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38.交換 前編

 小さな悪魔のいる公園の樹に、一本のロープがかけられています。夜もふけて、あたりを照らす外灯はくすんだ灯がひとつだけ。こんな気味の悪い公園には誰もいません。今、首を吊ろうとしているこの少年以外には――。


 ロープをしっかりと結び終え、ベンチの横にあった大きなゴミ箱をひっくり返して足場にした少年が、さぁ、死のう、と身構えたときになって、小さな悪魔が気まぐれにこの少年に声をかけました。


「ねぇ、僕と契約しない? きみがその躰をくれるなら、きみの願いを叶えてあげるよ」

「何でも?」

 少年はびっくりして聞き返しました。

「永遠に願いを叶え続けて、なんてのはダメだよ」

「そんな欲張りなことは言わないよ!」

 少年は大声をあげて言いました。


「僕は幸せな家族が欲しいだけなんだから!」



 少年の父親は事故で大怪我をしてしまい、働けなくなったのです。それが彼の不幸の始まりでした。家はみるみるうちに貧乏になって、汚れた、騒がしいアパートへ引っ越ししなければならなくなりました。しばらくして、母親は恋人を作って家をでていってしまいました。それから少年は、ひとりでけんめいに父親の世話をしていました。でも、その父親も看病のかいなく死んでしまいました。彼はもう、ひとりぼっちです。そしてもう、誰もいないアパートでたったひとりで生きていくのが嫌になったのです。



 この少年は僕と同じだと、小さな悪魔は思いました。小さな悪魔に優しかったおじいさんが死んでいなくなってしまったときの、なんともいえないぽっかりと穴があいてしまったような気分を思いだしていました。


「僕ならきみに幸せな家族をあげられるよ」小さな悪魔は言いました。



 少年は小さな悪魔と契約しました。彼はその躰を小さな悪魔と共有することになりました。

 幸せな家族が手に入ったらこの躰を小さな悪魔にくれるのでは、きみにとって意味がない。きみがもう充分だと思うまで一緒に楽しもう、と小さな悪魔が少年をそそのかしたからです。彼はその通りだ、とよく考えもせずにうなずきました。もともと死ぬ気だったので、いっしょにいるのが悪魔だろうと、ひとりぼっちよりもずっとマシだと思ったのです。



「どんな家族が欲しいの」と聞かれて、「あの家がいい」と少年は公園から見える大きな家を指さしました。彼の同級生の住んでいる家です。遊びにいったことなんてもちろんありません。彼はクラスで一番の人気者に声をかけることさえできない内気な子なのです。

「素敵な家だね。気にいったよ」小さな悪魔は言いました。






 それから何日かたつ頃には、少年は憧れの家に来ていました。


 小さな悪魔が彼のなかにいると、簡単にテストで満点がとれるのです。サッカーでも一番活躍できました。苦手だったスピーチの発表も堂々とすることができました。彼はあっという間に一目置かれる存在です。

 そしてとうとう、人気者の彼の方から友だちになりたいと家に招いてもらえたのです。


 悪魔と契約してよかった。少年はしみじみ思いました。




 この新しい、かっこいい友だちには、きれいな母親がいます。頼りになる父親もいます。父親は休みの日に息子とサッカーをするのが、何よりの楽しみです。気さくな父親は次の休みに少年もサッカーにさそってくれました。やさしい母親は、「夕食を食べていくといいわ」と言ってくれました。少年はこの広くて快適な家と、この家族が大好きになりました。





「ああ、僕は本当にきみがうらやましい!」と、ある日少年は友だちに言いました。少年と友だちはベッドに転がっておやつを食べながら、友だちの部屋で大画面のテレビを観ているところでした。


「こんな素敵な家族がいるんだもの! 僕が女の子だったら、きみと結婚してこの家の一員になれたかもしれないのに!」


 友だちは驚いたように目を丸めましたが、すぐに、ハハハと声をたてて笑いました。


「それより、俺はきみがうらやましいよ。頭が良くて、スポーツ万能。音楽も、絵を描くのも、スピーチも、きみにできないことはないじゃないか! 以前はちっとも目立たなかったのに。どうしてこんなに変われたの? すごく努力したんだろ? それとも何かコツがあるなら、教えてもらえないかな。俺、前回のテストがヤバくてさ。次は名誉挽回しなきゃ……。うるさいんだよ、あのくそばばぁ」


 友だちは眉をしかめて吐き捨てるように言いました。


「おもしろいね。僕はきみになりたくて、きみは僕になりたいなんて――。どう、僕らの立場を交換しない?」


 そう言ったのは少年ではありません。小さな悪魔です。彼のつややかな声に金縛りにあったようにじっと動かないまま、友だちは彼の顔を見つめました。



「どうやって?」


 しばらくたってから、友だちは好奇心で瞳を輝かせて呟きました。


 

 



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