第一話
※不定期更新になります。ごめんなさい。
「ねえねえねえねえ。ねえったらねえ」
その日、おそらく僕は20年の人生の中で、もっともインパクトのある女の子に出くわした。
いや、正確には女の子の“霊”だ。
ふわふわふわふわ宙に浮いている、あの“霊”だ。
僕は昔から霊感が強く、この世のものではないものを多く見てきた。
それは地縛霊であったり、背後霊であったり、浮遊霊であったり。
けれども、そのどれもが物静かで何も語らずただそこに存在しているという感じで、彼女のように話しかけてくるような者はいなかった。
「聞こえてますかー? もしもーし」
「………」
「ねえ、聞こえてるんでしょ? 無視しないでくださーい」
「………」
だからというわけではないが、僕は聞こえないふりをした。
これから大学で講義があるからという理由もあるけれど、要は面倒くさかったのだ。
「これ以上無視するんなら、えーと、呪い殺しちゃいますよー! がおー」
……かわいい。
普通にかわいい。
これが“生きている”女の子だったらどんなにいいか。
でも幽霊だから何も言わない。
年齢でいったら高校生くらいか。
白いワンピース姿の子どもっぽい女の子の霊だった。
僕は徹底的に無視を決め込んでスタスタと桜並木の道を突き進む。
「ねーえー、聞ーこーえーてーるーんーでーしょーおー?」
「………」
「それ、ツンツン。ツンツン」
「………」
かわいい。
「いないいない、ばあ」
かわいい。
「すりすり、すりすり」
……きゃわいい。
「あー! わかった! もしかして照れてるんでしょ!? 私が可愛いから! ねえねえ! そうなんでしょ!? うふふー、もう。照・れ・屋・さん」
「………」
「あ、でもでも。照れ屋さんって言ったらー。昔この近所にいた男の子もすごい照れ屋さんでー、私が『おはよー』って言ったらー、走って逃げて行ったんだよねー」
「………」
「でねでね、追いかけてってー、『おはよー』って言ったらー、すっごくちっちゃな声で『おはよー』って返してくれてー……ぺらぺーら、ぺらぺーら」
「………」
なんなんだ、この子。
しゃべりが全然止まらない。
幽霊……なんだよな?
どこから来るんだ、この明るさ。
彼女を見かけたのは本当に偶然だった。
いつものように大学に向かう途中の桜並木の道を歩いていると、舞い散る桜と一緒にくるくる回っているツインテールの彼女に出くわしたのだ。
その時は普通に「変な人だな」くらいに思っていたのだが、なぜかまわりの人たちは彼女の存在を誰も気に止めておらず、スタスタとその脇を通っていた。
僕もそれに倣って何食わぬ顔で通り過ぎればよかったんだけど、途中でバランスを崩した彼女に慌てて手を差し伸べようとしてしまったのが間違いだった。
彼女は転ぶことなく自力で体勢を立て直し、そして手を差し伸べている僕に目を向けた。
瞬間、「まずい」と思った。
生きている人間ではないとすぐにわかったからだ。
彼女は地に足をついていなかった。
つまりは浮遊していた。
僕はすぐに手を引っ込めて歩き出した。
こういう場合、つきまとわれることが多い。
案の定、彼女はずっとずっとずっとずっとずっとずーーーーっと、僕につきまとっている。
「……というわけでー、アインシュタインの相対性理論が完成したんだってー」
「………」
ち ょ っ と 待 て。
話が飛んだぞ。
なんだ「相対性理論」って。
なんでいきなりそんな小難しい単語が出てくるんだ。
さっきのさっきまで近所の照れ屋さんの男の子の話をしてなかったか?
「ねえねえ、君は相対性理論ってわかるー?」
わかるか!
考えたこともないわ!
