【第九十七話】 帰路
決闘は終わりを告げた。
凄まじい破壊音と共に壁に叩き付けられた何とか隊長はそのまま滑り落ち、もたれ掛かるような格好でガクンと首を垂れている。
動く気配が無いところを見るに、どうやら意識を失っているようだ。
対するマリアは相変わらずぬぼーっと棒立ちのままで、それでも勝負の終わりを理解はしているのか剣を拾い上げ鞘にしまった。
慌てて貴族のおっさんが執事に命じ、治療をさせるべく室内に運ばれていく。
その姿を横目に、俺は感想を探すことすら出来ず自分の取るべき行動も分からずで思考するのを放棄したい欲求が半端無い。
……何なんだろう、これ
勝ったってのは分かるけど、マジで意味分からないんだけど。
アンも姫様も馬鹿息子も同様であるらしく、言葉を漏らす余裕もないのかただ無言のまま固まっている。
そんな無言の間だけが過ぎていく中、少ししておっさんが戻って来た。
そして当然と言えば当然かもしれないが、俺達には目もくれず姫様一人に事の次第を説明し始める。
要約するに何とか隊長は命に別状はないらしい。
お抱えの私兵の中には治癒術師もいるらしく、怪我ものちに尾を引く程のことはないだろうとのことだ。
さすがに数日は安静にした方がいいらしいが……鉄をも砕くレベルのボディーブロー食らってそれで済むというのも末恐ろしい話だなおい。
「バンディート伯、お互いに動揺はあるかと思いますが過程はどうあれ結果は定まりました。受け入れられぬと申されるのであれば法廷で証言する用意がございますが」
「いえ、決してそのようなことは。王女殿下のお手を煩わせるようなことはせぬとこの場でお約束します。息子の事を思えば残念ではありますが……こちらが持ち掛けた話の結果でありますので。この名に懸けてこの話はここで終わりとさせていただく所存でございます。ケイン、それで納得せよ」
「……ああ」
大層気に食わなそうな様子でこそあったが、さすがにアレを目の当たりにしては息子も黙る他なく。
渋々ながら文句を言うことなく短い了承を口にした。
「承知致しました、ご英断に感謝を。ジャンバロック隊長にもご自愛していただくようお伝えください」
「仰せの通りに。ただ一つだけ、そちらの女性は一体……」
「申し訳ございません、匿名を条件に代理を引き受けていただいたお方ですので詮索は無用にお願いします」
「は、御意に従います」
「では事後処理等あるかと存じますので今日のところは失礼させていただきますね。修繕費はこちらに請求していただければ」
「こちらの用意した場所と条件ですので、お心遣いだけいただいておきましょう」
おっさんに加え、周囲の使用人達は深々と頭を下げる。
息子はふてくされていたが、何はともあれ俺達は貴族の屋敷を後にすることになった。
そうして帰路の馬車に揺られる時間が訪れる。
言わずもがな、空気はすげえ重かった。
唯一の例外はマリアだけだ。来た時と同じで普通に俺の肩を枕代わりに寝てる。
「……ねえ」
無言の空間のまま五分か十分かが過ぎた頃。
正面に座るアンが沈黙を破る。
こっちから何を話せばいいかも分からなかったので正直助かるという感じだ。
「ああ」
「こいつ……結局何者なの? 色々とあり得ない光景だらけだったんだけど」
「何者なんだろうな……俺が聞きてえわ」
「あんたも知らなかったってわけ?」
「純粋に強いってのは勿論聞いてたんだけど、あんな人間離れしてるとは思いも寄らないっていうか……ぶっちゃけ初対面じゃない分だけお前やあっちの連中より俺の方がドン引きしてるからな?」
「巨人云々の話も今なら信じられるわ……よくもまあこんな奴を連れて来たわねあんたも」
「友達というか仲間というかって関係なのもあるし、普段から家事も料理も掃除もしないこいつの面倒を見たり飯を食わしたりしてるからな。力を貸してくれって言ったら二つ返事で引き受けてくれたよ。普段はこうやって寝てるか食ってるかって奴なだけに、どうなってんだって感想しかねえわ」
戦えば風蓮荘の誰よりも強い。
そういう話は聞いていて、それプラス後から知った話もある。
灰色の悪魔。
そう呼ばれる世界中から危険視されるような戦闘力特化みたいな一族の血を引いていて、今や絶滅してしまったというその血筋の唯一の生き残り。
この話は絶対に他言しない、してはいけない情報なのでこの場で明かすつもりはないけど……にしたって限度があるだろ。
同じ感想になるかもしれんけど、漫画やアニメみたいな現象起きてたぞ。
いや、それを言ってしまえば俺にとって最初からここはそんな世界なんだけど……聞きしに勝るというか、想像していた次元を超えていたというか。
というか、かつては迫害されていた血筋のマリアにそんなことをさせて存在が明るみになったら不味いことになるんじゃねえの?
