【第九十六話】 最強
バンディート伯の号令によって決闘が開始された。
向かい合う二人。
その佇まいや伝わる雰囲気は対照的で、何とか隊長はすぐさま腰から剣を抜き、視線で殺さんばかりの殺気や威圧感をマリアに向けている。
マリアが背中に掛けている剣は俺が両手を使ってやっと持ち上がるぐらいに幅があり重さもあるのだが、相手の持つそれも大概太く大きく重量感がある物だ。
正面に立つマリアは例によって一人仮面舞踏会状態なので表情こそ分からないが、相手が露骨なまでに『殺す気満々です』みたいなオーラを出してるのに武器を抜くこともせず、それどころか棒立ちのまま微動だにしない。
よもやこの期に及んで睡魔に負けているだなんてことはないと信じたいが……であれば直前に交わした俺との会話が出方を見失わせた可能性もあるのではなかろうか。
あの場に向かうマリアを呼び止めて掛けた言葉はこうだ。
「マリア!!」
「……?」
「お前、なんか普段通り過ぎて不安になってくるから一応確認しておくけど、いまからあのオッサンと決闘するんだぞ? 分かってるか?」
「ん……」
「無理してないか? あいつを実際に見てみてどうだ? 無理だ、勝てないって思うなら言ってくれていいんだからな? マリアが怪我したり取り返しの付かないことになったら意味無いんだからな?」
「ん、全然……平気」
「まじかよ……さっきも言ったけどヤバイと思ったらすぐ止めるからな。あと、仮に勝てるんだとしても無茶はしちゃ駄目だぞ」
「……?」
「さっき貴族野郎が言ってたろ? 不必要に相手を殺傷したり、無意味に命を奪おうとするのは禁止だって。だから勝ってくれるなら勝ってくれるで出来るだけでいいから相手も無事に終わらせる必要がある。この国の英雄みたいな奴に大怪我させたなんてことになれば罪に問われずとも立場が不味いことになるだろうから」
「ん、わかった」
「…………」
そんなやり取りを経てマリアはあそこに立っている。
正直、どこまで理解と納得をしてくれたのかは俺にも分からん。
何なら何一つ伝わってない可能性まであるとさえ思っている。
そして見るからに無気力な姿でジーっとしているあたり、何かもうこっちの胃が痛い。
ただでさえずっとドキドキしていて恐怖も不安も留まることを知らないってのに、緊張で吐きそうなんだぞ正直言って。
「ね、ねえ……」
様々な感情の中でも不安が爆増しているのは俺だけではなかったらしく、隣のアンが腕を引いた。
「……何ぞ」
「何であいつ動かないのよ、本当に決闘の意味分かってんの?」
「いやあ……そればっかりは俺も信じるしかないっつーか、最悪また寝てるまであるな」
「いやいやいや……」
これが冗談じゃないんだから洒落になっていない。
とはいえ、寝てるなら仕方ないよねっ。で済ませられる時と場合ではないので俺がどうにかするしかあるまいよ。
「マリアー!!」
決めつけるのもどうかと思うけど、取り敢えず寝ている可能性から解消せねばと大声で呼んでみる。
その瞬間、逆にそれを合図にしてしまったのか何とか隊長が迷いも遠慮も無くマリアに向かって駆け出していた。
「…………?」
何? 呼んだ?
みたいなリアクションで、マリアは首を傾げながらこちらを見ている。
ああよかった、寝てたわけじゃないのね。
って、そうじゃねえええええ!!!!