「相対性理論ってねー、例えばねー、えーとえーと」
「………」
「……なんだっけ?」
「知るか!」
……あ。
思わずツッコんでしまった。
「わあー! やっぱり聞こえてたんだー!」
やられた。
まんまとこいつのペースにはめられてしまった。
「ねえねえねえねえ、どうして無視してたのー?」
「………」
僕は何も言わずに歩くスピードを速める。
しかし彼女は何食わぬ顔でスイーッと同じペースでついてきた。
「ねえねえねえねえ」
「だああああ、うるさい! ついてくんな!」
語気を強めて追い返そうと試みるも、彼女はまったく意に介さない様子で笑っていた。
「嫌だよー。やっと話ができる人と会えたんだもーん」
「言っとくけどな! 僕は何もしないし何もできないぞ!」
「嬉しいなー。やっと話ができる人と会えたー。嬉しいなったら嬉しいなー」
「おい、聞けよ!」
「くるくるくるくるー」
聞いちゃいねー……。
「あ、申し遅れました! わたくし、桜ノ宮やよいと申します!」
勝手に自己紹介まで始めた。
「桜ノ宮の桜は桜肉の桜で、宮はお宮参りの宮。やよいは三月の弥生という意味なんだけど、ひらがなでやよい。どうぞサクラーニャとお呼びくだせえ!」
なんだよ、お呼びくだせえって。
時代劇かよ。
「いや、呼ばないし」
「な、なんと!? サクラーニャは嫌いでありますか! で、ではやよいちんと……」
「だから呼ばないって」
「なんとー!? やよいちんもダメでありますか! こりゃまいった」
まいるな。
「じゃあ、ここはひとつ。桜ノ宮様で……」
「なんで呼称のランクあがってんの!? だから呼ばないって!」
「どうしてでありますか?」
「あなたとは関わり合いを持ちたくないからです」
「………」
瞬間、やよいちん……じゃなかった、桜ノ宮やよいと名乗った彼女はピタッと動きを止めた。
「……?」
先ほどまでのマシンガントークはどこへやら。
何やら思いつめた様子でぶるぶる震えている。
僕も思わず足を止めた。
「な、なに?」
「………」
「どうしたの?」
「………」
すると突然、彼女の大きな瞳から一筋の涙が流れ落ちた。
「う、うおおおおおおい! ちょっと待ったー! 泣くのー!?」
マジで!?
ここで!?
それは反則でしょー!
「ご、ごめん! なんかごめん!」
必死で謝る。
なんてこった、見ず知らずの女の子を泣かせてしまった。
たとえ幽霊であっても罪悪感に苛まれる。
でもそんな彼女は目をこすりながらつぶやいた。
「目にゴミ入った……」
「ゴミかーいッ!!!!」
渾身のツッコミ。
安堵からの渾身のツッコミ。
生まれてこの方、こんなにも安心してツッコんだことはあっただろうか。
なんだかもう、訳が分からないまま彼女のペースに飲まれてしまっている気がする。
僕は盛大にため息をついた。
「はあ、わかったわかった」
「え? なにが?」
「呼び名。桜ノ宮さんって呼ばせてもらうことにするよ」
「ええー。普通すぎるー」
こ、こいつ……。
百歩譲って名前を呼んでやるって言うのに普通ときやがった。
「もっと可愛らしい名前で呼んでよー」
「それ以外では呼ばぬ!」
「……で? あなたは?」
「僕?」
「名前」
「えーと、秋野……も、桃太郎」
「はい、うそー」
「なんでわかった!?」
「いやいや、桃太郎なんて……。ねえ?」
誰に聞いてるんだ。
っていうか幽霊相手に本名はあまり名乗りたくないんだけど。
「えーと、なになに? 秋野元春?」
「あ! 僕の学生証! いつの間に!」
気づけば桜ノ宮さんは僕のポケットから財布を抜き出していた。
動きもそうだけど、モノをつかめることにもビックリした。
こんな幽霊、見たことない。
「ぷぷぷー。苗字が秋で名前が春なんだー。うーけーるー」
「いや、笑う理由がまったくわからないんですけど」
「だって秋の元が春だなんて……ぷすぷすぷす」
吹き出すその顔の憎たらしいこと。
「それを言ったら君だって桜と三月で春と春じゃないか」
「あら。桜と三月、最高の組み合わせじゃない」
……ま、まあ、そうだけど。
ヤバい、自分で言っといて否定する要素が思い浮かばない。
「とにかく、学生証返せ」
僕は彼女の手から財布を奪い返した。
またスリ取られないよう、ショルダーバッグの奥にしまっておこう。
「秋野くんかー。じゃあアッキーだねー」
「じゃあってなんだ、じゃあって」
「それとも元春だからモッチーのほうがいい?」
「だからなんであだ名で呼ぼうとしてるん!?」
「だって“秋野くん”なんて呼びづらいじゃん」
「秋野が呼びづらかったら、日本全国の苗字が呼びづらいわ!」
むしろ呼びやすいだろ、秋野。
全国の秋野さんに謝れ。
「じゃあ両方合わせてアッキーノ・モッチッチでいいか」
「やめて!?」
なんなのこの子。
ほんとペース乱されるわあ。
「まあ、名前のことは置いといて。実はね、あなたにお願いがあるの」
はいきた。
絶対来ると思ってた。
こういう輩は話しが通じるとすぐに願い事を言ってくるんだから。
何度も何度も経験済み。
ここは少しでも無理そうだったら断ろう。
そう思って身構えていると、彼女の口から出たのは意外な言葉だった。
「私をあなたの彼女にしてください」