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28.おもいやり

 小さな悪魔は笑っています。くつくつ、くつくつ、小さな声で笑っています。


 朝になると、小さな悪魔はきれいな子ども部屋で眠っている小さな躰に戻ってきます。こんな部屋にいるのはいやなので、夜の間はこの躰から抜けだすからです。そして冷たいミルクと、家畜のえさのような雑穀(ざっこく)の朝食を終えるとこの躰に入るのです。




 父親が会社に行くと、母親は小さな悪魔を屋根裏部屋にとじこめます。もう小さな悪魔を公園につれて行きません。お風呂にもいれません。父親が帰ってくるまで、小さな悪魔はずっと屋根裏部屋にいるのです。だから小さな悪魔はいぜんよりずっと元気です。



 母親は小さな悪魔が怖いのです。保育園や公園で、この子が悪魔だとほかの人たちに気づかれてしまうのが怖いのです。この子はあきらかに人間の子どもとは違うのですから。

 かしこすぎます。かわいすぎます。すぐにみんなに好かれるのです。こんな邪悪な顔をしているのに――。

 はじめのうちはこの見かけにだまされていても、じきにみんな、本当のすがたにきづくにちがいありません。そしてきっとこう言うのです。


「あの子があんな悪魔になったのは、きっとあの母親のせいにちがいない。だって、あの子のお兄ちゃんだって、母親の育て方が悪いから首をくくって死んだのだから」


 息子が死んだのは悪魔にだまされたから。わたしと同じように、悪魔にだまされたからなのに。わたしは何も悪くないのに、どうしてみんなわたしをせめるの? 悪いのはあの悪魔なのに――。


 母親の耳には、いつもそんな声がきこえ、心はそんな想いでいっぱいにみちみちています。


 だから母親は、小さな悪魔がだれの目にもふれないように、じぶんの目にもふれないように、小さな悪魔を閉じこめることにしたのです。そしてあと数年したら、田舎の寮のある学校へ入れてしまおう。それまでの我慢だ。遠くはなれてしまえば、あの子が悪魔だって関係ないもの、そんなふうに考えていたのです。

 




 小さな悪魔はやねうら部屋で、ひとりでじっとしています。ほこりのつもった死んだ男の子のもちものにかこまれて、じっとベッドにこしかけています。ずっとひとりぼっちでいるのに、ちっとも退屈していません。なぜなら、小さな悪魔は考えているからです。ずっと母親の心の声に耳をすませているのです。


 小さな悪魔は、じぶんを見る人間のおびえた瞳が大嫌いです。――あの母親の目のような。あんなふうに見られるのがいやだから人間になったのに。楽しく暮らしていたのに。あの母親は小さな悪魔のささやかなしあわせをぶちこわしたのです。


 小さな悪魔は、怒っています。母親のことを憎んでいます。だから、どうやってこの気持ちをあの母親に教えてやろうか、とずっと考えているのです。退屈するひまがないほど、頭をしぼっているのです。





 父親が帰ってくる時間になると、小さな悪魔はやねうら部屋から出されます。子ども部屋にもどされます。そして夕食をいっしょに食べるのです。

 そこで母親は父親に、今日一日二人でどんなに楽しく遊んだか、うそのほうこくをするのです。食事のとき、小さな悪魔は躰からはなれるので、子どもはそのうそに言い返したりすることもありません。もくもくと食べているだけなのです。父親が母親のうそをうたがったことは、一度もありません。




 けれど食事のあとで、小さな躰にもどった小さな悪魔は、父親にまとわりつきながら言いました。


「パパ、お風呂にいれて」


 お風呂場で、父親は娘の躰を見ておどろきました。こんな小さな躰なのに、いくつもあざがあるのです。どうしたのか、と父親はききました。


「ママはわたしが嫌いなの」

 小さな悪魔は、ぽろぽろ泣いてみせました。

「お前を嫌っているわけないじゃないか。ママはきっと気がどうてんしていたんだ。思いやりをもって、ママのことを見てあげておくれ」

 父親は、自分に言い聞かすように言いました。娘の言うことを、にわかに信じることができなかったのです。でも娘をだきしめる父親の手は、ショックでふるえていたのでした。





 こうして小さな悪魔は、毎日少しずつ、うその告げ口を父親にふきこんでいきました。はじめのうちは信じられなかった父親も、だんだんとその言葉を信じるようになりました。悪魔の言葉は、乾いた砂地に水がしみこんでいくように、人間の心にしみこんでいくものなのです。


 とうとう父親は決心しました。

 役所の人といっしょに、昼間の家にもどってきたのです。


 娘の言ったとおりでした。ほこりのつもった、よごれたやねうら部屋に、娘は閉じこめられていたのです。

 父親は娘をたすけだし、こんなしうちをしていた母親を憎みました。


 母親はまた病院へ戻されました。


 小さな悪魔は思いました。このほうがあの母親にはしあわせにちがいない。病院の中でなら、どんなに「あの子は悪魔よ!」とさけんだっていいのだから――。はい、はい、ときっとみんなが聴いてくれる。それに、おそれているじぶんの顔を見ることもない。小さな悪魔のほうも、あのおびえた瞳を見て嫌な想いをすることもない。

 

 父親の言うとおりです。せっかく人間になったのだから、思いやりのある良い判断をしなければなりません。



 人間は、親をだいじにするものだものね――。


 小さな悪魔は、満足そうににっこりと笑いました。






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