4.新薬
小さな悪魔は浮かれていました。
ようやく人間の躰が手に入ったのです。こんどの躰は大人です。子どもの躰の時よりも、ずっと幸せな日々を送れることでしょう。
小さな悪魔は考えました。今回は、悪魔だと知られないように気をつけねば。彼は人間の自分を見る、おびえた瞳がとてもはらだたしくて、何もかもがいやになってしまうのです。
小さな悪魔は、この躰の男が結婚していた金持ちの女の家へ行きました。女は死んでしまったので、女の財産は男のものです。そうなるように、小さな悪魔は女に遺言書を書かせていました。「そうすれば、男の魂はお前にあげるよ」とささやいて。
女の葬式で、小さな悪魔はその両親に会いました。この二人は、男のことを嫌っていました。結婚にも反対していました。だから彼らは、娘のお棺にとりすがって泣き、小さな悪魔をなじります。「お前のせいだ」と。
小さな悪魔はとても悲しそうな顔をして、この義理の親をなぐさめます。涙を流していかに自分が彼女を愛していたか語ります。いつわりの言葉が清水のように流れでています。義理の両親はすっかりだまされてしまいました。そして、とうとう「これからも君は私たちの息子だ」と、小さな悪魔をだきしめて言いました。
小さな悪魔は義父の製薬会社で働くことになりました。小さな悪魔はとても喜びました。いよいよ人間社会の仲間入りです。
小さな悪魔は、難病にきく特効薬を開発しました。臨床試験を誤魔化して、効果があるようにみせかけました。新薬ができあがれば大もうけです。会社の株券はうなぎ上りの人気です。小さな悪魔は魔法のように株券を刷り、お金にかえていきました。彼の働きで会社はどんどん大きくなりました。彼は悪魔ですから、錬金術はおてのものなのです。
もう男の子の時のようなしくじりはしません。小さな悪魔は、温かな食べ物が食べられないことに気づかれないよう、ダイエット中をよそおいましたし、きれいにかたづいたオフィスは、書類をバラまいておくだけで我慢しました。弱虫を見つけていたぶるゲームだけは、みんなも喜ぶので続けましたが、そいつが会社に来なくなったり、死んでしまったりしないように、慎重に気をくばります。そんなささやかな我慢さえしておけば、小さな悪魔は、仲間からもてはやされて幸せだったのです。
ですが小さな悪魔は、もっと面白いことを思いつきました。新薬の開発には何年、何十年もかかります。その間ずっと同じ臨床試験を続けることに飽きてしまったからです。だから、もう完成まじかと言われていた新薬の最終試験を、わざと失敗させました。
会社は大さわぎです。それ以上にさわいだのは、この新薬は絶対に富をもたらしてくれると信じて、大金を投じてこの会社の株券を買っていた投資家たちです。
新しい特効薬を作れないとわかったこの会社は倒産しました。義理の両親は行方不明になりました。全財産をつぎこんだ株券が紙くずになってしまった投資家の中からは、たくさんの自殺者がでました。すでに空っぽの会社の建物の前で、「このイカサマ会社!」「金を返せ!」とさけんでいる投資家たちがたくさんいます。
小さな悪魔はこの混乱を笑って見ています。
「この悪魔!」
とつぜん、小さな悪魔にそんな言葉が投げつけられました。小さな悪魔は驚きました。ふり返ると同時に、躰は道にくずおれていました。胸にナイフが刺さっています。そのナイフを、彼は自分の手で引きぬきました。あざやかな赤い血があふれ出ています。
ああ、この躰はもうだめだ。せっかく手に入れた躰なのに……。
うつぶせに横たわる男の躰をすて、そのかたわらに立ちあがり、小さな悪魔はちっと舌うちをしました。そして、目をつり上げて肩であらい息をしながら、自分が殺した男の躯を見下ろしている女をしげしげと眺めました。この躰のもとの恋人だった貧しい女によくにています。
あの女の妹だ。小さな悪魔は、にやりと笑いました。
「はやく逃げるんだ。まだ誰も気づいていない。僕がきみを助けてあげるよ」
小さな悪魔は、女の耳もとでささやきました。