12.息子
小さな悪魔は、とても満足していました。
あたらしく手にいれた父親の躰は、とてもいい具合だったからです。小さな悪魔にとって、父親というのは、はじめての経験です。
子どものときは、嫌でも親のせわをうけなければなりませんでした。自分で選べることは、限られていました。でも、父親は、自分で好きなようにきめて、家族を従わせることができるのです。
それも家族は、おびえてしたがうのではありません。自分からすすんでしたがうのです。これは小さな悪魔にとって、とても大きな驚きでした。
子どものころからおもい病気だったこの父親の息子は、手術が成功して元気になりました。長いあいだ自分を看病してくれ、こうかな手術を受けさせてくれた父親に、息子はとても感謝しています。りっぱな父親を尊敬しています。
それは父親の妻も同じです。元気になった息子をよろこび、息子の命をすくってくれた自分の夫を心から崇拝しています。
だからこの二人は、何でも、父親になりかわった小さな悪魔にしたがうのです。いっさい逆らったりしないのです。
これが人間の家族の幸せというものだ。と、小さな悪魔はたいへん満足していたのです。
ところがしばらくすると、息子の態度が急に落ちつかなくなったのです。退院してすっかり普通の生活ができるようになり、毎日を楽しそうにすごしていた息子が、まったく笑わなくなりました。いつも悲しそうな顔をしています。しょっちゅうため息をついています。
小さな悪魔は、腹がたちました。
自分がこの息子を幸せにしてやったのに、命まで助けてやったのに、どうして息子は不満そうな顔をするのだろう?
お昼どきに出かける息子の後を、小さな悪魔はこっそりとつけてみました。
息子は、お店で昼食を買い、公園のベンチにぼんやりとすわっていました。それだけです。買ってきたものを食べようともしません。そして、しばらくすると家に帰るのでした。
毎日、毎日、息子は同じことをくり返すのです。
小さな悪魔は、腹が立ってしかたがありませんでした。自分にかくれて、そんな意味のないことをしている息子が許せなかったのです。この息子は、小さな悪魔にだけしたがって、生きていればいいのですから。
だから小さな悪魔は、息子にこっそりと気づかさせてやりました。お前の心臓はあのベンチの男のものだったのだと。
偶然に見てしまったカルテに、息子はおどろきました。おどろいて泣きました。
小さな悪魔は、ほくそ笑みました。これで息子は、あの公園へ行くのはやめるだろう、そう思ったのです。だって息子は、あの男の命をうばって生きているのです。そんなこと、はやく忘れてしまいたいに決まっています。
つぎの日も、息子は昼食を買い公園に行きました。小さな悪魔は、こっそり後をつけています。
息子はベンチにすわって、ぼんやりとしています。息子の横には、心臓のもとの持ち主の男の魂がいます。いつもいます。でも、息子にはその男の魂は見えないのです。死んでしまった男の魂も、もうこの息子のことを覚えていません。だからこのふたりは、同じベンチに座っていても別々のほうを見ています。
けれど、この日はちがいました。
男の魂は、この青年の心臓が自分のものだったことに気づいたのです。
青年の心臓が、悲しみではりさけんばかりに、脈打っていたからです。懐かしいその音が、男の魂の記憶を少しだけゆさぶったのです。
「おれの心臓は、元気に動いているだろう?」
男の魂は言いました。
けれど、青年にはその声は聞こえません。聞こえないはずなのに、青年はぽろぽろと泣きだしました。泣きながら、買ってきた紙ぶくろからハンバーガーをとり出すと、男の魂のすわっているうえに置きました。それから、コーヒーも。
そして、もうひとつ。青年は自分のハンバーガーをひとくちかじり、コーヒーをひとくち飲みました。
青年はこの公園で死ぬつもりでした。
友だちの命をうばってまで生きている自分が、許せなかったのです。死んで、ベンチの男にあやまろうと思ってここにきたのです。
でも、このベンチにすわっていると、心の中から、ちがう声が聞こえたのでした。
自分が、あの男の心臓を止めてしまってはいけない。つぐないのためにも、生きねば、と。
青年はハンバーガーを食べおえると、公園をさっていきました。
小さな悪魔は、ずっとそのようすを見ていました。小さな悪魔は、なぜ息子が苦しんでいるのか、わかりませんでした。そしてなぜ、父親のことをうらむのか。息子に命をあたえてやったのは、父親なのに!
息子はもう、家には帰ってきませんでした。母親は半狂乱になって息子をさがします。そしていつのまにか、いなくなってしまいました。
息子のいないこの家を捨てたのだ。小さな悪魔は思いました。
小さな悪魔は、またひとりぼっちです。誰もいない大きな家で、小さな悪魔は、頭をふって思いました。
あんなわけのわからない家族なんて、いない方がせいせいする。