4 転移魔法による竜退治
鉛色にくすんだ彼方の雲に、時折稲光が明滅します。湿り気を含んだ重たい風
が、陰気な声を上げながら吹き抜けて行きます。岩壁が剥き出しになった灰色の山々が彼方の地平線を遮るように、私達の視界に映っておりました。
現在、私とユウキ先輩は街の北西にある山脈の頂上へと挑んでおります。ギルドから受けた、とある難易度の高いクエストをこなすためです。
厳しい山道に、急速に荒れる天候、危険な魔物……と、困難には事欠きません。幸いにも先輩は転移魔法が使えるため、小刻みに帰還して体勢を整えつつじっくりと進行……と言う手段が取れます。
「着いたぞ。ここが山頂のようだな」
やがて、私達は目的地である山脈の頂上へと辿り着きました。
「やっとですね……。登山なんて、小学校の遠足で近所の山に登って以来です。休み休みとは言え、流石に疲れましたよ」
「一応、ここからが本番だぞ。念のため気を抜くな」
山頂でしばらく待っていると、やがて遠くから何かの羽音が聞こえて来ました。
いえ、羽音と言うのは正しくはありますが、適切ではありませんでした。
巨大な翼の音です。虫の羽や鳥の翼など、風圧で吹き飛ばしてしまいそうな程に力強い威容を誇る、それはそれは大きな両翼が空を叩く音でした。
現れたのは、全身を金色の鱗で覆った一体の巨大なドラゴンでした。頭から尻尾まで、その全長は――慣れ親しんだメートル法を用いれば――二〇メートルを下らないでしょう。
金色のドラゴンは逞しい四肢で自重を支えつつ、私達の前へと着地しました。
『何の用だ、人間。この地を我が領内と知って足を踏み入れたか』
重々しく口を開けるドラゴンに、私は一歩前に出て頭を下げます。
「まずは突然の来訪に対する無礼をお詫び申し上げさせて頂くと共に、自己紹介の機会をお許し下さい」
『ふん、良いだろう』
「寛大なお言葉、感謝致します。……初めてお目に掛かります、私はミア、こちらはユウキです。この度は、冒険者ギルドからのクエストを受け、当地へとやって参りました」
『冒険者ギルド、知っておるぞ。さては我の討伐にでも来たか』
「まずはこちらの話をお聞き下さい。……あなたは近頃になって、この山脈へとやって来られたそうですね」
『それがどうした?』
「あなたはその強大な力を持って、手向かいする魔物達を追い散らし、ここを領地としました。しかしその結果、あなたに恐れをなして山を下りた魔物達が、麓の村へと危害を加え始めております。被害報告も多数上がっており、ギルドとしましてはこれを看過出来ない事態である、と考えております」
『……なるほど』
ドラゴンは鼻を鳴らしました。
『貴様らは、この事態を収めるためにクエストを受け、我が元へとやって来た……と、そう言う事か。随分と回りくどい口上ではあるが、とどのつまり討伐に来た事に変わりあるまい』
「話には続きがあります。……包み隠さず申し上げますと、確かにギルドがあなたの討伐を視野に入れている事は事実です。しかし、要は麓の魔物被害を沈静化させられさえすれば、それで良いのです。……そこで、私達は一つあなたにお願いをしたいと考えております」
ドラゴンは顎を動かし、話の続きを促しました。
「どうか、あなたの領地を変えて頂けないでしょうか? 何も、あなたがこの山脈を出て行く必要はありません。山脈のもっと奥に領地を移して頂ければ、それで十分です。そうすれば、魔物の生息域も元に戻り、麓への被害も収める事が出来るでしょう。……この提案をお聞き入れ頂きますよう、重ねてお願い申し上げます」
そう言って私は深々と頭を下げました。
『……話は分かった』
やがて、ドラゴンは再び口を開きました。
『しかし小娘。それで一体、我に何の得がある。何故、我が貴様らの都合をわざわざ聞き入れ、居を移さねばならん』
