【第九十三話】 いざ参らん
目覚めが近いと自覚する微睡みの中、鼻腔をくすぐる普段とは違う匂いが違和感を伝え、それが強引に意識を呼び起こした。
嫌々ながらに薄目を開くと目の前にはマリアの寝顔がある。
いかにも恋人との甘い一夜の後みたいな光景でありながら特に何もないこの景色にも徐々に慣れてはきているけど、だからといって何故お前がここにいるのかという疑問から目を背けるまでには至っていない。
というか一生至ることもない気がする。
昨夜の極秘作戦会議の後、部屋に戻ろうとするソフィーやリリとは違ってマリアだけは勝手に俺のベッドに入って寝息を立て始めた。
当然ながら部屋に戻れと言っても起きる気ゼロ。
口で言っても無駄っぽいので俺も早々に諦め、せめて服は脱ぐなと言い付けた次第である。
といっても目を開くことすらなく『……ん』とか言ってただけなので理解と納得がそこにあったのかと問われると怪しいんだけども。
そんなわけで仕方なく、いやいやどうせいつものことだし? ほんと仕方なくそのまま寝ようとしたんだけどね。
去り際のリリが『まさかそのまま一緒に寝るつもりじゃないですよね?』と冷たい目を向けて来たので『そ、そんなわけないだろー』なんて慌ててと取り繕い、代わりにマリアの部屋で寝ることにしたのだった。
そんなわけで俺は二階へ上がり、マリアの部屋に行った。
そして一週間ぐらい前にシーツも取り換え、散らかされたゴミや衣服も片付けたのに早くも散乱気味になりつつある惨状に若干イラっとしたもののベッドの上はちょっと物を避ければ寝られそうだったのでそのまま睡眠に入ることに。
そのはずなのに、何故起きたらマリアが横にいるんだろうね。
言い付けがどの程度そこに影響したのかは知らんけど結局上半身裸だし。
こいつ家じゃブラジャー着けなくなってるからモロなんだよ。
心臓に悪いと何度言っても聞きゃしないし、もう起こして文句言っても意味ないし、またここでモタモタしていたらあらぬ誤解を受ける展開になりかねないのでそーっとベッドから降りると俺はそそくさと自分の部屋に戻ることにした。
そして自分の部屋で少しばかりの二度寝に陥り、キャンドルベルによっていつもの時間にまた目が覚める。
学校が無いのに毎朝習慣の如く朝に起きるという暴挙にも体は慣れたものだ。
水を一杯いただくキッチンには別のコップが既に置いてある。
どうやらレオナは既に出かけているようだ。
テンション的にも朝から手間の掛かる物を用意する気にはならないのでシンプルに人数分のパンを焼いて皿の上に並べていく。
そもそも奴等の分まで用意する筋合いはないのだ。
敢えて個別に用意して出来たてを振舞ってやる程俺は甘い母ちゃんではない。
どちらかといえば温かいもんが食いたきゃ飯の時間に起きて来いというスパルタスタイルだと言えよう。
とはいえ半ニートのあいつ等も昼まで起きてこない、なんてことはほとんどない。
ちゃんと朝は起きてご飯を食べてという生活サイクルは送っている健康的ニートなのだ。
それに関してはご存知の通りゲームやアプリ、テレビやネットという娯楽がないので夜更かしをする理由がないというのが大きな要因なのだろうけど。
最近では後片付けや洗濯なんかを手伝ってくれたりする頻度も増えてきて助かっていることも事実なれど、逆にそれが所謂【家事手伝い】的なニートであることを誤魔化すためのムーブなのではないかと疑い始めた今日この頃である。
働かざる者食うべからず、そんなのは絶対に許さん!
