29.善意 前編
小さな悪魔は、満足しています。
母親がいなくなってからというもの、とても幸せな毎日をおくれているからです。小さな悪魔は、また保育園にかよっています。小さな子どもたちはみんな、小さな悪魔のいうことをとてもすなおにきいています。
仕事でいそがしい父親は、家のそうじをするひまも、火のとおった料理をつくるひまもありません。そのかわり、小さな悪魔のほしいものを買ってくれます。休みの日はたくさん遊んでくれます。だから小さな悪魔は、保育園でも、家でもとても満足しているのです。
でも不満に思うこともありました。小さな悪魔の父親は、小さな悪魔だけではなく、ほかの子どもにもやさしいのです。近所のひとにたいしても、とても親切にするのです。それが小さな悪魔には気にいりません。
だって、父親がほかのひとに親切にするたびに、ほかのひとはおせっかいをやくのです。家であたたかいものを食べさせようと招待したり、休みの日に家のそうじをてつだいにきたり――。
迷惑なことばかりです。
小さな悪魔は、だんだんと腹がたってきました。どうして関係ない人間が、こうもおせっかいをやくのだろう? 小さな悪魔は、とても幸せにくらしているのに――。
「おかあさんがいなくて、かわいそうに。どうせ、まともな食事をしていないのでしょう」
そういってさしいれされたご飯を食べて、小さな悪魔はわざとお腹をこわしました。父親のまえで、げぇげぇはきちらしてやりました。
父親は、「この子はアレルギーがあるらしい」といって、さしいれも、よその家への招待も、ことわるようになりました。
休みの日に、父親の会社の同僚だという女が、そうじのてつだいにきました。ときどきこの家にやってくる、いやな女です。小さな悪魔が庭で遊んでいるあいだに、父親と女は部屋のそうじをしています。
ひと部屋おわったところで部屋に入った小さな悪魔は、全身にあかいブツブツをだしました。父親も、女もびっくりしています。父親はあわてて小さな悪魔をだきあげて庭にでました。
「この子はアレルギーがあるんだよ。きっと、そうじの化学薬品があわないんだ」
父親は言いました。そして、家のそうじをするのはやめてしまいました。
小さな悪魔の家には、だれも、たずねてこなくなりました。小さな悪魔は、とても満足しています。父親は、まえよりももっと、小さな悪魔をかわいがってくれています。
ところがしばらくすると、同僚の女がまた家にくるようになりました。
「かたよったものばかり食べるのは、躰によくないわ」
と、食事を作りにくるのです。小さな悪魔が何度はいてみせても、こりずにもってくる食べものをかえて、何度も、何度もくるのです。そして、ほうきや、ぞうきんだけで部屋のそうじをしていくのです。
なんてしつこい女だろう。
小さな悪魔はあきれました。
父親も、はじめはこまった顔をしていましたが、「おまえのためなんだよ」と、その女のみかたをするようになりました。
小さな悪魔はあまりの腹立たしさに、女がくるたびに自家中毒をおこしました。
女は、そんな小さな悪魔を世話するため、といって、家にいついてしまいました。
小さな悪魔は、ほとほとこまってしまいました。こんなことをつづけていると、この小さな躰がだめになってしまいます。この躰はまだまだ、小さくて弱いのです。もっとだいじに使わねばならないのです。
あの女のねらいは分かっています。父親に、病院にいる小さな悪魔の母親とのえんを切らせて、じぶんがこの家の女主人になりたいのです。
悪魔から家族をうばおうとしているなんて、なんてひどい女なのでしょう!
小さな悪魔は、心のそこから腹を立てています。でも、どうやってあの女をおいはらえばいいのか、いいアイデアがなかなか浮かばないのでした。
その時です。部屋のすみからクスクス、クスクス笑い声が聞こえてきました。
「ずいぶん、つまらなそうな顔をしているじゃないか」
声は、鏡の中から聞こえてきます。
なんとそこには、大きな悪魔が、ほがらかに笑いながらうつっていました。




