねえねえ、お化け出そうだよねー」
「だなー」
でもここはあえてツッコまず、薄暗い廊下を突き進む。
桜ノ宮さんはさらに身体を密着させて言ってきた。
「アッキーノ。私ね、こう見えて超怖がりなんだよー」
「そうなんだ」
ち、近い……。
息がかかるくらい近い……、息はかかんないけど。
「一番苦手なのはねー、お化けかな」
「へえ」
なんだろう、何かを期待しているような目で僕を見ている。
「それもしゃべってくるお化けが一番苦手。幽霊が話しかけてくるなんて超怖いよねー」
「かもなー」
「………」
「………」
「………」
「………」
「もう! ツッコんでよー!」
まさかのツッコミ待ちだった!
「え!? え!?」
「アッキーノ、こういう時はねー、『お化けなんていないさ』くらい言ってくれなきゃダメだよー!」
「それはツッコミなのか!?」
むしろボケのほうだろ!
「はあ、アッキーノには幻滅したよ」
「そうか、そりゃよかった」
幻滅したならぎゅっと抱き着いてる腕を離してほしい。
けれども桜ノ宮さんは「幻滅した」を10回言いながらも腕を離そうとはしなかった。
そうこうするうちに、目的の325室に到着した。
扉の隙間から明かりが漏れ出て薄暗い廊下を照らしている。
「ここだ」
僕はそっと隙間から中を覗き込んだ。
「小松奈緒は……と」
中には10人ほどの学生がいて、各々がノートを片手に談笑していた。
まだ活動らしき活動はしていないようだ。
「確かショートヘアの女の子だよね」
桜ノ宮さんが化け物のイラストを取り出して一緒に中を覗き見る。
……ていうか幽霊なんだから堂々とすり抜けて入ればいいのに。
「あの子かな?」
そう言って指さしたのは、いかにも文学少女という感じの三つ編みの綺麗な女性だった。
「あのー、桜ノ宮さん……? どうしてそのイラストからあの子に目を付けたのでしょうか……」
「ありゃ、ほんとだ。よく見たら耳から手が出てないや」
「よく見なくても耳から手なんか出てないだろ」
失礼にもほどがある。
「じゃあ、あの人かな」
今度は長身の頭のよさそうなイケメンを指さす。
「あれは男だろ。きみ、目は確か?」
「こう見えて両方とも2.0です」
「こう見えての基準がわからん」
そして視力が良くても頭が悪ければどうにもならないの典型がここにいた。
「んー、それらしき子はいないなー」
中を覗きながらつぶやくと、誰かにポンと肩をたたかれた。
「……?」
振り向くとそこには……。
「あの、何か御用でしょうか」
「ぎゃーーーーーー!!!!!」
いやいや、桜ノ宮さんが叫ぶんかい!!
背後にいたのはショートカットのボーイッシュな女の子だった。
もちろん桜ノ宮さんの絶叫など聞こえるはずもなく、怪訝な表情を浮かべて僕を見つめている。
きっとこの子が小松奈緒だ。
身長も僕より10センチほど低い160センチくらい。
目はパッチリ二重で、健康的美少女という表現がぴったりな子だった。
僕はコソコソと中を覗き見ていた怪しげな行動に気付き、慌てて姿勢を正した。
「あ、えーと、小松奈緒って子に用があって……」
初対面でいきなり「きみ、小松奈緒?」なんて聞いたらそれこそ不審者扱いされてしまうため、あえて知らない体を装う。
「あなたは?」
推定・小松奈緒が眉を寄せながら尋ねてくる。
「僕は秋野元春。日本文学科の3年で、水無月さんの……えーと、知り合い」
水無月さんの名前を出すと、推定・小松奈緒はハッとして僕を見た。
「優奈の……知り合い?」
「うん」
「……帰って」
「はい?」
「帰ってください!」
「へ?」
言うなり、推定・小松奈緒……いや、確定・小松奈緒はその場から走って逃げて行った。
「は? へ?」
帰ってくださいと言いながら自分から帰っちゃったんですけど……。
何がどうなってんの?
「あーあ、怒らせちゃった」
桜ノ宮さんがわかったような口をきく。
いやいや、怒らせたっていうか勝手に逃げていっただけでしょ。
僕は小松奈緒のいなくなった廊下を見つめながら、ポカンとたたずむしかなかった。