1.男の子
小さな悪魔は人間になりたいと思っていました。
手をつないでにこにこと歩いている親子づれや、おたがいの瞳を見つめ合っている恋人同士がとても幸せそうに見えたからです。
小さな悪魔はいつも一人ぼっちでした。彼は悪魔なので、みんなから恐れられていました。誰も彼と仲良くしてはくれません。だから、人間になって人間の仲間に入りたいと思ったのです。
その日も、小さな悪魔は公園の樹の枝に腰かけ、ぼんやり世界を見渡していました。
母親が、男の子の手を引いてやって来ました。母親はベンチにすわって編み物を始めます。もうじき冬が来るので、男の子のマフラーを編んでいるのです。
男の子は小さな悪魔のいる樹の下で、落ちている木の実を拾い始めました。たくさん集めて母親に首飾りを作ってあげようと思ったのです。小さな悪魔は男の子のかたわらに立ち、そっと耳もとでささやきました。
「この樹の中には、こんな木の実がたくさんつまっているよ。すぐにひとかかえでも手に入るよ」
男の子はおどろいて彼を見ました。
「ほら、ここからとりに行ける」
小さな悪魔は、樹の幹にできたコブのようなものをつかんで引きました。木の皮は小さなドアの形にきりとられ、そこからのぞく樹の幹にくり抜かれた入り口から、ほわりと明るい光がもれています。
「たくさん集めておいでよ。きみのママ、きっとよろこぶよ」
男の子は顔を輝かせて、喜んでその入り口をくぐります。男の子は、自分の魂が躰からぬけ出て透明になっていることにも気がついていません。
小さな悪魔はドアをパタンと閉めました。もう樹の幹には、どこにもドアなんてありません。ごつごつとしたドアノブに似たコブがあるばかりです。
小さな悪魔はこちら側に残っている男の子の躰に入り込み、彼になりかわりました。
男の子の母親が、その子の名前を呼びます。小さな悪魔は「はい」と返事をして母親のもとにかけ出します。
小さな悪魔はにこにこと笑いながら、母親に手を引かれて行きました。
男の子の家はとてもきれいで片づいていて、小さな悪魔にはどうにもいごこちの悪い家でした。だからまず一番に、部屋の中をいごこち良いように、ぐちゃぐちゃにしました。おもちゃをぶちまけ、羽まくらをひっかいて穴を開け、中の羽を飛ばしました。
男の子の母親は悲鳴を上げ、小さな悪魔を怒りました。
この家の夕飯は、部屋よりももっと最悪でした。皿の上の食べ物は温かく、すべて火が通っていたのです。悪魔はこんなものは食べません。だからわざと皿をひっくり返しました。
男の子の母親はまた悲鳴を上げ、小さな悪魔を怒りました。
小さな悪魔はせっかく人間になれたのです。幸せになりたいと思いました。だからどんどん部屋を汚していごこち良くし、まずくて大きらいな温かな食べ物はがんとして食べずに、かろうじて食べられる冷たいアイスクリームや甘い砂糖菓子ばかりを食べました。そして時々、食料庫から血のように赤いワインを盗んできて飲みました。
男の子の母親は、小さな悪魔を怒らなくなりました。けれど、男の子にしていたように手をつないで公園につれて行くこともなくなりました。
小さな悪魔は退屈して、庭の虫を殺したり、通りを行く人に石をぶつけたりして遊びました。
男の子の母親と父親は、小さな悪魔をはなれたところから見るだけで、ちっともかまってくれません。
そのうち、別の大人が家を訪ねてくるようになりました。その人たちは小さな悪魔にいろんなことをききました。小さな悪魔はとてもおりこうに答えました。彼らが何のために来たのかわかっているからです。彼らは、小さな悪魔が本当に人間かどうか、たしかめに来たのです。そうに決まっています。
小さな悪魔は学校へ行くようになりました。学校は彼にとってとても楽しい場所でした。彼は強くて賢かったので、すぐに人気者になりました。小さな悪魔はうれしくて、みんなが喜ぶように、弱虫を見つけてはその子をいたぶって遊びました。彼の仲間はこの遊びをとても喜びました。小さな悪魔は人間の仲間になれてよかったと思いました。
ところがそんなある日、気づいてしまったのです。いっしょに楽しんでいると思っていた仲間の、自分を見る目がおびえていることに。自分が悪魔だと知られてしまったのだと、小さな悪魔は思いました。だって、悪魔だったころの自分を見る目と、彼らの目つきは同じだったのです。
小さな悪魔はいっきにつまらなくなりました。だって、これでは人間になる前と同じだもの。小さな悪魔の欲しかった、人間としての幸せではないのです。
だから、あの男の子の魂を閉じ込めた樹の枝に、母親の編んでくれたマフラーをひっかけて首を吊り、この躰を捨てました。
次に人間になるときは、もっと上手くやろう。
樹の枝に揺れる小さな躯をながめながら、小さな悪魔はそんなふうに思いました。