9.親
小さな悪魔は、すっかり後悔しています。
こんな躰に入るんじゃなかった。そう思っているのです。
小さな悪魔は女の子の家へ行きました。とても小さな家でした。女の子には、小さな弟と妹がいました。
女の子の父親はあまり働きません。家でお酒ばかり飲んでいます。母親は父親からかくれるように、部屋にこもって内職しています。
父親は、母親にお金を渡しません。そのかわり毎日小さなお惣菜のパックを買ってきてわたします。それを母親と子どもたちで分けて食べるのです。母親は内職でかせいだお金で、古着や生活に必要なものを買ってきます。それが精一杯でした。
小さな悪魔はこんな生活が嫌で嫌でたまりません。
家の中をおもいきり汚しました。でも母親は怒りません。掃除もしません。内職をするのに忙しかったからです。母親が働いている間、小さな悪魔は、弟たちのお世話をしなければなりません。
小さな悪魔は、弟と妹にささやきました。
「家にはご飯がないから、友だちの家で食べておいで」
弟と妹は、ずっと友だちの家にいるようになりました。
小さな悪魔は学校がおわると、働きにでることにしました。友だちの家に遊びに行ってとまるから、と言って夜の仕事をするのです。
小さな悪魔は女の子の顔を作りかえて、大人のフリをして働きました。お酒を飲んでおしゃべりをする仕事です。そうやっておこづかいをかせぐのです。
朝になって家に帰ると、母親はほっとした顔で「おかえり」と言います。父親はここぞとばかりにえらそうに説教をしてきます。
小さな悪魔は、めんどうくさいので知らんぷりをして、学校へ行くのです。
そして考えるのでした。
この世には幸せな家と、そうじゃない家があるみたいだ。
そうじゃない方の家に来たら最悪だ。こんなのちっとも面白くない。
小さな悪魔は、父親を金持ちにすることに決めました。父親の仕事は骨董屋でした。でもめったに店を開けません。父親はいつもお酒でまっ赤な顔をしているからです。小さな悪魔は店番をして、ガラクタを高い値段でお客さんに売りつけました。みんな喜んで買っていきます。小さな悪魔が、「掘り出しものですよ」とか、「これからもっと値うちがあがりますよ」とささやくと、信じこんでしまうのです。悪魔は、人間の欲をふくらませるのが上手いのです。
父親はすぐにお金持ちになりました。けれど食事は、あいかわらずの小さなお惣菜のパックがひとつだけ。母親にお金はわたしません。父親は、家ではなく外でお酒を飲むようになりました。あまり家にいることはありません。
母親は、なんだかほっとしています。弟や妹は、あいかわらずです。家には寝に帰ってくるだけです。
父親では、この家はかわりませんでした。
小さな悪魔は首をかしげました。こんな変な家は、初めてでした。それから頭をひねりました。こんどは母親の方を金持ちにしてみよう。
母親が子どもたちに作ってやった人形が、骨董品とまちがわれて高値で買われました。それが骨董ではないとわかると、怒られるどころか次々と注文がきました。
母親もお金持ちになりました。
内職が人形作りにかわりました。お惣菜のパックは、大きいサイズになりました。でも、それだけです。
母親はかわりません。あいかわらず暗い顔をして、狭い部屋にこもっています。
小さな悪魔は、母親にたずねました。
「どうしてきれいな服を買わないの?」
「どうしておいしいものを食べないの?」
もうお金は充分あるのに。
母親は答えました。
「お前たちを養っていかなきゃいけないからね。お金はいくらあってもたりないよ」
小さな悪魔は、母親の心をのぞき込みました。そこには大きな真っ黒な穴が開いていました。どんなにお金を入れても、すべてその穴の中に落ちていってしまいます。母親は満足できないのです。
これでは貧乏も金持ちもありません。
小さな悪魔は困ってしまいました。ちっとも楽しくないのです。この母親は、喜ぶことも、嘆くこともしないのですから。
もう一度池に落ちれば、この母親は私を見るだろうか?
小さな悪魔は、母親の顔の上の小さな二つの穴を見つめました。
そこには、荒涼とした闇が広がっていました。母親は知っていたのです。娘の魂が、もうこの躰の中にはいないことを。
小さな悪魔は息が苦しくなりました。
その夜から、小さな悪魔はもう二度とこの家には帰りませんでした。
せっかく人間の躰を手にいれたのです。
面白おかしく生きなければ。
小さな悪魔は、顔をしかめて頭を振ったのでした。