23.誘拐
小さな悪魔は、あせっています。
大きな悪魔が喜ぶような、もっと大きなことをしなければ。
小さな悪魔は、頭をひねります。
もっと、もっと楽しいことって、何だろう?
ようやく面白そうなことをひとつ、思いつきました。これなら大きな悪魔も楽しんでくれるにちがいない。そんなアイデアに、小さな悪魔はほくそえんでいます。
小さな悪魔は、仲間といっしょに、この国一番のお金持ちを誘拐しました。大きな袋に入れて盗みだし、後から身代金を要求するのです。街の小さな銀行をおそうより、ずっとたくさんのお金が手に入るはずです。そのお金で、みんなでもっともっといろんな遊びをすればいい。小さな悪魔は、そんなふうに考えました。
隠れ家で、小さな悪魔は、誘拐したお金持ちの男を入れた袋を開けました。パーティー用の高級そうな服を着た男が、袋からでてきます。
小さな悪魔は、「あっ!」と息をのみました。
大きな悪魔が目の前に立って笑っているのです。
小さな悪魔のまわりには、仲間もいるのです。彼らの前で、大きな悪魔に何と言えばいいのでしょう? とまどっている小さな悪魔に、大きな悪魔はふてぶてしく笑いかけました。
「ずいぶんたいそうな部屋じゃないか? あの鎖に、この私をつなぐつもりなのかい?」
クスクスと肩を震わせて笑い、大きな悪魔は、壁に取り付けられたジャラジャラとした黒い鎖を指さします。
「笑うな!」
そんな彼を、仲間の一人が殴りつけました。
「おい、乱暴はよせ!」
小さな悪魔は、あわてて仲間をとめました。そして、この男に状況をわからせてやるから、と仲間を部屋からおいだしました。
「仲間になりにきてくれたんだよね?」
小さな悪魔は、大きな悪魔に訊ねました。
「楽しませてもらいにきたのさ」
大きな悪魔は答えます。ニヤニヤと笑いながら、自分で自分の足を鎖につなぎます。
「これもするのかい?」
机に腰かけ手錠を指にひっかけて、クルクルと回しています。
小さな悪魔は、口をつぐんで大きな悪魔を見つめます。
こんなことは、想定外です。大きな悪魔はそのうちきっと、小さな悪魔の仲間のひとりの躰をもらいうけて、仲間になるのだと思っていたのです。いっしょに遊ぶのだと思っていたのです。
でも、小さな悪魔は誘拐犯で、大きな悪魔は人質です。これではいわゆる敵同士です。いっしょに何かはできません。こんなことで、大きな悪魔は、人間になることを楽しめるのでしょうか?
「何か希望はある?」
小さな悪魔はとまどいがちにたずねました。
「ああ、あるとも! 食事は馬の生肉のステーキ。ワインはソーテルヌの赤、1988年ものにしてくれ」
大きな悪魔は、歌うように言いました。なんとなく、彼は楽しそうです。彼は楽しむためにここに来たのはまちがいなさそうです。だから、小さな悪魔は「わかった」と、うなずきました。
そして、仲間に人質である大きな悪魔の希望をつたえました。
「そんなぜいたくさせるもんか!」
仲間はみんな怒りました。こんなことを言う小さな悪魔に対しても、怒りました。
仲間の男たちは、人質にいじわるでした。ステーキのかわりに固い黒パンを持っていきます。ワインのかわりにただの水をさしだします。小さな悪魔のいない時に、鎖につながれて何もできない人質をなぐったり、けったりもしています。けれど彼は何も言いません。何もしません。されるがままでした。
小さな悪魔そんなことになっているなんて、ちっとも知りません。身代金の交渉に忙しかったからです。
交渉役の小さな悪魔。お金の受け渡しの役。警察をかくらんする役。そして人質を見張る役。仲間にはそれぞれの役割がありました。
小さな悪魔がついに身代金を手にいれて仲間の隠れ家に戻った時、人質はずいぶんと弱っていました。悪魔は火の通った食べものは食べないのです。だから大きな悪魔は固い黒パンを絶対に口にしなかったのです。小さな悪魔は、あわてて赤ワインと生肉を買いに走りました。
その間に、受け取り役とかくらん役の男とは、ひたいを突き合わせて相談しました。もうあの人質にようはない。けれどリーダーの小さな悪魔はあの人質に甘すぎる、今のうちに殺してしまおう、見張り役の奴も、危険なことは何もせずに家にいただけだ、金をやる必要なんてない。二人で山分けして逃げよう、と。
「さぁ、金を山分けだ!」
「まぁ、そうあせるなよ。まずは俺たちの金にかんぱいだ!」
見張り役が、ワインを持って来ました。
「金と友情に!」
グラスをたがいに打ち鳴らし、ワインを一気にあおります。仲間二人はその場にくずれ落ち死んでいました。見張り役は、そんな仲間の躯をけって本当に死んだか確かめると、ほっとしたように笑いました。
大きな悪魔を閉じ込めている部屋に、見張り役の男がやってきました。
「あんたの言った通りだったよ。あいつら俺を殺して金をひとり占めするつもりだった。約束通り金は手に入れた。あんたは自由だ」
男は金をもって逃げました。
小さな悪魔が戻ってきた時、まず目にしたのは仲間の躯。そして、空っぽのジェラルミン・ケースです。
大きな悪魔は、鎖も手錠も外して机に腰掛けて歌っていました。
「きみの言う通り、なかなか楽しませてもらったよ。さぁ、最後のばんさんといこうじゃないか」
大きな悪魔は、小さな悪魔の用意した生肉のステーキを美味しそうに食べ、赤ワインを飲みました。
小さな悪魔は、机に置いてあったワインを飲みました。毒入りの。
くずれ落ちる躰を捨て、小さな悪魔はいぶかしげに大きな悪魔をながめます。
「仲良しの絆を少しづつ壊していくのは、砂の城に水を差してくずしていくような楽しさがあったよ」
大きな悪魔は立ち上がり、楽しそうにラジオから流れている歌に合わせて躰を揺すって踊り出し、狂ったように笑いました。
その時一発の銃声が窓を破り、大きな悪魔の心臓を貫きました。赤い血を噴き出させ、床に倒れたのは一人の老人です。
鏡に映った、悪魔のような男の影を見た警官が、その躰を銃で撃ち抜いたのでした。
大きな悪魔は、小さな悪魔を誘って、逃げた男を追いかけました。
男はずっと怯えています。どこにいても、何をしていても警察が見ている気がするのです。見ているのは二匹の悪魔なのに。
そしてとうとう、奪ったお金をすべて谷底に捨ててしまいました。本物の警察が男を見つけた時、男は正気ではありませんでした。
小さな悪魔に躰をゆずったあの男の魂は、ずっと愛しい妻のそばにいました。毎日妻のお腹をさすって、子どもの産まれてくる日を楽しみにしていました。男の躰が死んでしまっても、それは変わりませんでした。けれど、男の保険金がおりた日に、男は自分の過去を忘れました。男の妻と子ども、両親が一生困らないお金を手に入れたことで、小さな悪魔とこの男との契約は正式に成就したのです。
大きな悪魔は、「また退屈したら遊びにくるよ」と言い残し、かかとをくるりと回してどこかへ消えてしまいました。
小さな悪魔はぼんやりその場にたたずんだままです。
大きな悪魔は、いったい何をしにきたのだろう? なぜ楽しかったと言ったのだろう? 何もいっしょにしていないのに。
小さな悪魔は不思議でなりませんでした。
そして、またひとりぼっちになってしまったことに、チクリと胸が痛んだのでした。




