第1回:「変態と数学教師」
あたし、蔵林千枝、高校2年、17歳には、とんでもなく変な幼なじみがいる。
諸橋篤也、それがその幼なじみの名前である。
今は午前中最後の授業、数学の授業中。お腹が空いて、圧死寸前の腹の虫が今にも断末魔の叫びを上げようとしている。
もうお弁当食べようかと思い始めたとき、何やらあたしの腹の虫を刺激する匂いが漂ってきた。それは美味そうな唐揚げのかぐわしい香りだった。
これはもうアレだね、無差別テロだね。
あたしは零れそうになったよだれを引っ込めつつ、右斜め前方向、テロリストの席を見た。
「お゛ー、誰だ、唐揚げくせーぞォ!?」
一人の男子が担任の物真似で騒ぎ立てた。発言する前に「お゛ー」と付けるのが特徴である。
瞬く間に笑いが広がり、教室が騒がしくなった。
「おい、諸橋……何してんだ」
数学教師、通称将軍がテロリストの諸橋篤也を教卓から見下ろして言った。鉄仮面の将軍は、それはもう恐ろしいほどのプレッシャーを放っている。
対し、しょうのない幼なじみは早弁に夢中でまったく危機に気づかない。てゆーか、教科書なんか立てて隠したところで逆に不自然であることにいい加減彼は気づくべきだ。
あーあー、あんなに頬張っちゃって。喉詰まらすなぁありゃ。
と思ったのも束の間、案の定奴は喉を押さえて仰け反りだした。
胸を叩いて胃まで通そうとしているが、どうやらかなり頑固に詰まってしまっているようでうまくいかないようだ。
クラス中が爆笑しているが、そうしている間にも篤也の顔が青ざめていく。
しかし将軍はそれを見下ろして眉一つ動かさない。ただじっと篤也が悶え苦しむ様を観察している。悪魔かこの人……あぁ、将軍だったね。
「おい、これヤバいんじゃね?」
篤也の隣で笑っていた男子が口の端をひきつらせて言った。
もう篤也の胸を叩く腕はほとんど動いていない。充血した目を見開いてプルプルと震えている。つか、こっちを見るな、夢に出そうだから。
騒ぎになる前にあたしは机に掛けていたビニール袋からペットボトルを取り出した。昼に飲もうと思っていた午後レモンティーだ。飲みかけだが、仕方ない。
それを見た篤也は勢いよく立ち上がり、昨今のゲームに見られるようになった走るゾンビのような挙動であたしの机に飛びついてきた。
ペットボトルをあたしの手から奪い取ると、奴はキャップに手をかけた。
だが要らんことに、奴は開栓済みだったことに気づいた。変なところだけ冷静だなこいつは。
篤也はペットボトルを指差して「飲んでも良いのか」と目で聞いてきた。その目は依然血走っている。
コクリと頷いて返してやると、篤也は死相の出た顔をパァーっと輝かせた。その後「フヒヒ、サーセンw」みたいな嫌らしい顔に変わったかと思えば、与えたペットボトルにがっついた。もう変態にしか見えない。
一連の動きはわざとやっているんだろうが、結構むかつく。てゆーかまだまだ余裕だなこいつ。殴りたい。
そんなことを考えてるうちにも篤也はゴッゴッゴッゴッ、とレモンティーを喉に流し込み、死地から生還した。
「っぜはぁーーー!!」
この野郎全部飲みやがった。畜生、爽快そうに口なんか拭ってんじゃねぇ。
「おらよ千枝、美味かったぜ」
空になったペットボトル(ゴミ)はしっかりあたしに返却してきやがった。
「命の恩人への感謝はないのか」
「おお、そうだったな。サンキュー午後ティー」
なんか親指とか立ててペットボトルにお礼言ってんですけど……。
「まぁいいけどね」
「おい、冗談だって」
「じゃあ授業終わったら自販機にダッシュ」
「ああ、それは嫌だ」
いつものことながら、なんだこいつ。というか気づいているのだろうか。教卓から終始放たれっぱなしの殺気に。
気づいていなさそうなので目で将軍を指して教えてやる。
それにより殺気にようやく気づいた篤也は将軍に向かい合った。
そして睨み合うこと数秒、将軍が口を開いた。
「……席につけ」
「うす」
おお、篤也が負けた。
篤也は大人しく指示に従い、自分の席に戻った。倒れていた椅子を起こし、それに座る。
「……授業を続けます」
そう言った将軍が黒板に向き直ったとき、授業終了の鐘がなった。
バキッ。
将軍が黒板に当てたチョークが折れた。彼はかなりご立腹のようだ。
チャイムが鳴り響く中、将軍はそのままの姿勢でしばらく佇んでいた。
・
放課後、古本屋を経由した後、帰路についたあたしは篤也を後ろに乗せ、自転車を漕いでいた。色々とツッコみたいが、とりあえずここはスルーするとするー。……寒。
ちなみに篤也は後ろを向いて座っている。あたしの後ろに乗るときはそうしろとあたしが言ったからだ。理由は聞くな。