「あほーーー!! こっち見てる場合か!! 前見ろ前!!!!!」
既に決闘開始は宣言されている。
それは最悪命のやり取りになるであろうこの場において明確な隙であり、相手にとっては格好の好機となっていた。
何とか隊長はマリアの視線がこちらに向くなり地面を蹴り、瞬時に数メートルあった距離を詰めている。
そのままたった一歩で数メートルを、それも人間離れした凄まじい速度でマリアの眼前にまで迫ると何の躊躇も無く頭上に持ち上げた剣を振り下ろした。
未だ鞘に収まったまま背中に収まっているマリアの剣。
その柄の向く方向から利き手を読んだのか、左肩から首の辺りを狙った一太刀が今まさに叩き込まれようとしている。
事前に通達された不要な殺傷は厳禁などという取り決めなど完全に頭にはなく、誰がどう見ても『一撃で仕留めてやる』という意思が伝わってくるフルスイングっぷりと殺意の籠った表情だった。
そうなってなおマリアはのんびりした動きで顔の向きを戻している最中で、もはやどう考えても対処の間に合わないタイミングであることが無意識に瞼をきつく閉じさせる。
自己防衛本能とでもいうのか、この後生み出されるであろう凄惨な光景を目にすることを本能が拒絶したのだ。
周囲も同じだったのか、いくつものハッと息を飲む音が聞こえる。
しかし、ここに至るまでの全てを後悔した次の瞬間、続けて聞こえてきたのは激しい金属音だった。
何が起きたのかと恐る恐る目を開くと、そこには変わらず棒立ちのマリアの姿がある。
それでいていつの間にそうなったのか、何とか隊長の一撃を横向きに持った剣で防いでいるではないか。
「う、嘘だろ……」
思わず声が漏れる。
同様にアンやドラ息子も愕然とし、無意識であろう驚きの反応を声にしていた。
それもそのはず、そもそも俺が目を閉じた一瞬で剣を抜いていたことにも驚きだし、大柄な男が両手で持った剣を全力で振り下ろしているというのに、マリアはそれを片手でいとも容易く受け止めているのだ。
まずあの大剣を片手で持ち上げているだけでも凄まじいってのに、あの渾身の一撃を腕力で負けることなく防いじゃうってもうほんとどうなってんのこれマジで……。
「ぬ……」
何とか隊長もこちら側と同じく、目を見開き驚愕の表情を浮かべている。
そんな馬鹿なことがあるはずが……。
そんな感情がはっきりとそこには現れていた。
だが、奴も国家最強と言われる男だ。
そこで隙を見せてくれるでもなく、すぐに切り替え一歩下がって距離を置くと今度はコンビネーションを駆使し無数の斬撃をマリアに浴びせる。
ありとあらゆる角度から、縦に横に突きにと次々に斬りかかる動きもまた、重量感ある剣を振り回しているとは思えぬ人間離れした素早さだった。
それも力任せに叩き付けているわけではなく、素人目にも分かる達人さながらの身のこなしであり体捌きであり剣術だ。
なのに、対するマリアは飄々とした動きで変わらず片手持った剣をひょいひょいと、ほとんど手首だけで角度をずらしながらそれを簡単に防いでいく。
そうしてキンキンと金属音だけが十回、二十回と響く中。
自尊心やプライドがそうさせるのか、やはり俺の言い付けのせいで殺さず殺されずのままでどう勝負を終わらせればいいのかが分からないでいるっぽいマリアが一切自分から攻撃に転じる様子がないからか、半ばムキになっているのではとさえ感じさせる暴力的な連打から一転、不意に何とか隊長が半歩下がったかと思うと剣の先を真下に向け、ゴルフスイングさながらに地面を削った。
必然、抉られた土がマリアの顔に向かって舞う。
突如として形振り構わぬ、所謂目潰しという戦法に出たことへの憤りが湧くが、これは決闘なのだ。
見ているだけの俺に卑怯だと誹る権利も無いし、無価値と断じ、あれだけ見下し侮っていた相手に対して躊躇なくそういった手法に転じられる気概こそ武人として名を馳せるに至った経験値や感性が可能にさせる柔軟性であり臨機応変さなのだとしたら俺には批評する資格もない。
