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18.代理戦争

 小さな悪魔は、自分を呼ぶ小さな声のぬしを、いまだに見つけることができません。いまだに高い電波塔の上にすわって、この小さな村を見ています。



 電波塔の近くには、小さな学校があります。子どもがたった五人しかいない本当に小さな学校でした。そこは変わった学校でした。

 山奥の小さな学校なのに、そこにいる子どもたちは、みんな大きな町からきた子どもばかりなのです。

 五人全員事情があって、山奥のこんな小さな学校に転校してきた子どもなのです。


 その中に、とてもらんぼうな男の子がいました。男の子は、いつも奇声を上げています。周りの子どもを殴っています。子どもたちはみんな、この子のことが嫌いです。だから当たり前に、その子を仲間外れにしています。

 男の子は、毎日叫びます。毎日誰かを殴ります。みんなその子がますます嫌いになっていきます。


 小さな悪魔は、そんな子どもたちのようすを、毎日電波塔から見ていました。



 そんなある日、この小さな学校に新しい子どもが来ました。姉と弟の二人です。優しくてかわいいこの姉弟は、すぐに人気者になりました。

 

 初めはとてもうまくいっているように見えました。みんなで校庭で遊んでいるようすは、とても楽しそうにみえました。小さな悪魔は、その様子を見ています。新しい子どもはどう変わっていくのだろう、と、興味しんしんで見ています。


 ほどなくして、この子たちも知りました。毎日の生活が戦争であることを。「おはよう」のかわりに、ここでは「さっさとしね」と言うのです。「さよなら」の代わりに、「二度と学校にくるな」と言うのです。ぼんやりしていると、つぶてが飛んできます。先生が黒板の方を向くと、すかさず水筒のお茶を頭からかけられます。それが日常です。



 小さな悪魔は電波塔の上で聴いていました。


 子どもたちの家では、親たちがこんなふうに言い聞かせています。

「やられたらやり返せ。あんなやつに負けるな」

「悪いのはあいつだ。あいつが学校を出ていけばいいんだ」

「あそこの父親は極悪人で、息子は嘘つきだ。あんな悪人に情けをかける必要はない」

 子どもの親たちは、たがいに憎み合っていました。子どもたちは、親の聴かせる悪口を、学校に行って言い合います。


 新入りの姉弟の母親は言いました。

「これは代理戦争。親の都合と子どもは関係ないのだから、お互い同士をみて、仲良くやっていけるように話し合うよう言ってごらん」


 姉弟もまた、母親の言う通りにしました。なぐられてもなぐり返さない、「しね」と言われても言い返さない二人は、ますますひどい目にあいました。

 姉娘はらんぼうな子に言いました。「わたしはあなたを仲間外れにしない。わたしを信じろ」

 弟も言いました。「僕はみんないっしょに遊びたい」


 そんな二人の想いは、いったいどれほど他の子たちに通じていたでしょうか?



 学校から一歩でて、ひとり、ひとりとバラバラに遊んでいる時は、乱暴な子も、嘘つきな子も同じことを言うのです。「ここにいると気が狂いそうだ。あいつを殴っているときだけ、正気に戻れるんだ」と。


 姉弟は、ふつうに遊んでいるときの彼らが好きでした。だから、そんな言葉をきくと、哀しくてたまらなくなるのでした。



 

 山奥にある小さな村は、冬になるとたくさんの雪が降りました。毎日雪かきをしないとすぐに玄関のドアが埋もれてしまいます。

 雪が珍しくて楽しかった姉弟は、いつも喜んで雪かきをしています。


 学校から帰ってきた姉は、今日も雪かきをしに表へでていきました。母親はこたつでうたた寝をしていました。表で楽しそうな声が聴こえます。笑い声もします。今日はけんかにならずに楽しくあそべているんだ、と、母親は安心しています。


「ほんとうにたまにだけど、そんな日があるんだ。奇跡みたいに平和な日が。その時はとても幸せで、それが普通になるように頑張りたい」

 そんなふうに、姉娘が言っていたのを思い出していました。


 母親が眼を覚ました時、窓の外はもうとっぷりと日がくれていました。弟は自分の横にもぐり込んで眠っていました。でも、姉娘はまだ帰ってきていません。胸騒ぎがしました。探しに行かねばと玄関口まで着たとき、ドアが開き姉娘が帰ってきました。

 姉娘は、髪の毛からしずくを滴らせ、普段着で着ているスキーウェアもぐっしょりとぬれていました。


「川にでもはまったの?」

 

 急いで風呂を沸かし、服を着替えさせました。下着まで絞れるほどに、ぐしょぐしょです。


「雪かきをしてて、あの子らがきて、遊んでいて、それから雪の塊で殴られて、倒れたところを首や服のすきまから雪を突っ込まれて、そのあいだも頭をガンガン殴られて、初めて、映画みたいに画面がすっと暗くなって意識がなくなるの経験した。あれ、本当だったんだね。頭の上で笑い声が響いてたのだけ覚えてる」


 姉娘は隣に住む兄妹三人によってたかって殴られて気絶して、ふと意識が戻った時には雪の中に埋められていたのでした。


 お風呂に入れて温まってから、布団に寝かせました。熱が三十八度ありました。母親は救急車を呼ぶべきか迷いました。この村には病院はありません。一番近い病院からここまで救急車でも一時間はかかります。


 三十八度をあと一分でも超えたら、呼ぼう。朝になっても熱が下がらなければ呼ぼう。

 母親の頭を占めていたのは娘のことよりも、この狭い村で救急車を呼んだ後の、自分の娘をこんな目に合わせた子どもたちの将来、そしてその母親の抱える想い、彼らはここでは暮らしていけなくなるのでは……、と隣の家の心配ばかりだったのです。

 

 翌朝、姉娘の熱は下がっていました。母親はほっとしました。


 


 春になりました。


「もう無理だ」姉娘は言いました。「わたしには、あの子らを解らせてあげることはできない」 


「殴り返さなかった、やる側に回らなかったあなたたちは、誰よりも心の強い子ども。お母さんは、あなたたちを誇りに思う」

 母親は言いました。

「だから、もういい。もう頑張らなくていい。自分を一番に大切に考えていい。お母さんは、負けたとも、逃げたとも思わないから」

 

 母親は、この学校を離れ、もう一度、引っ越すことに決めました。そうしないと、子どもたちをどうやっても守れないことが解ったからです。


 でもその前に、母親は呪いをかけました。



 この母親は、自分の理想を押しつけて、子どもを死ぬようなめに合わせた自分自身を許すことができなかったのです。学校を移っても移っても、母親の理想がかなう学校はなかった。その度に、子どもたちを苦しめるばかりだったからです。


 小さな、消え入りそうなか細い声で、小さな悪魔を呼んだのは、この母親でした。やっと、母親の心の奥底でくすぶっていた思いは、言葉(かたち)となって小さな悪魔に届きました。



 母親は言いました。

「私ではこの子たちを守れません。どうかこの子たちを守って下さい」

 小さな悪魔は頷きました。そして、その躰を譲り受けたのでした。



 小さな悪魔は思いました。

 他人の子どもの心ばかり気づかって、自分の子どもには、自分を生きることを教えなかった愚かな母親。

 そんな母親よりも、僕の方がずっと人生を面白おかしく生きることを、この子どもたちに教えてあげられる。


 深い、深い、穴のようになってしまった姉弟を見つめ、小さな悪魔は、にっこり笑いかけたのでした。


 


 

 

 

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