「どうしてもこの地から動く事は出来ない、と言う訳でしょうか?」
『そうではない。貴様の提案を受ける必要性がない、と言っておるのだ。我に手向かいせぬ限り、人間共になど興味はないし、他の魔物共も同様だ。麓がどうなろうと、土台我には関わりのない事よ』
「無礼は重々承知の上、申し上げてよろしいでしょうか?」
『言うてみよ』
「感謝致します。……そもそも、この度の事態はあなたがこの地に根を下ろした事が発端となっております。たとえ麓を襲う魔物達を一時的に追い払ったとしても、我々にとって根本的な解決とは至らないでしょう。
事態が沈静化しなければ、いずれ王国が本格的な討伐部隊を結成し、あなたの元へと差し向ける事となります。例えあなたに不干渉の意志があったとしても、この事態を無関係で乗り切る事は不可能でしょう」
ドラゴンの両目が鋭く引き絞られましたが、取り敢えずは続きを聞いて頂けるようです。
「そして、我々人間はあなた方竜族の強靱さを十分に認識しております。鉄より固い鱗に覆われ、岩をも引き裂く爪と牙とを持つ。両翼で自在に空を飛び、口からは猛火を吐き出す。……討伐隊は、それを知った上であなたに挑む事となります。十分な人数と万全の装備とを用意した上で、決死の覚悟を持ってあなたへと刃を向けるでしょう。いかにあなたの力が強大であろうと、無傷で彼らを退けるのは難しいはずです。領地に固執したばかりに、手痛い代償を支払う……と言った事も十分にあり得るでしょう。
どうやら、あなたにはこの地に特別なこだわりがある訳ではない様子です。穏便に事態を収められるのであれば、それに越した事はないのではありませんか。どうか、ご一考の程お願い頂けませんでしょうか」
話を聞き終えたドラゴンは、低く長い唸りを上げます。
『……確かに、筋の通った話だ。人間共が総力を持って戦を仕掛けるとなれば、我も手傷を覚悟せねばならぬだろう』
「では?」
『しかし小娘。貴様は一つ見誤っておる。我は口で動かぬ。我を動かす道理はただ一つ、"力"だ。人間共が討伐隊を差し向ける? 大いに結構。受けて立ってくれよう。互いに持ち得る力を持っての闘争、その果ての手傷はむしろ勲章よ。……随分と不躾な脅し文句を用意してくれたものだが、乗ってやりはせん』
「言葉だけでは納得しない、と?」
『左様。我に居を移して欲しければ、力を示せ。……帰ってギルドの人間共にそう伝えるが良い』
「私を見逃すのですか?」
『たったの二人でやって来て、交渉を始める。その内容が『討伐隊が我に挑む』。……小間使いの仕事だ。貴様らに戦う気がないのは明白だ。我の気が変わらぬ内に失せるが良い』
「――それを言うなら、お前は二つ見誤っているぞ」
横合いから、唐突に先輩が口を挟んで来ました。
「……あの、先輩? せっかく私が丁寧な対話を試みているんですから、流れを汲んでもうちょっと言い方を……」
『続けさせろ』
ドラゴンは特に気にする様子もなく言いました。
段取り的には"予定通り"であるんですけれど……本当、良くも悪くも先輩は相手次第で態度を変えない人です。機会があるかどうかは別にして、貴族や王族の方々には迂闊に会わせられません。
「一つ目。俺達は、お前達竜族の性向も十分に認識している。力を示さなければお前は動かない事など、先刻承知だ。そして二つ目。俺達がそれを知った上で、お前と交渉だけを行いに来たとでも思うか? ……俺達には、お前に力を示す用意がある」
『ほう……っ!』
ドラゴンがにわかに声を荒げます。大半が威圧と怒りでありましたが、微かな歓喜が入り混じっている事も隠し切れてはいませんでした。やはり竜族、"力を示す"と言うフレーズには期待を抱かざるを得ないのでしょう。
『貧弱な小僧が分不相応な大言を吐きおる。たかが二人で何が出来る。撤回するのであれば、今の内だぞ』
「不要だ。お前なぞ、俺達だけで十分倒せる」