と声を大にして常々言ってはいるのだけど、あいつ等仕事を見付けたら見付けたで当たり前のように俺を巻き込みやがるから複雑なんだよなぁ……。
「これでよし、と」
三人分の朝飯を平皿に乗せ、テーブルに並べる。
といってもパンを焼いて不細工な目玉焼きを添えただけの簡単な物だ。
最近では支出を抑える意味もあってあまりチーズ乗せは出していない。
毎食チーズなんて買っていたら家計簿が火の車になってしまうため大概が前日多めに作っておく野菜スープとパンにするか、こうして卵を焼くだけになりつつある。
とはいえ胡椒も馬鹿高いし、蜂蜜なんかに至ってはカルネッタみたいな村じゃ見たことすらないという希少品なのでパターンが限られてしまうのが悲しいところだ。
マリアの言い分では『食費なら好きなだけ持って行っていいから美味しい物食べさせて』とのことだけど、あんまり人のお金を好き勝手使って生活するのもなぁ……という感じである。
何か新しい案を考えねば。
なんてことを考えつつ洗い物をしていると、ソフィーが起きて来た。
一言二言挨拶を交わし、席に着くソフィーに牛乳を注いでやるとタイミング良くリリも現れる。
「おはようございます~」
「おはよう、ちょうど飯が出来たところだ。温かいうちに食え」
「はい、いただきます」
ササっと顔を洗ったリリも席に着き、三人がテーブルに向かい合う。
ちなみにマリアの分だけパンが山積み状態だ。
「悠ちゃんはもう食べたんですか?」
「いやぁ、今日は気分じゃないから朝飯はいいかなって」
ぶっちゃけ、食欲なんて沸かない。
どこか体がそういった欲求を拒否している感覚さえあった。
何気なく言ったつもりだったのだが、リリが心配そうな顔でこちらを見ている。
「……少しだけでも食べておいた方がいいんじゃないですか?」
「ま、朝飯抜くぐらいは大丈夫だろ」
「不安、ですか?」
「そりゃあな。てめえで言い出しておいて危なくなったら人任せなんて無責任なことをしてるわけだからさ。マリアに何かあったらって夜な夜なぞればっかり考えてたよ」
「大丈夫ですよ、マリリンはものすっごく強いですから~」
「つっても相手はこの国最強だぞ?」
「そこなんですよねぇ……ジャンバロック隊長と言えば武勇を語るとキリがないぐらい数々の功績がありますし、性格は冷血漢というかシビアで部下にも厳しく他所の隊なんて足手纏いとばかりの口振りなのだとか」
「そんな野郎が相手となるとルールを守るかどうかも怪しいな……うっかり殺してしまいましたって言い訳が通用するシチュエーションなだけに。いや、でも大丈夫だ。最悪参ったを宣言する、絶対にマリアは無事に帰すから心配すんな」
「マリアさんだけ無事じゃ意味ないですからね?」
「そうですよ~、悠ちゃんも必ず無事に戻って来てください。約束ですよ~」
「分かってるって、さすがにあちらさんも姫様の目の前で無法な行為には及ばないだろうしな。結局はそこすらも他力本願なのは情けない限りだが……」
「他力でも自力でも構いませんんから、ちゃんと約束してください」
頬を膨らませ、拗ねたような顔で見上げるリリの目が有耶無耶にはさせませんと告げていた。
心配させているのは重々承知。
それでも仲間のため、家族のため、挑まなければならない。覚悟を決めなければならない。
マリアだけが、俺だけが無事で済んだとしても、そこにレオナが居ないのならばこの家に笑顔なんて戻ってこないのだから。
「心配すんな、俺だって命は惜しい。どんな手を使ってでも二人で帰って来て祝杯を挙げてやるさ。約束だ」
その言葉でようやく納得してくれたのか、席を立つ俺を止めることなく二人は後片付けを買って出てくれた。
というのもこのまま待っていても俺が起こさない限りマリアが部屋を出てこないことに今更気が付いたからだ。
そのままマリアの部屋に出向き、薄い反応しか返ってこない中でもどうにか『ごはん』のワードでベッドから下ろし、寝ぼけ眼のまま焼いてあったパンを食わせてようやく出発の時を迎える。
いつもの部屋着ではなく、戦闘モードの服装をしているマリアはやっぱり強キャラ感満載だった。
スネの辺りまである赤いブーツ、股下まである黒いソックス、そしてヘソの出た短い丈でありながら肘まである袖は何故か体積がありぶかっとしている格好いいデザインの服、そして白いミニスカートというゲームでしか見ないような戦士風の風貌だ。
背中に馬鹿デカい剣を背負い、太腿には左右共にホルダー付きのバンドが巻いてあって、ナイフなのか短剣なのかが二本ずつ収まっているという物騒な格好。
そして何よりも俺が気に入っている目の部分が網っぽくなっているオペラ座の怪人みたいな顔の上半分だけを覆い隠す仮面だ。
やっぱこの姿のマリアは格好良い。中二病をくすぐられるし、俺も格好が似合う男になりたい。
ああちなみに、決闘を控えている張本人なのに朝飯は普段通り爆食だったさ。
「そんじゃ、行ってくるわ」
ソフィーとリリが外にまで見送りに来てくれている。
あとはソフィーの肩に止まっているポンも『ホ~』と俺に向かって鳴いたが勿論意味は分からん。
「悠ちゃん、しつこいようですがマリリンのことをお願いしますね~」
「ああ、任せろ」
「それからマリリン」
「……?」
「悠ちゃんのこと、お任せしますね。悠ちゃんは自分以外の人のことになると向こう見ずな行動を平気でやっちゃう人ですから。守ってあげてください」
「ん……大丈夫。悠希、守る……絶対」
「そうならないようにするのが俺の役目だからお前は自分のことを優先してくれりゃいい。よし、行くか」
無言で頷くマリアと共に風蓮荘を離れていく。
森を歩きながら何度か振り返ってみたが、見えなくなるまでリリもソフィーもその場を動かなかった。