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39.交換 後編

「悪魔が叶えてくれるよ!」


 少年は大切な内緒話をするように、声を落として言いました。


「悪魔?!」


 友だちは驚いて息をのみました。


「悪魔って本当はちっとも怖いやつじゃないんだよ。願いを何でも叶えてくれる、優しい、いいやつなんだ。僕がここでこうしていられるのも、きみと友だちになりたいって願ったからなんだ」

「へぇ……」


 友だちは食い入るようにじっと少年を見つめます。


「正直に言っちゃうとね、僕、きみの家族になりたくて」

「俺の家族に? へぇ……、物好きだな。それで、きみの家ってのはどんな感じ? パパもママもいないんだろ、一人で好き勝手しても怒るやつがいないなんてサイコーじゃないか! 俺はそっちの方がだんぜんイイけどな!」


 友だちはクックッと喉を振るわせて笑います。


「こんな家なんか、ホントに交換できるなら、ぜひ悪魔にでもお願いしたいよ!」



 そのとたんほんの一瞬だけ、空気がパキッと凍りついたようでした。友だちの横で寝転がっていたはずの少年が、鏡を見るように自分の姿になっています。いえ、違います。さっきまで彼は壁側にいたはずです。位置が入れ替わって――、そんなことはどうだっていいのです。友だちはびっくりして自分の手を、服を確かめました。それから慌てて鏡を覗きこみました。


「すごいな、おい! 俺が、お前になってる!」


 少年の方も驚いている様子で、自分の顔を両手で触っています。


「おい、俺の顔をべたべた触るなよ!」

「あ、ごめん」


 二人は互いの顔を見つめ合い、それから腹を抱えて笑いだしました。



「ずいぶん楽しそうね。でも、そろそろお夕飯だから下りてらっしゃい。今日も一緒に食べていくでしょ? あなた、ろくなものを食べてないんじゃないかって、おばさん、心配なのよ」


 友だちの母親がドアから顔をのぞかせて、ほがらかに言いました。「はい、ありがとうございます!」と少年は答えます。「少し待って」と友だちはうるさそうに眉をしかめて言いました。友だちの母親はちょと変な顔をしました。「あ、」と少年は小さく声を漏らし、「すぐに行くよ、ママ」と恥ずかしそうな笑顔で言いました。


 母親がドアを閉めると、少年と友だちは、声を殺してまた笑い合いました。


「うまくやらないとな!」友だちは言いました。

「作戦会議が必要だよ!」少年は言いました。

「今晩、ここに泊まってもいい?」

「お前が、ママに頼めよ! ママは俺に甘いからさ。そうだな、追試の勉強をみてもらうって言えば――」

「追試! きみそんなに悪かったの!」


 友だちは少年の顔を、腹立たしげにしかめました。「あ、ごめん。でも、もう、きみは僕だからさ、勉強なんていらなくなるよ。何もしなくたって満点がとれるからさ!」少年は一生懸命友だちをなぐさめました。




 それから少年と友だちは、とてもうまくやりました。

 少年はとても幸せでした。小さな悪魔も満足していました。父親も、母親もとても息子に甘かったので、部屋は散らかし放題でもしかられません。お菓子だって食べ放題です。小さな悪魔は食事のときだけ、少年の躰からぬけだしていればいいのです。そしてこっそり隠れて、大好きな赤ワインや生肉を食べました。

 この家の親の望むことなんて、サッカーの試合で勝つこととテストでいい点をとることくらいなのです! 小さな悪魔にとってはちょろいものです。


 そして、友だちの方は――。

 ちっとも幸せではありませんでした。小さな悪魔はもうこの躰にはいないので、勉強もスポーツもたいしてうまくできません。本当の自分とちがって、かっこいいとはいえない躰に個性のない顔立ちでは、誰もちやほやしてくれません。自由気ままな独り暮らしが楽しかったのも初めのうちだけ。なんでも自分でしなくちゃならないなんて、なんて面倒くさいのでしょう!


「こんなはずじゃなかったのに」友だちは腹が立ってしかたがありませんでした。親切にしてやった可哀想なやつに、自分のものをすべて盗み取られてしまったのですから!




 

 初めのうちは怒って少年に意地悪をしてきた友だちでしたが、しばらくすると諦めたのでしょうか。少年に謝ってきました。また仲良くしたいと言ってきました。「俺たちは秘密を共有する仲じゃないか」、と。二人は仲直りして、友だちはまた、もとの自分の家に出入りするようになりました。


 それが小さな悪魔には気に入りません。だから何度も少年にささやきかけました。

「あいつは()()()家族を盗もうとして、ここに来てるんだ。もう家に入れるのはやめた方がいいよ」

 けれど少年は小さな悪魔のいうことをききません。

「もとは彼の家なんだし」とか「友だちだから」と、躰を交換する以前の自分がしてもらっていたように、友だちを迎え入れました。今は違うといっても()()は自分だったのですから。自分が可哀想だったのです。それに、母親が憐れな()に優しくするのを見ているのは、とても充たされる気持ちになるのです。




 ある朝少年が目を覚ますと、この広い家には誰もいませんでした。空っぽのテーブルの上に手紙が置いてありました。


 母親は、自分の息子だった友だち(もとの躰)と駆け落ちしたのです。父親は、そんな母親と友だちを殺してやる、そのために追いかける、と手紙には書いてありました。


 少年はぼうぜんと立ちつくしてつぶやきました。


「僕の幸せな家族は?」

「地獄で仲良く暮らしてるよ! せっかくだ、きみも仲間に入れてもらえば?」


 だから忠告してやったのに!


 小さな悪魔は、腹立たしげに言いました。


 あの母親は、できのよい優しい息子(少年)なんていらなかったのです。我がままで手のかかる息子の世話をすることが生き甲斐だったのですから。躰を入れ替わったって、自分の愛するのはどっちなのかちゃんとわかっていたのです。そして息子の方も、母親がどんな子どもを望んでいるか、ちゃんとわかっていたのです。


 だからあいつに取り返されないように、慎重に守っていなければならなかったのに――。幸せなんて、わずかな涙で溶けてしまうもろい砂糖菓子でしかないのです。それをこの少年は、ちっともわかろうとしなかったのです。


 可哀想な自分を憐れむことに、むちゅうだったから――。


 幸せな家族を再び失った少年に、小さな悪魔は言いました。


「それできみ、どうするの? 幸せな家族はもう充分? それとも、もう一度試してみる?」





 



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