表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/49

7.記憶

 小さな悪魔はあたらしい躰が気にいりました。


 若すぎず、年寄りすぎず、小さすぎず、大きすぎず。

 何もかもが、小さな悪魔の好みにぴったりだったのです。




 この躰の男は金持ちなので働いていません。いつも家にいて、本を読んだり、庭を散歩するだけです。小さな悪魔は、そんな退屈な毎日は大嫌いです。だから、街に遊びにでかけます。カジノに行って大金を賭けると、まわりに人間が集まります。酒や食事をふるまってやると、もっと人間が集まります。いろんなお店に出入りしました。そこで毎夜、にぎやかに朝まで遊ぶのです。





 東の空がしらむころ、小さな悪魔は男の家に戻ります。お酒でふわふわした足どりで、いつもの部屋に入ります。男のたったひとつ大切にしていたあの部屋です。

 真っ白なシーツに寝転んで目を瞑ると、男の記憶が躰からしみ出てきます。その記憶はやわらかな声になって、小さな悪魔を歌でつつむのです。


 ――幸せになるのよ、私のかわいい坊や。幸せになるのよ。


 小さな悪魔は、男の記憶を見つめます。その記憶の中の男の母親は、いつでも笑って小さな悪魔を見つめ返します。




 小さな悪魔は苦痛でたまりませんでした。眠ろうとするたびに、この記憶が出てきてじゃまするのです。いったいいつまで、この躰は母親の記憶にとらわれているのでしょう?


 小さな悪魔は、腹が立ってなりませんでした。

 それなのに、悪魔の彼であってもどうしようもできないのです。だってもう、この母親の魂も、男の魂も、この世にはいないのです。


 小さな悪魔は考えました。彼はこの躰が気にいっているのです。こんなことくらいでこの躰を捨ててしまうのは嫌でした。だから真剣に考えました。遊びにもいかずに考えました。




 小さな悪魔は、小さな酒場で女をひとり見つけました。男の母親に似た女です。小さな悪魔は、女を家につれて帰りいっしょにくらし始めました。


 小さな悪魔の思ったとおり、女は、男の記憶の中の母親と同じことをします。毎日料理をして、掃除をします。小さな悪魔を「愛しているわ」と抱きしめます。小さな悪魔が火を通したものを食べないと、涙を流して心配します。小さな悪魔が部屋を汚すと、またいちから掃除を始めます。




 小さな悪魔はこの女が大嫌いでした。

「あなたに幸せになってほしいの」

 女は言います。男の母親のように。

「あなたの幸せのために、私はもっとつくすから」


 どうか私を捨てないで。


 そう、女は言うのです。

 小さな悪魔はじっと我慢をしています。

 もう少し。もう少しです。




 小さな悪魔が待ちこがれていた日が来ました。

 あの白いシーツのベッドで眠る小さな悪魔をのぞき込み、「幸せにおなり、かわいい坊や」と歌う記憶は、もう母親の顔をしていません。それはこの隣に眠る女の顔をしています。


 小さな悪魔はにっこりしました。


 小さな悪魔は起きあがり、女の首をしめました。

 目を見ひらいた女は、「どうして?」と尋ねました。

「愛を乞われるのはもうたくさんだ」

 小さな悪魔は答えます。

「あんなに愛してあげたのに」

 女は消えいりそうな声でつぶやきます。

「お前は愛を欲しがるだけだった」

 小さな悪魔は言いました。


 嫌だと言うのに食べろと言い。そのままにしておけと言ってもかたづけて。

「あなたのため」「あなたのため」

 もううんざりだったのです。


 小さな悪魔は指にぐっと力をこめました。

 女は涙をひとすじ流して息たえました。もう、何も言いません。


 小さな悪魔はその晩安心して眠りました。母親の記憶はかき消えています。誰も彼の眠りを邪魔したりしません。



 でも、そう思えたのは束の間でした。女の魂が、天国にも地獄にも行かないのです。小さな悪魔が眠りにつこうとするたびに、「幸せになって、あなた」と祈るのです。昼も夜もおかまいなしです。



 小さな悪魔はすっかり疲れきっています。

 このしつこい女の魂をどうしたら追い払えるのでしょう……。


 小さな悪魔はため息をつきました。


「しかたがない」


 とうとう、彼はあきらめました。白いシーツの上に横たわり、そばのカーテンにろうそくで火をつけました。

 カーテンも、ベッドも、この部屋もみるみるうちに(ほのお)につつまれていきます。真っ赤に燃えたぎる焔の中、女の魂が男の(むくろ)を抱きしめます。やっと欲しい男を手に入れて、女の魂は嬉しそうに笑っています。女の魂は男の躯を抱いて、地獄へとびはねて行きました。



 この躰は呪われていたんだ。

 男の躰からぬけ出た小さな悪魔はそうつぶやいて、もう一度、ため息をつきました。





 

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