『ほざきおるわっ!! 言うたからには、例え今ここで背を向けようと我は貴様らを跡形なく屠り去ってくれるっ!!』
「無理だな。それどころか、俺達はここから一歩も動かずお前に勝てる」
『蛮勇も通し切ればいっそ清々しいものだなっ!! 良かろうっ!! その虚勢に免じて、惨めな命乞いを見せる前に貴様らを灰へと変えてくれるっ!!』
そう叫んでドラゴンは大きく息を吸い、口から炎を吹き出しました。黄金色に包まれた体躯が紅蓮の炎を照り返し、煌々と輝きます。
高熱が奔流となり、私達二人を飲み込もうと、
「転移魔法!」
――する前に、先輩が転移魔法を前面に大きく展開しました。迫り来る炎が、余す事なく全て入り口へと吸い込まれて行きます。
そして、
『ぬぅぅぅぅうううう……っ!?』
ドラゴンの頭部左側面――私達から見て右側に出現させた出口から、炎が飛び出しました。自身が吐き出した炎を顔面へとまともに浴び、ドラゴンから苦悶の呻きが漏れました。
「俺の転移魔法を使えば、遠距離攻撃を放った相手へとそっくりそのまま返す事が出来る」
『おのれ……っ!! やってくれおる……っ!!』
「……流石は竜族、自身の炎を浴びた程度で倒れる程ヤワな鱗は持っていないか」
『……貴様の術、知っているぞ。確か空間転移系の魔法だな。遙か太古に失われた魔力だ。そんなものを独力で、しかも尻の青い小僧如きが修得するなどまず不可能のはず。……そうか、貴様は"転生者"だな』
「……知っているのですか?」
『どうやら、小娘の方もそうらしいな。……永く生きていれば、そう言う話を聞く事もある。死したる魂が神々の祝福を受け秘跡を得、異なる世界にて新たなる生を与えられる……と』
現実はうっかりミスのお詫びですけど。
『なるほど、大言を吐くのも頷ける。これは中々に愉しめそうだ。……が、空間転移など所詮は移動のための術。先程は少々驚いたが……我が金城鉄壁の鱗を前に、些末な工夫程度が何の脅威となり得ようか』
ドラゴンは翼を一度大きく羽ばたかせ、力士が四股を踏むように両前足を地面にへ叩き付けます。鱗の奥から、筋肉の躍動が伝わって来るような力強さでした。
『小僧よ、腰の刃を抜け。小娘よ、手の杖を向けよ。神々に愛でられし貴様らの全て、我が前に曝け出して見せろっ!!』
「剣など抜く必要はない。俺の転移魔法はお前の鱗など何の相手にもならん。そして俺の転移魔法はあらゆる刃を上回る。前言の通りだ、ここから一歩も動かずとも俺達はお前に勝てる」
『やって見るが良いっ!!』
ドラゴンは前足に一層の力を込め、さながら黄金の塊となって突進して来まし
た。大地はおろか、大気までも震わせるような威圧を纏い、私達へと向かって、
「転移魔法!」
――迫って来たドラゴンは、転移魔法の入り口へと首を突っ込ませました。出口はドラゴンの身体の右横、私達から見て左側です。まるで、横腹から首がにょっきりと伸びているかのような光景です。
『ぬうぅ……っ!?』
ドラゴンの首が転移魔法を通り抜けてしまわない内に、先輩は出入り口の扉を縮めます。まるで首輪をはめるように、扉の縁がドラゴンの首に収まりました。
転移魔法は、扉より大きなものを通り抜けさせる事が出来ません。転移の魔力はあくまで扉の内側にのみ作用し、縁から外側には影響を与えないためです。現在の転移魔法の大きさでは、ドラゴンの頭も身体も通り抜ける事が出来ませんし、腕力では扉を動かす事も出来ません。
つまり、ドラゴンは"そこから抜け出す事が出来なくなった"訳です。
『これは……っ!? 抜けぬ、抜けぬ……っ!!』
「お前の敗因は一つ。転移魔法の存在を知りながら、その神髄をまるで理解していなかった事だ。していれば、俺が想定していた通りの行動を取る事はなかった。炎が無効化されれば、次にその爪か牙を使うため俺に迫ると思っていた。――そこに転移魔法が待ち受けているとも想像出来ずにな」