「あれはかなり怒ってるな」
後ろの篤也に言った。
「将軍か?」
「うん」
「ちょっと迷惑かけちまったけど、そんな怒ることでもないだろ」
「それはお前が言うことじゃない。あと、将軍はペースを乱されることが大嫌いらしい」
「あー……だんだん鬱になってきた」
篤也は頭を掻いた。
そんなことをしていると、道端で何やら口論している人たちを見つけた。
何気なくその人たちを見ると、口論しているのはお隣の高校の不良女どもと――将軍だった。
あたしは思わずブレーキをかけた。だが慣性によって篤也の後頭部があたしの後頭部に突っ込んできた。
痛いので頭をさするが、正直それどころではない。
将軍たちを見ていたら、篤也が自転車から降りてあたしの肩をつかんできた。
「いってぇな、いきなりブレーキかけんじゃねぇよ!」
「そんなことよりあれ」
口論している将軍たちを指差した。
篤也は眉を潜めてその光景を怪訝そうに眺めた。
「なにしてんだありゃ」
「さぁ」
あたしたちは聞き耳を立てた。
「はぁ? 何このオッサン、マジキモくねー」
「んー、マジキモいよねー。なにー?」
「気安く話しかけてくんなって感じじゃねー」
「てかなんか臭くね?」
「アハハハハハハ」
三人の不良女どもはバカを丸だしにして笑っている。
やがて将軍がゆっくりと口を開いた。
「……言いたいことはそれだけか」
その言葉を聞いた途端に不良女どもは眉間にシワを寄せた。
「なにオッサン、チョーシこいてね? マジキモいんだけど」
「ケーサツ呼ぼうよ」
「ウケる」
将軍はなおも続ける。
「生憎、陰口悪口は言われ慣れていてね、何を言われても平気なんだよ。警察を呼びたければ呼べばいい。いくらでも付き合おう」
将軍の口から出たその言葉を聞いて、あたしは少し胸が痛かった。
あの人はいったいどれだけの悪口に耐えてきたのだろう。
どれだけの悪意を受ければあれだけの包容力が身に付くのだろう。
いや、いくら悪意を浴びたからといって包容力が付くとは限らない。大多数の人間ならば歪んでしまうはずだ。
あの包容力は将軍自身の心の強さなのだろう。
「だが、警察に対しては君たちもタバコを吸っていた立場上都合が悪いはずだが?」
ああ、なるほど、将軍はあいつらにタバコを注意したのか。
「は、バカじゃん、ウチらが痴漢って言えばオッサン痴漢なんだよ? 知らないの?」
「マジ女つえーし」
何を言っているのだろうあのバカ女どもは。日本語喋れくそ。
将軍は悠然とそいつらを見下ろして言った。
「君たちがなんと言おうとも、義の上に立っているのはこの私だ。その事実は決して覆らん」
両者一歩も譲らず。
放っておけばバカ女どもが痺れを切らして立ち去るかと思っていたが、どうやらそれはなくなった。偶然通りかかった警官が声をかけてきたのだ。
「このオジサン痴漢です、逮捕してください」
早速取り入ろうとするバカ女。だが、そうは問屋が卸さない。
バカ幼なじみが突撃していった。これでもう安心だ。あいつがやる気になったら不可能なんてない。だって昔からそうだったから。
「お巡りさん、俺見てたんすけどこの人痴漢じゃないですよ」
「どういうことでありますか?」
「この人うちの高校の先生なんすけど、先生はただこいつらにタバコを止めるよう注意しただけです」
「なんだテメー、いきなり出てきてざけんじゃねーぞ」
騒ぎだすバカ女どもを警官が制し、将軍に事実を確認する。。
「本当ですか?」
「……ええ」
将軍はゆっくりと答えた。いつもの調子で。
・
結局タバコがバレたバカ女どもは各方面からしっかりと絞られたらしい。まぁそのくらいでやつらがタバコをやめるとは思わんが。
で、将軍のほうはというと、篤也と仲がよくなったらしい。昨日もバカ幼なじみは数学科室に行って将軍に数学を教えてもらったようだ。
曰わく、
「だってせっかく良い先生がいるんだから教わんなきゃ損だろ?」
らしい。いつもながらケチくさい。
また、それを見た生徒たちも鉄仮面将軍に親しみを感じ始めたらしく、結果、数学の学年成績が例年のものを大きく上回るという事態となった。ちなみに万年赤点の篤也は満点だったが、あたしはいつも通りぱっとしなかった。
ああ、一番変わったことを言うのを忘れてた。
将軍が笑うようになった。
See you next time!
はじめまして古本です(笑)
この小説はとあるサイトで書いてる日記に載せたものです。
少しでも楽しんでいただけたなら、古本は安心して眠ることができます。
(´∀`)
今後も何かしら投稿するつもりなのでよろしくお願いします
m(_ _)m