幸いにもマリアは顔の上半分が仮面で隠れている。
加えて目の部分は網目になっているため直接を食らうことはないと信じたいところだが……それでも、これも経験値の差なのか単に虚を突く戦法を駆使する相手とやり合った経験がないからかマリアは顔面に降りかかる土を嫌がるように首を振ることでそれらを払った。
しまった! とか。
不味い! とか。
やられた! とか。
そういう感情は一切見受けられず、ただ顔に纏わりつく羽虫を鬱陶しく思うような、本当に何気ない反応である。
「今度こそ終わりだ!!」
再び目を逸らした上に先程と違って既に剣が届く距離にいるのだ。
言うまでもなく何とか隊長は自ら作ったその最大の勝機を逃すことはない。
今までよりも更に鋭く、苛烈な斬撃が横一閃に振り抜かれる。
もはやルール無用の、ただ相手を殺すことしか頭にないことがはっきりと分かる形相だ。
既に立っているのがやっとなぐらいに恐怖し、緊張で腹も痛ければ唾を飲む暇すらないせいで口も喉も乾き過ぎて痛くなってきている俺はまともに頭も働かないせいで声を上げなければ、止めなければという判断すらまともに出来ず、それを自覚するこの瞬間までただ棒立ちでその光景を眺めていた。
幽霊や猪、あちこちで対峙した様々な化け物達の時とは違った非現実感が、同じ絶望感の中でもただぼんやりと『あ、やべぇ』という感想が脳裏を過ぎる。
今まさに振り下ろされた剣がマリアに到達しようとする瞬間になってようやく呆けている場合じゃないという現実に意識が追い付き、我に返ったことを自覚すると同時に声を上げようと口を開いた時。
今一度そこに生まれた意味不明にも程がある光景がギリギリで、というよりもむしろ無理矢理に発声を押し留めていた。
何とか隊長の剣はマリアの鎖骨から首元の辺りに触れようかというタイミングで動きを止めている。
それを決着と見なして自ら寸止めを選択したわけでは決してない。
ただ無造作に、何の焦燥や危機意識もなく、ゆるりと持ち上げられた左手が本当に何気なく、襲い来る刃をガシっと掴んで制止させていた。
「「……は?」」
またしてもアンを含む複数の誰かと声が被る。
口を開いたまま固まっている顔を見るに、どうやらアンも最悪の展開を予測し止めようとしていたらしい。
もはやこちら側の全員がわけが分からず、唖然呆然とする以外に行動の選択肢がなかった。
そしてそれは何とか隊長も同じ。
受け止められた剣と左手に視線を向けながら『ば、馬鹿な……』と漏らしている。
そりゃそうだ。
筋肉質の、それも国家最強の騎士が両腕で振り下ろした重い剣を、刃の部分を片手で掴んで受け止めたんだぞ?
俺とてやっぱりこれは夢か何かなのではないかと、また現実味が薄れていくのを否定する材料を探すのに必死である。
時が止まったかのようにこの場に居る全員が固まる中、ここにきてマリアが初めて自発的に動いた。
持っていた剣を手放し右手で拳を作ると、鎧で守られている何とか隊長の腹部へと真っすぐに右ストレートを叩き込んだ。
少なくとも七十や八十キロはあると思われる隊長はまるで漫画やアニメの1シーンの如く真後ろに吹っ飛び、十数メートル後方にある壁へと叩き付けられるとそのまま地面に崩れ落ちる。
壁も割れてボロボロになっているし、何なら金属製の鎧までもが拳の当たった部分だけがハッキリと割れていた。
いやいやいや……俺は一体今何を見てるの? 何を見せられているの?
あいつ人間じゃないだろ……人間じゃない何であればあんなことが可能になるのかは全然分からんけど。
「へ、辺境伯……もう止めた方がよいのでは」
驚いているとかビビっているとか、もうそんなもんはとっくに通り過ぎ、誰もが沈黙しドン引きしたまま目を疑うことしか出来ずにいる中、姫様だけがどうにか現実に帰ってきた。
直後に響き渡った貴族のおっさんによる『そ……そこまで!』という宣言により、どうやら決闘は終わった……らしい。