『ぬうぅぅぅ……っ!!』
「通過する途中で転移魔法の入り口を狭めてしまえば、そうやってお前を捕らえる事が出来る。押そうが引こうが、身体のどこかがつっかえるからな」
『おのれ……っ!! だが、捕らえた程度で我を下せると思うな……っ!!』
「いいや、とっくに勝負は決まっている。……ここで一つ説明しておこう。お前は転移魔法を『移動のため』の魔法と言ったな。間違いではないが、より厳密に言えば『扉を通じて、離れた空間同士を接続する』魔法だ。紙を折り曲げ、端と反対側の端とをくっ付けて一続きにするようなものだ。転移魔法を解除すれば、接続されていた空間は元の通りに分かたれる事になる」
『……貴様……まさか……っ!?』
「――では、ここで問題だ。今この状況で転移魔法を解除すれば――"お前が扉に頭を突っ込み、首と胴体が空間の接続面を跨いでいる"この状況下で、くっ付いた空間を元通りに切り離せば、お前は一体どうなる?」
『止めろおおぉぉぉぉぉぉ――――――っ!!』
「つまり、そう言う事だ。……ついでに言えば、転移魔法の扉には"表側"と"裏側"がある。転移するには表を通る必要があって、裏を通っても素通りする。そしてお前が転移魔法に頭を突っ込んでいる現在、俺達の方を向いている扉裏側の奥には、お前の"体内"が存在する。――強固な鱗に守られていない、お前の無防備な体内がな」
『止めろ……っ!! 止めろ……っ!!』
「つまりこの状況、やろうと思えばお前の体内へと直接攻撃を加える事だって出来る。位置的には喉の辺りか。構造が人間と同じだと仮定すれば、食道や気管を通して胃やら肺やらを攻撃出来るな。――どうする? ミアの魔法をありったけぶち込もうか? 毒薬でも投げ入れようか? それとも当初の予定通り、転移魔法を解除しようか?」
『止めろ……っ!!』
「自分の末路だ、どれでも好きな方法を選ぶと良い。いずれにせよ、俺達はここから一歩も動かずに達成出来る。全て、宣言した通りだ」
『分かった……っ!! もう分かった……っ!!』
「何をだ? はっきりと明言して貰わなければ困る」
『我の負けだっ!! 貴様らの提案を飲むっ!! ただちに領地を移すとここに誓おうっ!!』
「クエスト達成だな」
先輩は満足気に頷きました。
『してやられたわ……。人間如きと侮った末にこのザマとはな……』
転移魔法から解放されたドラゴンは、不快気に首を振りながら言いました。
「正確には転移魔法を侮った事だ。……約束は守ってもらうぞ」
『分かっておる。元より、この地に執着がある訳でもない。小物風情の言いなりになるのが気に入らんかっただけよ。貴様らが十分な力を示した以上、最早我に異を唱える理由はない』
「単なる好奇心なのですけど、何故元の領地からここへとやって来たのか、お聞きしても?」
『構わん。……とは言っても、大した理由ではない。元々、火山の洞窟を領地としていたが、近頃火を吹いてな。我が寝所に溶岩が流れ込んで来おった。流石にそれ以上居着く気にもならず、いっそ領地を変えようと風の向くまま、ここへ飛んで来たのだ』
「それは災難でしたね」
『貴様らも似たようなものだ』
「失言でした」
『責めてはおらん。……先程も言ったが、我は人間になど興味はない。手出しをせぬ限り、我が人間を襲う事はない。ギルドにはそう伝えておけ』
「感謝します」
『貴様ら、名前は何と言ったか』
「ミアです」
「俺はユウキだ」
『ミアにユウキ。その名、覚えておこう。――さらばだ、転生者達よ。時空を越
え相見えた強者達よ』
そう言い残し、ドラゴンは飛び去って行きました。
雲の切れ目から差し込んだ光を浴び、金色の身体が太陽のように山々の上で輝いておりました。
「――やはり、転移魔法は最強だな」
流石先輩、余韻も何もありません。