16.み使い
小さな悪魔は、今日も公園の樹の枝にいます。
けれどいつもとようすが違います。小さな悪魔はイライラと落ちつかないようすであたりをうかがっているのです。その姿はどこかおびえているようです。
いったいどうしたというのでしょう?
そんな彼のことなどおかまいなしで、男の子の魂はいつものように梢を揺すっています。今の季節、梢には青葉がこんもりとしげっています。音をたてて揺れています。
さやさや、さやさや。
小さな悪魔は顔をしかめて男の子の魂をにらみます。
きっともうすぐやって来るだろう。
小さな悪魔は渋い顔で空を見あげ、それから、地面を見おろします。
とうとうその日がやってきました。
男の子の母親の魂が、ようやく男の子の魂を見つけたのです。母親の魂は長い間、霧の中をさまよっていました。男の子の魂を探し続けていました。天国からのみ使いをこばみ、探し続けていたのです。地獄へも行っていました。み使いが、男の子の魂は天国にはいないと言ったからです。
でもどうしても見つけられず、やっと地上に戻ってきたのです。
そしてようやく、樹の上の男の子の魂に気づいたのです。どうして今まで気づかなかったのか判らないほど、あっけなく母親は男の子の魂に逢えたのでした。
母親の魂は大喜びで泣きました。男の子の魂に腕を伸ばしました。
「戻って来てちょうだい、私のかわいい坊や」
母親の魂は、男の子の魂に呼びかけます。
小さな悪魔は樹の上からこの母親の魂を見ています。
どうしてこの母親の魂は、躰をなくしても子どものことを忘れないのだろう?
小さな悪魔は不思議でなりません。
男の子の魂は、とっくに母親のことなど忘れているというのに。
そうです。男の子の魂には、この魂が誰なのかわからないのです。だから、彼女の言うことなんて聞きません。いつものように、梢を揺するだけです。
さやさや、さやさや。
けして自分を見ようとはしない息子の魂に、母親の魂は嘆き悲しみました。
だから母親の魂は、神さまにお祈りを捧げました。朝も、夜も。雨の日も、風の日も。天がこたえてくれるまで、樹の下にしゃがみこんでずっとお祈りを捧げました。
小さな悪魔は、そんな母親の魂がうっとおしくてたまりません。なんとか追い払おうと、この公園に散歩に来た大きな犬をけしかけました。黒雲を呼び、雷を響かせました。どしゃぶりの雨を降らせました。
でも母親の魂はじっとその場から動きませんでした。
小さな悪魔は、いやでいやでたまりませんでした。
とうとう小さな悪魔は天に向かって呼びかけました。
「ここに、僕の領分じゃない魂がいる!」
小さな悪魔のその声は、遠く、高く、天まで届きました。
空が金色に輝きました。み使いが天から降りてきます。
小さな悪魔はしげる青葉のかげにかくれ、小さくなってふるえています。
母親の魂は喜んで、み使いに手を伸ばしました。
「どうか私の坊やを天国へお召し下さい」
「それはできません」
み使いは、母親の魂をしっかりと掴んで引き上げながら言いました。
「悪魔の誘惑に負けたあの子どもの魂は汚れています。天国には入れません」
「それなら私も天国には行きません」
「それもできません。罪のない魂を地上にさまよわせるわけにはいかないのです」
み使いは母親の魂をつかんだまま、どんどん天高く上がって行きます。一度取り逃がした魂です。もうこの手をはなすわけにはいきません。
母親の魂は、泣きながら男の子の魂の元の名をさけんでいます。
男の子の魂は、樹の上からぼんやりとその様子を眺めています。
キラキラとした金粉の舞い散る神々しいみ使いの姿を、そしてその輝きに包まれて天に昇っていく魂の姿を。
金色の光がやっとかき消えたとき、小さな悪魔はほっと息をついて木陰から顔を出しました。
「行ったか?」
男の子の魂は振り向いただけでこたえませんでした。そしてまた、梢を揺らし始めました。
さやさや、さやさや、と。
小さな悪魔も、安心して樹の枝に腰を下ろしました。そして思いました。
あの母親の魂は、大きなかんちがいをしている。
神は人間の祈りをかなえるためにいるんじゃない。
人間が神の願いをかなえるためにいるのに。
自分に乞えば、親子仲良く地獄に送ってやったのに。
まったく馬鹿な母親だ。
小さな悪魔は小さく吐息をもらし、となりにいる男の子の魂をちらりと見たのでした。




