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35.忘却 中編

 小さな悪魔は、病気のおじいさんと契約しました。そして、おじいさんの願いをかなえるために、女の子が来るのをまっています。

 

 トントン、と薄い木のドアがノックされます。女の子が来たようです。小さな悪魔が返事をするより先にドアが開き、薄暗い部屋にさぁっと明るい日射しがさしこんできました。

 小さな悪魔はおもわずドアのかげにかくれて日の光をさけました。小さな悪魔は、今、人間の青年の姿をしています。けれど、悪魔なので影がないのです。日の光のなかに立つと、そのことに気づかれてしまうのです。


 さいわい、女の子はドアのかげにいる青年に影がないことに気づかなかったようです。女の子は見知らぬ美しい青年に驚いたようでした。ぽかんと小さな悪魔を見あげています。

 小さな悪魔は、上から下までこの女の子をじろじろと眺めまわしました。


 小柄でやせた、あかぬけない女の子です。とくにかわいくもありません。小さな悪魔の好みではありません。


 どうしておじいさんは、こんなみすぼらしい女の子に、こんなに気を使ってやるのだろう?


 小さな悪魔はそんな疑問でいっぱいです。


 小さな悪魔にとっては、女の子を追い払うくらい簡単なことでした。けれどおじいさんは、女の子の心を絶対に傷つけないでくれ、とあれこれ注文をつけてきました。冷たくあしらったりしないでくれ、というのです。


 だから小さな悪魔は、女の子に、やさしくにっこりと笑いかけてやりました。


「こんにちは」と。

 女の子もはにかんだように微笑んで「こんにちは」と言いました。そして、パタパタとおじいさんのベッドへかけよると、「おかげんはいかが?」とおじいさんの世話をやき始めました。


 小さな悪魔は、女の子の肩をたたきました。


「ありがとう。でも、もういいんです。これからは僕が祖父のお世話をしますから。あなたはもう、ここへは来てはいけない」


 小さな悪魔は、おじいさんに言われたとおりのことを女の子に告げました。おじいさんの孫のふりをして女の子を安心させ、彼女が自分の世話をする必要はもうないのだと伝えてほしいと、頼まれていたのです。


 女の子は「え――」と小さな声をあげました。そして、悲しそうに目を見開いて、「でも、」とか、「だけど」とか、口のなかでもごもごと言っています。


 なんて、はっきりしない子なのでしょう。小さな悪魔はいらいらしながら、女の子の腕をひっぱって戸口までつれていき、それでも唇に笑みをのせてやさしく言いました。


感染(うつ)るといけないから――、ね?」

「でも――」

「彼の面倒は僕がみるから大丈夫。今までありがとう」


 小さな悪魔は、女の子に有無を言わさず追い返したのでした。




「これでいい?」


 小さな悪魔は、おじいさんにたずねました。願いをかなえてあげたのに、おじいさんはとてもさびしそうな顔をしています。そのまま何もこたえずに、小さな悪魔にくるりと背中をむけてしまいました。


 おじいさんの願いは成就したはずです。契約成立です。でも、小さな悪魔はおじいさんの躰をすぐにはもらわずに、しばらく様子をみることにしました。もうじき死ぬのがわかっている病気のおじいさんの老いぼれた躰なんて、本当はあまり欲しくなかったのです。




 小さな悪魔は、おじいさんといっしょに暮らし始めました。


 おじいさんは病気といっても、まるで寝たきりというわけでもありません。ときどき、家のまわりを散歩したりします。自分でご飯も作ります。小さな悪魔が火の通ったものは食べないと言うと、むりにすすめることはしませんでした。おじいさんは食事のときに、小さな悪魔には甘いお菓子をくれました。それから、いくら汚くしてもいい小さな部屋をあてがってくれました。


 小さな悪魔は悪魔のままで、おじいさんと暮らしています。こんなこと、小さな悪魔には初めてです。人間は悪魔が嫌いなのです。悪魔を怖がっておびえるのが人間なのです。人間の仲間になるには、悪魔のままではムリなのです。それなのにこのおじいさんは、小さな悪魔を怖がったりしないのです。


「悪魔が怖くないの?」


 小さな悪魔はききました。


「わしがおまえさんを呼んだんじゃないか」


 おじいさんは答えました。


「どうして神に頼まなかったの?」

「神さまの思し召しにさからうわけにはいかんじゃろう」


 おじいさんは笑いながら言いました。


「わしみたいな老いぼれが死ぬのはいいんじゃ。じゃが、あんな健気ないい子を、こんな伝染病なんかで死なせるわけにはいかん」


 おじいさんは、神さまが人間の悪い行いをいましめるために、こんな怖い病気を流行らせたのだと信じていました。そして、自分は罪深い人間だから死ぬのは当たり前だと思っているのです。


「こんなわしでも、あの子を助けることができるんじゃ――」

 

 だけどおじいさんは、小さな悪魔に、女の子がこの伝染病にかからないように、と頼むわけでもないのです。おじいさんは、悪魔に頼んでもいいことと、頼んではいけないことがわかっているようでした。


 おじいさんは、いったいどうやって女の子を助けるつもりなのでしょう? 女の子がこの家に来なくたって、病気は世界中に広まっているのです。いつどこで病気に感染するかわからないのです。神にも悪魔にも頼らずに切り抜けようなんて、小さな悪魔には、そんなことムリにきまっているとしか思えないのでした。


 小さな悪魔には、このおじいさんが不思議でたまりませんでした。




 昼間は比較的元気なおじいさんも、夜になると高い熱をだしました。小さな悪魔は、ずっとおじいさんの看病をしています。小さな悪魔には、おじいさんの命の炎があとどれくらいでつきるかわかっています。小さな悪魔は、その命の炎を少しでも引き延ばそうとしているのです。



 そんなある日の夕方に、あの女の子がまたやって来ました。

 



 




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