静かに暮らすマリアの日常が、それを知りながら共に暮らしている俺達の日常が。
「なあ、一個不安要素があるんだけど……」
「何よ」
「こいつが隊長ぶっ飛ばしちゃったって話が知れ渡ったら面倒なことになるんじゃないかって。日々自堕落に過ごしてるだけの無害な奴だからさ、余計なことに巻き込みたくないんだ。俺に言えたことじゃないだろうけどさ」
「それに関しては大丈夫でしょうよ。ジャンバロック隊長もバンディート伯も、自らの恥を吹聴して回る程愚かではないでしょうから」
「そうか……」
「それに、神聖な決闘に委ねた結果を反故にはしないと思いますわ。ロックシーラ副隊長の件はあちらから通達されるでしょう。わたくし達が関与していることは知られない方がいいとのことでしたから、こちらからは動くべきではないですね」
「そうですね……どこまでの話がというのは不透明ですが、ロックシーラ様ご本人にはどうしても知られることになるでしょうけど」
そりゃそうか。
アンや姫様の言う通り、こっちから決闘で婚約を撤回させましたなどと王様や他の偉い人に説明しなければその辺りの話が広まることはない。
あちらにとっても大貴族としての面子も外聞もあるのだ、事実を述べはしないだろう。
理由など明かさずとも婚約は撤回しましたとだけ必要各所に伝えればそれで済む。
「姫様、アン……本当にありがとうございました」
そういう理屈を頭で理解してようやく、この一件が何とか終わりを迎えた実感が湧いてくる。
その結果がレオナが、いや俺達一家が望んだ形になるであろうことも、そしてその全てが言い出しっぺの俺が人に頼りまくってやっと実現したことも。
そんな思いから深く頭を下げるが、一言アンがやめなさいと軽く頭を押した。
「少なくとも私はあんたにお礼を言われる立場じゃないわよ。私やジャックテール様だってどうにかしなきゃって思ってて、そこにあんたが首を突っ込んできて、結果的にそのおかげでどうにかなったんだから。こんな方法と結果になるだなんて夢にも思わなかったけど」
そう言うと、アンは体の向きを変え丁寧に膝を揃えると今度は自分が深々と姫様に頭を下げた。
「姫様、本当に……ありがとうございました。このご恩は終生忘れません」
感謝の念を抱く気持ちは俺も同じなので俺も一緒に、改めて頭下げた。
「他人行儀な態度はやめてアンリ、わたくしはわたくしの家族や友人のために自分の意思で行動しただけなのですから。悠希様にしても同じです。むしろ先日わたくしが助けていただいたではありませんか。お父様も心より感謝しておりました、アンにも悠希様にもこの先も仲良くしてくださればそれで十分ですよ」
「いえそれでも、姫様がいなければ先方とまともに話が出来たかも分からなかったですから。俺もこのご恩は決して忘れません。この先姫様に困ったことや助けが必要なことがあればどんなことがあっても、俺に出来ることなら何だってすると約束します」
「ふふふ、律儀な方ですね。ではいつかそんな時が来た暁には、頼りにさせていただきますね♪」
ズッキューン!
という音が体の中から聞こえてきそうなぐらいにその微笑みに釘付けになってしまった。
それ程までに眩しく、美しく、優しい笑顔だった。
「こら、姫様に見惚れてんじゃないわよ」
「今のはしゃーねえだろ、男なら誰でも惚れるって!」
これこそが俺とアンのいつもながらの馬鹿なやりとり。
姫様もそんな俺達を見て微笑ましそうな表情を浮かべている。
互いが空気を読んで、半ば無理矢理に賑やかな空気を作り出した感は否めないながらもそれに言及する無粋な奴はいない。
色々と想定外、予想外だらけの数日だったけど、それでも皆で戻ってこれたのだから今はそれでいいじゃないか。
最後にそんな感想胸に抱き、無事に決闘を終えた俺は王都まで送ってもらった後のちマリアと共に風蓮荘へと帰るのだった。