27.日常
小さな悪魔は、大人しくいい子にしています。なぜって、この躰をとても気に入っているからです。産まれた時から使っているので、しっくりなじんでいるのです。
今まで小さな悪魔にとって、人間の食べ物やきれいにかたづいた部屋が困りものでした。でも、この小さな躰ではその問題がありません。
躰が食事をとる時は、この躰を離れればいいのだとわかったからです。
「ぜんぶ残さず食べるんだぞ」
小さな悪魔は、小さな躰に命令します。小さな魂はこくんとうなずいて言うとおりにします。
保育園では、小さな悪魔は小さな躰で、好きなことを、好きなようにできました。いろんなおもしろい遊びを思いつく小さな悪魔は、にんきものです。かしこくて、かわいくて、ふしぎな魅力のある小さな悪魔には、大きな子どももさからうことができないのでした。それに、いたずらがすぎてめんどうなことになった時は、この躰からちょっと離れてしまえばいいのです。
家では、小さな悪魔はなんでもいうことをきいてくれる父親を気に入っています。部屋をちらかしても怒られません。欲しいものは何だってくれます。そして毎日、小さな悪魔のことを「世界一たいせつな娘」と抱きしめてほほずりしてくれるのです。
小さな悪魔は、このくらしに満足していました。
だから、あの母親が帰ってくることが、小さな悪魔はいやでした。だって、父親がとてもうれしそうに母親のことを話すのです。あたりまえのように、小さな悪魔も母親にあいたがっていると思っているのです。
小さな悪魔には、自分のことを悪魔だと知っている母親は、やっかいな存在でしかないのに――。
でも、帰ってきた母親は、父親と同じように、「私の世界一かわいい娘」と小さな悪魔をだきしめてくれました。
きっと母親は、小さな悪魔との契約を夢だと思っているのでしょう。いぜんのような人形ではなく、本当の人間になった小さな悪魔を、こんどはかわいがってくれるでしょう。小さな悪魔はほっとしました。「ママ」と呼んで、母親を抱きしめました。
ところが、そんな小さな悪魔の期待は裏切られてしまいます。それはまちがいだったと、わかったのです。
夕食に、母親は小さな悪魔にだけ、馬の生肉のステーキを出したのです。小さな悪魔はひさしぶりの好物に、いっしゅん顔をかがやかせました。でもすぐにきづいたのです。これはワナだと――。
とても悲しそうに、「こんな気持ち悪いもの食べられない」と小さな悪魔は泣いて見せました。
父親は、「おいしそうじゃないか。でも、子どもにはまだ早いようだよ」ととりなして、自分のハンバーグのお皿と、小さな悪魔のお皿をこうかんしてくれました。
――母親は何も言いません。
この母親は、僕が悪魔だということを証明して、僕をこの家から追いだしたいのだ――。
小さな悪魔は怒りました。
せっかく仲良くしてあげようと思ったのに。そんな気持ちはふき飛んでしまいました。
思ったとおり、母親は小さな悪魔の嫌がることばかりしました。小さな悪魔を毎日お風呂に入れて、ぴかぴかに磨いた部屋にねかしつけます。楽しい保育園もやめさせられてしまいました。そしてお日さまが照りつけるお昼に、公園につれて行かれるのです。
小さな悪魔は公園に来るたび躰から抜けだして、男の子が梢をゆする枝にすわり、ひといきつくのでした。
「これじゃあ病気になってしまうよ」
小さな悪魔は、はらだたし気にくちびるをとがらせています。男の子の魂は、何も言わずに緑のしげった枝をゆすっています。さわさわ、さわさわ。
小さな悪魔は、きれいにととのえられた子ども部屋の真ん中にたたずんでいます。ぐるりと部屋をみまわします。
これみよがしな大きな銀の十字架。こんなもの、いまどき吸血鬼だって怖がりはしません。聖水で清められた窓、ドア。ほんものの聖水なんて手に入るわけがないのに。ベッドの横には空気を清めるきれいな石に、変なにおいのお香です。
あの女、こんなもので悪魔を追い払えると本気で思っているの?
小さな悪魔は小さな声でくつくつ笑い声をたてました。たしかに、彼はこの部屋が嫌いです。大嫌いです。でも、それだけなのです。この部屋で眠ったからといって、苦しくなるわけでも、死んでしまうわけでもないのです。
「あの子が笑ってる――」
となりの部屋では、母親がふるえながら呟いています。父親にしがみついてうったえています。
「あの子、へんなのよ。公園に行くと、お散歩している犬たちが歯をむきだしにしてうなりだすの。動物たちはびんかんだから、あの子のいじわるな心がわかるのよ。庭にさいたきれいなお花だって、みんなあの子がむしって散らしてしまったの」
「犬なんて、か弱い子どもを見たらいばりたがるものだよ。花だって、小さな子どもなんてみんなそんなものじゃないか」
父親はやさしく母親をなだめます。
「でもあなた、あの子は、」
「もういいから早くお眠り」
父親は自分の方が眠かったのです。すぐに眠りについてしまいました。でも、母親は眠れません。毎日、怖くて眠れないのです。
眠ると、あの緑色の猫のような眼が、三日月のように細まって切りつけてくるのです。くつくつ、くつくつ笑いながら――。
それにねずみ。ねずみが異常に増えたような気がするのです。夜になると、小さな足音がたたた、たたた、と聞こえるのです。
きっと悪魔がこの家にいるから――。
どうすればあの悪魔を追い払えるのだろう。
母親は昼も夜もそのことばかりに、頭を悩ませています。
だって、あの子が悪魔だって知られると、母親の私までへんに思われるじゃないの。私は何も悪くないのに――。
悩みは、夜の闇のように母親の心をおおいつくしています。




